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"The LEPLI" ARCHIVE 138/『シアーリングエコノミー(共有型経済)の根幹として、「分かち合いのためのデザイン」を考える。』

文責/平川武治:
初稿/ 2015年12月11日:
写真 / The rhizome in BAMAKO,MALI:

 プロローグ:
 
 『スエーデン語に「オムソーリ」という言葉が在る。
本来的意味は、「悲しみの分ち合い」である。
 人間は悲しみや優しさを『分ち合い』ながら生きて行く動物である。
つまりは、人間は『分ち合う動物』である。
 『分ち合い』によって、他者の生も可能となり、自己の生も可能となるのである。
しかも、『分ち合い』は他者の生を可能にする事が、自己の生の喜びでもあることを
教えている。

 人間の生き甲斐は、他者にとって自己の存在が必要不可欠だと実感できた時である。
『悲しみの分ち合い』は他者にとって自己が必要だという生き甲斐を付与することになる。
 そこで、”共同体”のように社会を組織化するという思想も考えられます。
つまり、”共同体”の中では”共同体”の構成員に任務が配分されるように、
社会の構成員にも任務が配分されなければならない。
 ”共同体”に在っては高齢者であろうと、障害者であろうと、誰でもがかけがえのない能力を持っている。しかも、そうした能力を”共同体”のために発揮したいという欲求も持っている。
そうした欲求が充足された時に、人間は自分自身の存在価値を認識し、幸福が実感できる。
 これが『分ち合い』の思想である。
 もう一つ、スエーデン語の「ラーゴム」という言葉があるが、この「ほどよいバランス」という意味も『分ち合い』と根底で結びついている。
 極端に豊かになることも、極端に貧しくなることも嫌う”ラーゴム”は、社会の構成員が
人間らしい生活を営むように、『分ち合う』ということを意味するからである。』
 出典/『「分ち合い」の経済学』/岩波新書/神野直彦著:

 「ヒィッピィー・コミューン」と「分かち合いの経済」の共通点、/
 戦後、70年を経て、資本主義形態もやっと、変わり始めた。
物質的豊かさの中で生まれ育った世代たちが気がつき始めた新たな価値観と新・生活必需品、
PCを使い熟し始めたて”情報の量とスピード”を駆使した、アルゴリズムとA.L.がもたらす
「第3次産業革命』から生まれ育つであろう彼らたちの「新しさ」が確実に次世代の
『前衛/The Avant-Garde』を触発させ、「新しい普通」を生み出す。
 ここでは決して、「モノの前衛」ではなく、「コトの前衛」である。

 しかしながら、その彼らが望み始めた未来觀の価値の根底にはあの’60年代の
「ヒィッピィー・コミューン」の思想が感じられるのはなぜなのだろうか?
ほぼ、半世紀を経て、新たな世代たちが求め始めた”新しさ”としての「新たな価値観」は、
「シアーリングエコノミィー/共有型経済」と「ヒィッピィー・コミューン」思想の間で
考えられる二つの共通項の「根幹」とは、「豊かさの分かち合い」あるいは、
「豊かさの循環」であり、そこに共通する環境とは「豊かさの中」で生まれ育った者だけが
行為可能なる”価値観”であろう。 
 そこで冒頭に紹介した「オムソーリ」という言葉が印象に残る。
この思想はもう一方では、かつての「ピコ協定/1916年」に端を発する宗教紛争と移民紛争で仕立て上げられた「テロ問題」への根幹の、”人間倫理”にも共通するはずである。

 本来、日本人の生活の中には此の様な、”島国共同体”で生きて行くための、自然や風土との『分ち合い』のこゝろがありました。
「真こゝろ、謙虚さ、思いやり、弁え、腹八分目、不義にして富まず、、、」等、など。
自我を拡大しそして、自我を自分の世界観、価値観の元に、”無”にする迄の心のあり方です。
 そこに『分ち合い』のこゝろの在り様が自ずと謙虚に顕在するでしょう。 

 『自心で自心を豊かにする』/ 
  『自心で自心を豊かにする』と言う道元のことばが好きですが、
これにはいつも知的な,人間的なる好奇心と責任が伴うでしょう。
たとえば、旅をするも、瞑想に耽るもその大いなる術だったでしょう。
 『豊かなる難民』化し始めている日本の現実を考え始めると、
もうそろそろ、『日本印の日本』を想う”こゝろと國体”を意識した時代を
皆さんの世代で築き上げる事をお考えください。

 この手始めは、「日本にあって、世界に無いもの」に意識を持つことでしょう。
「外国にあるものを探し出す文化」は「文化の普遍性化」に導くだけであって、
「外国コンプレックス」あるいは、「白人至上主義」でしかありません。
かつて、戦後間もない頃にイギリスの陶芸家、バーナード・リーチが来日していった言葉、
 「日本に無いものは何もありません。ただ一つないものがあります。それは「日本」です。」
これはその後、半世紀、戦後の消費社会を構築してきたパワーだったのです。
 僕が帰国して想う日本らしさの大切な一つに『湿り』があります。
この”湿り”は自然界とそして、日本人の心の中に存在しているものです。
この”湿り”によって、日本の美しさ、艶やかさがあり、日本人の躾と美意識がありました。
そして、僕たちの自然が、季節感が、想い合うこゝろが存在し続けます。

 『分かち合いのためのデザイン』とは?/
 僕は今、「分かち合いのためのデザイン」を考え念い込んでおります。
その根拠性は『共棲資本主義』。
国を念い分かち合う。
自然を慕い分かち合う。
そして、人間を想い分かち合う。
共に、自由なるクオリティオブテイストでみんなで寄り添って,
分かち合って生きて行ける様な
もう少し、「こゝろと身体に穏やかな社会構造」のためのデザイン観です。
 男のエゴ、女のエゴそして、人間のエゴだけのデザインはもう、20世紀でいいでしょう。     「あらたな明日をみんなで、愉しく幸せに生きたいね!!」
そんな明日のために、”昨日のゴミ”を残さないためにも、
昨日の事ばかりを自らの自我と、”昔取った杵柄”を苦労話とともに話をしても、
何も感動しなくなった、こゝろまでへも響かなくなった彼らたち若い世代達と
その時代性を謙虚に考えられるデザインが、「分かち合いのための」時代ですね。

 「モードの世界も、」/
 ”ヒューマンテクノロジー”と”サイエンステクノロジーの
僕たちらしい新たな調和と融合の世界を考える事も大切な現実。
モードの世界も、素材は勿論ですが、ミシン以外のテクノロジーでこれを考える
余地がまだ新しさとしてあります。
 多分、時代は少しずつこの方向へ動き始めています。

 「エピローグ」/
 僕たちは女であり男でありそして、人間なのだから
『人間』を可能性豊かに信じ敬うしかありません。
どうか、そのような人間を信じ敬い、自分の國を想うこゝろと共に、
「明日のための新しさを」いっぱい妄想してください。            相安相忘。
盛夏、巴里にて。

文責/平川武治。
初稿/ 2015年12月11日。



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