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"The LEPLI" ARCHIVE 124/「ファッションの世界で”倫理観”を考えるとき、企業コムデギャルソンと 川久保玲の場合は?-要らぬお節介編。 」

文責/ 平川武治:
初稿/  2014年9月17日:
写真出典/ 1981年発刊のあるファッション誌より。: 
www5g.biglobe.ne.jp/-wo-house/82ss-85ss.htm

『もう少し、ファッションビジネスの世界における「倫理観」を企業コムデギャルソンを
例に、考えてみよう。』

 1) 「友人の言葉から引き込まれて考え込んだ企業、CdGとそのオーナーデザイナー、
川久保玲のこと。」

 ——「例えば、コムデギャルソンはファッションの世界では凄い(?)けれど、
一体、社会の為に、どれだけの事を、何をして来た企業なのか?」
この友人の素朴な質問に、同じ世界に居た僕は考え込んだ。

 前回書いた企業、コムデギャルソンと川久保玲の活動とは、僕の眼差しは、
『結局は、自分の夢への現実から始まりその後は業と会社存続と利潤追求のためだけの
30数年でしかなかった。
 ここに、この『CdGは凄い!!』という根幹があるようだ。
その為に、どれだけの努力ある”虚言”をイメージングした時間とお金と人を
使って来たのだろうか?

 ”人間”としての川久保玲は何処で生きているのであろうか?
どれだけ、日本と言う国の実社会にコミットして来たのだろうか?
この人の実生活のリアリテはもう既に、
オープン出来ない構造の元で生きて来てしまっている。
もっと、『倫理観』ある行為が為されてのこの30数年であれば、
晩年、あれほど迄の作品は作らないであろう。と、僕はあの作品群を見て感じる。

 未だに、個人事業主デザイナーとして、”富”に恵まれながら、
その富の何分の1かを、どの様に社会へコミット為さって来たのだろうか?
在るようで無い”家庭”、或いは、”家庭”を必要として来なかった女の人生。
ただ、自らがイメージングして来た、”世界のトップ-ファッションデザイナー”として
その立ち居場所を堅持するためにのみのこれ迄の人生だったのだろうか?
その為の”企業”であり、“夫”であり、”社員たち”に君臨し続ける努力とがんばり、
その多くは『倫理観』少なき同業者たちからの見られかただけを
意識しての今日迄であろうか?

 この様な生き方自体が、もう古くなってしまっているのではないだろうか?
今の若い世代に共鳴する生き方だろうか?』
 友人と語り合った普遍なる時間の経過と、その会話だった。———

 2)「僕のこの世界における100%経験から、この様な発想が出来る。」
 におけるファッションビジネスの世界に於けるクリエーションとは
その大半、約90%以上のデザイナーブランドものは『パクってナンボ』の世界で登場し、
そこで儲け、そこで立場を作り、恰好付けて来た世界でしかない。
 これは、このファッションの世界のビジネスは他の業種のそれよりも
”粗利益率”が高く、在庫を少なく多く売れれば、”儲かる”業種である。

 従って、戦後日本経済の復興時に多くの「生まれや育ち」を”リカバーする”ことと
無論、”金儲け”という主目的を「夢と希望」として、戦後の全てを「自由の賛歌!」の元で、彼らはこの世界をある意味で占領してしまった世界でもある。
そして、そんな彼らたちは『イメージ』だとか『感覚』だとか『うちのデザイナーが言って
いるから』という”100%自分勝手”の虚業のコンテンツで生きて来た世界であり、
実業である。
 だから彼ら同業者たちからすると、”コムデギャルソン”と”川久保玲”のその全てが
『凄い!!』なのである。
この『凄い!』と言う言葉がこの世界の挨拶の様なものである事がこれで解ろう。
また、右に習えで、”そう言っておけば、”この世界の住民であると黙認されるからである。
 これは編集者は勿論、ジャーナリストや業界人ぶりたい輩たちほど、
よく使う彼ら、”業界人のボキャブラリー”でもある。
 この現実によって、日本のファッションの世界(業界)が存在している。

