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"The LEPLI" ARCHIVES-67/ 「なぜ、今頃喋り出したのか?川久保玲- 最近の騒ぎについての私感」−3。     

初稿/平成二十四年弐月:
文責/平川武治:

 このアーカイブは、2012年1月19日付けで、朝日新聞で
ロングインタビュー「ファッションで前に進む」が掲載されたことに対しての一論である。

http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201201180360.html

6)なぜ、今発言したのか?/デザイナーの自信について、
 結論は先シーズンのコレクションが久しぶりに”凄み”を感じさせるまでの強いコレクションでメディアウケしたからである。
 先シーズンの彼女のコレクションは、久しぶりに気骨を感じさせ、凄さをエモーションにしたコレクションであった。
 お付き合いメディアは無論、他の多くのメディア関係者たちと巴里で話をしても多くの人たちが賞賛したものであった。

 *エピソード-4/ある社員の会話から、
 『僕も、今回のは凄かったです。久しぶりに社長の凄さが出てましたね。本当にこゝろに深く突き刺さった良いコレクションでした。こんなコレクションはやはり、社長しか出せないでしょう。或る意味、自分の生き様を曝け出したのですからね。』

 このコレクションに関しての僕の印象は、終った翌日、すぐに書きたくなって書き、それをお手紙として、巴里のショールームで彼女へ渡して頂いた。(参照;http://lepli.org/discipline/ #84ひらかわ式パリコレクションを論じる。/やはり、これから始めよう。CdG川久保玲/パリコレクション2012S/S-1S&S2012「こゝろ激しくも美しく、強かに悲しくも潔い女こゝろを感じ見てしまった。」
/アラカルト編-2:再び、CdG-川久保玲/『作品から商品への充分なる気使いと完璧性』 )
 此れを読んで頂ければ理解頂けるであろう。
ランウエーでのコレクションと展示会へお伺いしてのコレクションを見る眼差しを変えないといけない。
平川のサイトLePliより、その凄かった印象の冒頭を抜粋してみよう。
ここには『特異性のみが存在し、特殊性は姿を現さなかった。』
(中略)一人の女の激しいまでの、自分が求めた世界に自分らしく、
自分にしか出来ない生き方を、がんばりを挑戦し続けて来た時間を創造したのだろうか?
一人の女の生き様を、押さえきれない迄のその感情を見事なまでに“服”化しようと努めた世界であった。
否、もしかしたら今日見せられたモノはそれらは世間で言うところの、
このファッションウイークのファッション-ビクテムたちが”服”だと思っているものからは程遠い、
ただ、崇高なる次元のこの当事者にしか表現出来ないこゝろに溜まり切ったデジャヴだったのかも知れない。
(中略)差し伸べさせられた手を前に縛られた女性の象徴的なプロローグで始った。
僕は日本人であるから、”角隠し”を思うところ、覆い隠す本心、拒絶された自由さ、
それらが泡沫によって顔迄も表層を被う。
一切の”表層のボキャブラリィー”を否定、拒否する迄の真こゝろの造形。
従って、表層から集め読むコードは殆ど意味をなす迄のものではない。
このデザイナーの”魂のカオス”でしかないからである。
30年近くの当事者としての信念と自信と責任がここにはあるだけ。
決して、過去にこだわった世界だけではない。
現在に通じている総て。
 『では、女たちは自由が得られたのですか?』と言う
このデザイナーしか創造出来ないジェンダーなメッセージ。
こゝろの手足が出せない女たち。
『 やはり、これから始めよう。CdG川久保玲/パリコレクション2012S/S-1S&S2012「こゝろ激しくも美しく、強かに悲しくも潔い女こゝろを感じ見てしまった。」』より抜粋。

この僕さえ、此れ程までに高揚した”コレクション記”を翌日に書き上げた、最近には本当に珍しく素晴らしいコレクションだった。
そんな結果のため、彼女はこゝろ強く感じ、自信を持った。
その結果が、一つはこのコレクションを青山店頭で展示を行なった。
久しぶりの事である。もう一つはインタビューへ出た。
そして、最後は”月刊PEN”誌のインタビューである。
業界メディアを避けた。一般メディアを堂々と使っての王道での自己,自社PRであった。即ち、自分の”立ち居場所”の再確認とその保持である。
 それが来る3月の新店オープンへの最強のプロモーションである事を読んだ作戦である。此れが、”なぜ、今頃?”の僕の回答である。
 若しくは,彼女自身が自らへの彼女流の叱咤であるかも知れない。