 3)「これは何も、CdGだけではない!。」
 文化勲章を取った一生にしても、耀司にしても他の有名とされるデザイナーの全てであり
彼らたちが吐く「当たり前の”虚言””虚業”」で持っている世界でしかない。
 だから、あの世界観を創造し続けて来た”川久保玲&CdG”は『凄い!』となって来る。
 僕の立場で言えば、そのフェイクの仕方がどれだけ上手いのか、センスあるのか、
品があるのか、時代感を感じる、人間性を感じさせる迄のものなのか
そして、教養があるのか?売れるのか?の”視点と眼差し”で見て来たに過ぎない。
この証拠の一つは、僕が巴里の友人たちに使う言葉、“The fashions always in a fake."は
その後、僕への距離感が変る友人が居た事でも理解出来る。 

 余談ながら、あのアントワープのユダヤ人7人組たちも、
’85年に日本へ大使館経由でのショーをしに来たが
そのリアクションは散々足るもので、惨めなものでしかなかったのが現実であった。
その時、彼らが学んだのが当時の『カラス族』の流行の現実を見せつけられた事だった。
その後の”アントワープ派”と呼ばれるデザイナたちは自分たちの「育ちとしての黒」の世界を思い出し以後、彼らたちが東京で現実に見てしまった「黒の世界」が
彼ら流の『業におけるMEIZM』に変換されて彼らたちのクリエーションの根幹にもなった。
そして、時代性もその様な時代であった。

 そして、このアントワープからの帰国組も『遅れて来た,業によるMEIZM』を学んで来た、
彼らたちの願う世界の根幹である。
しかし、彼らたちが東京で活動し始める頃には、もう既に”時代は先へ”動いてしまって、
もう遅れてしまった世界でしかなくなっていた。
従って、“育ち”とは恐ろしいものである。幾ら『パクって』儲けても、
それなりのブランドに成ればなるほど結局は、“育ち”へ戻り、
又、そこからの”スタート”と言う繰り返しでしかない。
これがこのデザイナーブランドというレベルのファッションビジネスなのである。

 「僕が思うコムデギャルソンにおける『倫理観』を考えるとき、」
 海外のこのレベルのユダヤ系企業が持つ「差異」とは、
どのような事を為して、その自分たちが置かれた立ち居場所と社会へコミットするか?が
大切な眼差しとなる。
この「差異」の根幹は、日本のファッションビジネスと海外のファッションビジネス界の
相違でり、レベル差でもある、
『宗教倫理』があるか、無いかのレベルが生み出す「差異」で、大いなる相違である。

 これは戦後の日本人が失ってしまった若しくは、取り上げられてしまった現実と、
この時期の在日系の人たちの新たな社会環境への適合手段として、手のひらを返した
彼らたちの”がんばり”によった結果によるものでもあろう。

 彼らユダヤ系ファッション企業はやはり、『飴と鞭』を上手にスマートに使い分ける。
その為のお金の使い方が『上手なお金の使い方』になり、
即ち、自分たちが関係する世界社会へどのようにコミットするか、
そのセンスと行動と目的が彼らたち世界での”格付け”にもなる。
歴史を持ったラグジュアリィー系ファッション企業も美術館を持ったり、
いろいろな催事文化イベントへチャリティ協賛し、エイズ基金や多種に及ぶ基金救済への
参加、学校やファッション研究所、ファウンデーション設立等への
資金援助等々を行なっている。
 ここに、世界のファッション産業が『文化』の領域へ組み込まれる根拠と現実がある。
その内容と成果にはいろいろな意見があるが、今後の彼らたちの”たち居場所”への投資と、
この根幹はやはり『宗教倫理』へ繋がった行為でしかない。

 では、年商トータル220億円企業であり、
2/3が日本企業、1/3はユダヤ企業であるところの、今では世界企業になったこの企業、
(株)コムデギャルソンはどのようなこゝろの有り様とセンスで社会へコミットして
来たのだろうか?
ご存知であろう、コムデギャルソンは”非上場企業”で、所謂“ファミリィービジネス”系態だ。
 三宅一生も山本耀司も嘗て、”御三家”と称されたこれら企業も
未だに、同じビジネス形態の非上場企業でしかない。
そして、もう一つの収入源として、”個人収入”に直接つながる”入口”もちゃんと
別邸よろしく彼らたちは構えている。

 例えば、広島の青果店の息子がその後の事故による障害が被爆であるとされているにも
関わらず、被爆都市広島に何を為されたのだろうか?
自衛隊の音楽隊の制服のデザインは為さったと言うのに。
 一方では、倒産当時の自己資産が倒産額と同額であったのに、
自分の傲慢と怠慢で会社を潰す迄の行為と下請け工場さんを泣かせる等々。

 これらの同業企業に比べればコムデギャルソンは潔い企業である。
だが、その潔さは結局は”自分を守る”事のために、
自我と企業存続とのために潔いだけなのであろうか?
だから、「コムデギャルソンは凄い!!”」のだ。
 
 「以前、僕はこの様な提言をした。」
 海外企業の様に、『ファンデーション・コムデギャルソン』なりを設立為さって、
今後の日本のファッション産業のモノ作り、素材開発、人材開発と関係開発および、
ライブラリィー等を機能とした財団法人を設立為さっては如何なものでしょうか?と。
 これからファッションの世界に”夢と希望と憧れ”を持っている若い人たちのため、
現役デザイナーやファッション学を学びたい人たちのために役立つ知識の集積としての
自社ブランドのアーカイヴ類とライブラリィーそして、アコモデーション施設等の機関を
設立して下さい。そうすれば、今後の企業コムデギャルソンの存続にも一役も二役も
その利用価値と存在価値はあるはずでしょうと。

 ここには、彼女が好きな、“人と違った事、誰かがやらないこと”の日本初が誕生する。
そして当然、今後の日本人が世界のファッション界で大いなる可能性と自信が学べる迄の
”イメージ、テクノロジー&スキル”構造の日本発のファッション文化機関になり、
世界のファッションに関わりたい人たちのための研究所になろう。
 これが今後の日本のファッション産業には必然である。
彼女が収集して来られた本だけでも、それらを一般公開する様な図書館だけでもかまわない。
 この発想は『文化は武器だ』を実感して経験し熟知している人間にのみ限られた
選ばれた行為でしかない。
そして、今現在の日本人ファッション関係者でこれが現実化出来るのは
川久保玲しか居ないと僕は思っている。

 年商の1割程がオーナーデザイナー社長の年収とすれば、川久保玲は既に、
かなりの富豪である。
彼女の日常生活が見えない分、彼女は儲けたお金をどのように使って来られたのだろうか?
下世話なレベルで考えて仕舞うといろいろ膨らんで来る。
多分、”自分を守る”=”自我高揚と企業存続”のためと、最近では世間並みに、”健康と美容”のためにその殆どが使われて来ているのであろう。
 独りの人間が当たり前の生活を、彼女が望む様に”潔く“暮らすためには
そんなに多額の生活費は必要ないであろう。
で在るとすれば、どの様に、今後日本社会へ川久保流にコミットするかを
或いは、しないのかはもうそろそろ考える時であろう。

 多くの『コムデギャルソン症候群』なるファッション人間が誕生した。
「川久保玲の様にあるいは、そのブランド様に?」を夢や目標にして
彼らたちは未だに、『コムデギャルソンは凄い!』病に掛かってしまっている。
彼らたち若者に又、コムデギャルソン、川久保玲の辛苦を苦受させるのはもう、
”時代観”そのものが違ってしまっている、寧ろ、可哀想である。
もう既に、そんな時代は終わっている。
 
 『コムデギャルソン症候群』の若者たちが彼女の様な世界のデザイナーになりたいと
望むならば、まず彼女が構築した”企業構造とブランド構造”そのものを
学ばなければならないことを熟知するべきである。
そして、やはり、ユダヤ人と組まなければならない事は現実である。
彼らたちとの直接的な関係性を作る事である。
僕でも彼らたちとの関係性を持つことが出来たからこのような立ち居場所が持てたのである。
彼らたちとどの様な”手持ちのカード”で勝負するかである。
才能、教養、センス或いはお金、育ちそして、性格。

 彼女がユダヤ人と組んだ事によって、その後の彼女の世界は全て変革した。
彼女が創り出すとされている服作りにも、そしてそれを売る構造と目的も
即ち、クリエーションもビジネスもそして、メディア対応も変化してしまった。
で在るならば、今後、お金の使い方にも変化が在るだろう。
 今後の、ユダヤ系企業としての次なるランクを目指すためにも。
ここ迄、潔き決断をしなければこの様な世界企業へのオープンドアは至難の現実が
この”世界のファッション界”である。

文責/平川武治。
初稿/  2014年9月17日。

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