7)なぜ、今発言したのか?/もう一つの自信、
 もう一つ読めるのが、この企業が新たなビジネス戦略へ打って出る為の
それなりの新しいラウンド展開のためとも読める。
前述の如く,この世界は“在庫/商品在庫と原反在庫”が儲けの決め所である。この企業もそれなりの”在庫”を持っていた。ブランドで言えば川久保玲が担当するブランドに在庫が多いのは当り前となる。
 この“在庫”減らしとして、原反在庫の方を処理しはじめた時期と
このブランドのクリエーションが”特異性”から”特殊性”へ移行し始める時期が重なる。特に、CdGブランドに於ける”特異性”は素材のオリジナル性が
大きな比重を納めていた。が、ある時期からオリジナル素材を使う事が減り始める。寧ろ、在る原反在庫を意識的にデザインによって消化し始める。
パッチワーク、染色、プリント、裏使い等によって主に、CdGH.P.ブランドで展開する。
 それに、メンズでは新たなブランド “EVER GREEN"という復刻版シリーズも何シーズンか発表をした。(’05~’09年迄)そして、オリジナル素材を使わない変わりに裏地素材等の化繊素材を多く使いはじめる。
 僕がよく言っていた、“粗利の取れるデザイン”を行ない始めた。しかし、今回はここ数年間のコレクションでは、珍しくオリジナル迄は行かないにしろ、獣毛素材も使われた。ここでの読みは、やっと、そこそこの原反在庫処理が為されたと読める。もう一つの在庫である、”商品在庫”は夫であり、CdGParis の社長であるADRIANが”ゲリラショップ”構想を持って此れを
ベルリンから数都市で展開して”現品在庫”処理に一役買った。昨年はN.Y.でもこのゲリラショップの余り物即ち、”現品在庫の在庫”商品を70%OFFと言う大きなセールを行なっている。
CdG N.Y.バーゲンについて/
http://www.hintmag.com/post/sale-alert-comme-des-garons--april-23-2011
http://ny.racked.com/archives/2011/05/06/cdg_sale.php#cdg-edited-1
 結果、この企業もやっと、“在庫”を処理出来、贅肉がシェープされたという自信もここで読める。
 そこで、次なる新しいビジネス戦略が、今春の『DOVER STREET MARKET』銀座店に賭けるヘと繋がって行く。
 
8)先シーズンのコレクションをクリニュシュェ/例えば、『全身マスク』という発想?
 僕のこゝろに突き刺さったコードも、ショーを見ている自分が川久保玲の生き様を描き出して現実、重ねてみてしまうまでのエモーションがあったからである。彼女が持ち得て来たリアリティからの”こゝろの有り様”を見せられてしまったということに尽きた結果であろう。今回はその選ばれた会場とコレクションのコンセプトも珍しく一致した会場選びであった。
 このコレクションから見ているものの何人かが川久保玲の生き様とラップさせて見てしまった結果が久しぶりに凄いコレクションと見たのである。

 しかし、展示会ヘ行くと確り今季の”トレンドアイテム”が此れとばかりに列んでいる。この凄さもこの企業が出来る凄さである。
 僕流に、今回の彼女のクリエーションをいつもの如く身勝手に深読みしてみると、基本のインスパイヤーされたものはN.Y.で昨年4月に開催された
写真展からの写真集『MASKE』それに、此れも昨年初夏に、ギリシャでの同名のファッション展覧会からのカタログ『NOT A TOY』が引っかかる。コンテンツ、『全身マスク=着ぐるみ』と言う、今の時代の若者たちの先端傾向である。服を“MASK"としての発想である。もしかしたら、3.11以降の社会現象の一つ、”マスクをしての日常性”を拾ったのかも知れない。もう少し,僕流に深読みすると、「身体=皮膚=袋」という発想を用いたかも知れない。従来の多くは『身体=肉=切る』若しくは『身体=骨=包む』というカテゴリーで成り立っていた服という構造から逃避した結果かも知れない。いずれにせよ当人からは答えは帰って来ないのであるから深読みする面白さである。
 「“含羞”にマスクをしてしまう。」此れは今の日本人にはもってこいの
コンテンツであろう。数体の具体的なディテールのインスピレーションは'98年のANTWERP ACADEMYの3年生だったANGELO FIGUS君の作品に酷似している。
 そして、全体のコレクションにまとまりあるアート性を加味したのは選ばれた3人のアーチストたちによる”被り物”であった。この彼らたちのパワーは凄い。彼らたちの作品が加味されていなければ彼女のコレクションを
より、力強い造型性溢れるまでには至らなかったであろう。
いつものS.JOHNESでなくて良かった。ここでファッション性から逸脱させるパワーが純粋に働いた。その結果が僕は『全身マスク』という発想に辿り着いた。
MASKE:http://www.amazon.co.jp/Maske-Chika-Okeke-agulu/dp/1905712170
NOT A TOY:http://www.amazon.co.jp/Not-Toy-Fashioning-Radical-Characters/dp/3942245027
参考/面白い、ためになる本屋です。
どどいつ文庫:http://www5f.biglobe.ne.jp/~dobunko/

9)再び、朝日新聞の発言について、/
 発言者、川久保玲にとっては全くの正論であり、以前からの彼女の発言と何の変わりない内容であった。強いて言えば、今回はデザイナーとしての
発言と企業オーナーとしての発言が幾割りか多く混ざっている事であろう。そして、当然であるが先述した、3月にオープンする銀座店のプロパガンダの一つが盛り込まれている以外は新しさが読み込めない。 
 発言-1/
「すぐ着られる簡単な服で満足している人が増えています。他の人と同じ服を着て、そのことに何の疑問も抱かない。服装のことだけではありません。最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています」
 
 そんな事をおっしゃいますが、ブランド"PLAY"は如何なのですか?
 ブランド”PLAY"はこの企業内でも確実に仕分けされたテリトリーによって作られているブランド。川久保玲のテリトリーではないブランドであり、
此れが新たな世代へ広がり,この企業の売り上げを伸ばしている所謂、
急成長ブランドである。このブランドが今後、この企業CdGを救うブランドとなり得る。このブランドには従来からのこの企業が発信していない可能性を発信し始めることが出来る唯一、可能性があるブランドである。
 今、巴里や世界のラグジュアリィ-ブランド企業が”ビジネス目標”にしているのに、アメリカ発の世界ブランド、”ラルフローレン”のビジネスがある。アルノー系列のラグジュアリー系列も昨年来、本格的にこの路線を”巴里
テイスト”というパルファンを振りかけて始めている。
 ここにはモノとしての”服”を売るのではなく彼らたちが提案したいある
クオリティとテイストとスタイルの”世界観”をビジネスにして来た
アメリカ特有のブランドエクイティである。モノや服だけではなくそれらが生み出す関係性としての環境や空間、生活レベルと生活様式そして、人の出会いも考慮し、どの様に提案し、まとめるための物販アイテムであり、それらを売るためのブランドである。
 此れが今の”保守の進展”しかない時代性にマッチしている事から、
この企業の世界レベルの売り上げがH&MやUNQLOに次ぐビジネスを達成しているのだ。此れに気が付き始めた本家ラグジュアリィ-ブランド企業が目標として、追随し始めている現実が今のパリのファッションビジネスの新しさであり、面白さである。

 即ち、今後のこの企業の進展性をユダヤ企業の一端として考えれば、
このブランド"PLAY"を軸とし、”ラルフ-ローレン”化する事である。
ブランド"PYAY"はこの戦略に対応出来る、この企業唯一の未だ、此れから“生活観”生活臭さ”を肉付けしてゆける可能性があるブランドであるからだ。
 昨年、8月25日付けでやはり、川久保玲がWALL STREET JOURNAL紙でインタビューを受けている。いいインタビューだとの評判のもので
タイトルが、
”The Comme des Garçons design visionary breaks her silence to sound off on the continual chaos of fashion.”
 しかし、発言している内容は変わらず、川久保玲にとっては全くの正論であるが残念乍ら、彼女の真こゝろは見えず,日本人らしさまでもが感じられる”リアリティ”は読み取れない。
http://online.wsj.com/article/SB10001424053111903918104576500263503794504.html?KEYWORDS=Rei
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 発言-2/
「世界中のいろんな情報がすぐ手に入る時代ですから、組む相手も探しやすいし、理解もされやすくなっている。それに、ひとひねりした表現の方がファッションとして成り立ちやすく、人の気持ちを浮き立たせます。ファッションはもはや洋服だけを意味しているのではなくて、音楽でも絵でも生活用品でも、新しいことはすべてファッション。インターネットショップにはない刺激が味わえると思います」

 新しさとしてのビジネス的なる発言がここにはある。
この発言によって、今回のインタビューが僕には全て、従来からの
”商売のためインタビュー”と感じてしまった。
 この発言が今までには発言されない強さがあったのだ。
ここにも”特異性”から”特殊性”への変化が読み取れる。
前項と視点が被るが、川久保玲がテリトリーとしているブランドとは、
”生活観”が滲み込まない程の前衛性と人と違う事が売りであったはず。
 そこには”生活観”が感じられない事が前提とされていた。その証しとして、彼女は喋らず、自身の生活臭さも消されてしまった戦略でここまでやって来たはずだ。
(ここで、#65の、雑誌”anan”の発言が納得いく。
資料ー1/”アンアン”/8.28(No.297号/1981年発行)による。
"私生活 川久保玲"/自分の匂いのするものは他人に見せたくない。)

 その当事者である川久保玲からは、この発言から本当は彼女の生活観や
家族観等、実際に何を大切にこゝろしてして生きているのだろうか?
彼女が今という時代にどのような生活をしているのか?
愛猫アパッチは元気なのだろうか?どの様な本を読んでいるのか?
どんな所へ旅をしているのか?どんな音楽に嵌っているのだろうか?
どんな展覧会に感動したのだろうか?等などの質問と返事が大事な、
“川久保玲”を知るための関心事であり、人間”川久保玲”ってどんな人だったの?が一番興味ある時代性であろうし、此れが現代である。
 ここにも,インタビューアーとで作られた距離感を感じる。
彼女が作られたイメージで語るよりも、持ち得た”エピソード”で語ってくれる苦情の方がより、親密性と念いを感じる。現代とはこんな時代なのです。
 もう、作り固まった虚像よりも持ち得たリアリティからの自分にしかない”エピソード”の方が聴く人のこゝろへ、或る種の安らぎを与えるまでの”エモーション”を感じる時代性である。
 zozotownの売り上げもこのような時代性になればこの企業にしても
それなりの売り上げを稼いでいるシステムとなっていますよね。

 この業界紙出身の朝日担当記者のインタビューもこの辺から川久保玲を
語らせればもっと、新鮮で面白い切り口のそれこそ、”特異性”溢れるインタビューとなっただろう。

 オマケ-1/コムデギャルソンフランスSAS社長のAdrian Joffeのビジネス戦略とは、
 ’92年に結婚した Adrian Joffe氏はそれまで巴里のCdGH.Pで働いていた人である。’93年のCdGH.P.コレクションでユダヤ人たちの小さな殆ど、
コミニティ新聞にその一文が載ってから事の発端が始り、周辺のユダヤ系
一般紙が騒ぎ立てた事件が起った。それは、彼女のコレクションがユダヤ人収容所のユニフォームからインスパイヤーされたもので、ユダヤ人を侮辱しているとまで騒がれてしまった。この事の騒ぎを彼自身、ユダヤ人である、Adrianは表面に立って、川久保玲を一切表層へ晒し出さずに一件落着、無事に納めた。この功績が認められた。
 この一件は妻、川久保玲の信用を勝ち取り、ファッションゲットーの口
うるさいジャーナリストたちからも賞賛を得る結果であった。此れは日本のメディアがいつもの如くプレス発表の侭に騒ぎ立てたが、ユダヤ人社会に於いては、本来は"Just, The welcomes show."のノリであった事。
どの様に事を沈めるか、お手並み拝見の類いの殆ど洗礼式的なる行事の発端であったのだが、日本では大袈裟になってしまった。
 が、ここで彼は妻からと、世界のファッションゲットーの連中からと、
大切な”2つ”から信用される結果を貰ったことになった。
 この川久保玲の夫、Adrian Joffeのインタビューサイト、hypebeasでの
インタビューは必読である。
http://hypebeast.com/2011/01/adrian-joffe-the-idea-of-comme-des-garcons/

10)最後に/『もうこの辺でよかろう。』
 『もうこの辺でよかろう。』この言葉は西郷南州が城山で亡くなるときの最後の言葉である。
 或る意味では、『足るを知る』と言うタオの言葉にも通じるであろう。/老子:老子道徳経[33]
 多くのファッションビクテムたちが川久保玲のインタビューに関心を
寄せ、いろいろな意見が交わされたと聞く。これ自体、僕はとても良い事だと思う。しかし、この企業にしても、原発事故の際のメディアの対応とその報道の仕方と同じで、自分たちの”立ち居場所”確保とその優位性を自分たちのお友達メディアをターゲットに巧く、上手に巧妙に利用しているに過ぎない。その現実を知る努力も、学びもしないで、一流と言われている日刊紙の家庭欄に載ったインタビューを読んでのあれこれは、所詮、同じ穴の狢でしか無いと感じる。
 まんまと思惑にのせられてしまった人たち、だから、僕は彼らたちを
”ビクテム”と言うのです。まだ,こんな生き方をカッコいいとしてイキがっている人たちが世界にも、”ファッション-ムラ”人間が沢山います。
 僕は見ないでいい所まで見てしまいました。

 ただ、モノやブランドがウケる時代からそのものが作り出す環境や空間が、雰囲気が大衆にウケる時代性がここには有ります。
 かれこれ10年以上も昔になってしまった、CdGの伊勢丹メンズ館の
リニューアルの時に川久保さんからの依頼で売り場のコンテンツ考えた時の発想はこれを感じはじめた時代性から生まれたものです。
 その後の『DOVER STREET MARKET』の展開も、今回の銀座店も同じ
時代性の元での発想であり、決して最新の考え方では無いでしょう。
 が、ピンでウケる時代性が終わったという事は現実です。
この新たな時代性を逆手に”構造化”しませんか?だから、ブランド『play』が面白いと言うのです。

 ただの新しさとは、”奇新さ”でしかない”特殊性”です。
新しさをこゝろの有り様の行為として作り出す事が即ち、
自由なこゝろの置きどころが生み出すものが“特異性”です。
 その自心のこゝろの有り様にエピソードを入れ込む事によって、
その“特異性”はエモーションを与えることが出来ます。

 これが先シーズンのCdGのコレクションで一番感動を呼んだ所でしょう。誰もこのような事は明言しません。このブランド、このデザイナーの為す
仕事を解った振りしておく事がそれなりのビクテムな連中の立ち居場所の
確保になるからです。そして、このブランドものを着る事でより、この凄いデザイナーの近くに居れる様な錯覚でファッションを解っていると思って生きているからです。
 此れでは,足下を完全に読まれてしまった試合ですね。
このブランドはこの様な人たちの”踏み絵”と言う立ち居場所をも日本では
長年の努力とがんばりによって、確保した、やはり、”凄いブランド”ですね。だから、日本のファッションの世界では、遅れて来た変わらぬ
ファッションビクティムたちの踏み絵としての、ブランドCdGでしかないのです。

 「川久保さんは1年の内に何回”針と糸”を手に為さるのでしょうか?」
僕の結論も、「彼女の作る世界を見るともう、”完結”してしまっている。
でも、”所帯”を切り盛りするのに一生懸命、無理をしているのは確かね。」です。

 今、女性デザイナーが前に出,活躍しています。
フィービー-フィロ、ステラ-マッカトニー、ベロニック-ルロアたち,
特に、先鋭な世界を作っているのは,セリーヌのフィービー-フィロです。
彼女たちが耀いているのは今の時代のリアリティを生きているからです。
 もう,残念乍ら川久保玲からはそのリアリティが見えなくなってしまっていること、見えるのは,実業界である世界のファッションビジネスに於ける社長としての姿がこのインタビューでしょう。 

 確りと、今回は“DOVER STREET JAPAN" と言う営業別会社を設立しての
銀座店オープンへの決断は“ビジネスの成功。会社が儲かりたい。”ため、
これは変わらぬ,この企業の根幹レベルでしかない。
 即ち,企業コムデギャルソン(株)が儲かるため、存続のため結果、
自分の”立ち居場所”をユダヤ人世界でも確保出来る。
このため彼らたちに、『上手にお金を使う。』

 川久保玲さま,『600人の社員のため』だけではなく,
これからの日本のファッションを担う多くの若い人たちのためにも
最後に、ご提案です。
 どうか『The Comme de Garson Foundation』を設立為さりませんか?
後世のためにも。
 ご一読,ありがとう。
合掌:
文責/平川武治:
初稿/平成二十四年二月三日:鎌倉にて。


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