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"The LE PLI" ARCHIVESー19/  「自らが『豊なる難民』にならないように  身に付けるべき視点、ー”セルフ・コントロール”のためのセルフ・バランスサーを意識してください。」

初稿/2007-秋記。初版/2008-03-04:
再稿/2021年04月15日:
文責/平川武治: 

 今日のインデックス/
 ◯映画「ライフ イズ カラフル」を見る。/令和3年5月11日寄稿;

1)「自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき、『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが必要になり始める時代性とは。」
2)『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』/T.Hajime 
3)“The simple is best.”、再び。
/「モノの初源」に戻りたい志向の始まりか?;
4)本当に今のパリの少年たちは可愛い。/スケボーキッズたちに取っては、”輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。”だろうか?;
5)今のEUは景気はそこそこいいようだ。
/その影響から”ダブル-スタンダード”と言うコンセプト;

 ◯はじめに、映画「ライフ イズ カラフル」を見る。/
  僕は鎌倉で遅まきながら、P.カルダンとブランド”P.カルダン”の映画「ライフ イズ カラフル」を見た。「’68MAY」以後、新たな時代が誕生し始めたパリとファッションビジネスの関係がP.カルダンを通して、このタイトルの如くカラフルにキラキラに息づいていた時代を証明する映画であり、彼のビジネスにおける”先見の明”を証明するかのように、ファッションビジネスの二つの新しさを、一つは、”オートクチュールからプレタ・ポルテ”を誕生させたこと。もう一つはブランドの”ライセンス”によって”デザイン契約ビジネス”と言う、当時では全く新しいファッションビジネス形態を誕生させた。彼の新しモノ好きな元気さと商才とディレクションの巧さと凄さをそして、当時の”ゲイコネクション”が見ることができた映画で楽しかった。実際、この”P.カルダン”ブランド登場以後、パリでも、そして日本でも70年代デザイナーたちの大半は、K.ラガーフェルド、S.リキエルを始め、日本ではイッセイミヤケや山本寛斎、コシノジュンコたちが、自分の作りたいものを作るための”資金作り”に「ブランドライセンス」を主軸にした”デザイナーライセンスビジネス”によって現在に至っている。
 このライセンスビジネスの有名な祖型は”シャネルの香水”であった。戦後、彼女は自分のメゾン再建のための資金を”シャネル NO.5”をアメリカの化粧品メーカーとのライセンスビジネスによって賄い尚かつ、儲けたことがこの世界の誕生となった。
 僕がこの映画で知りたかったことがあった。それは、”メゾンC.DIOR”において当時、先輩と後輩関係であり、ゲイであった、”P.カルダン”と"YSL"がどのような仲だったのか?だったのですが、彼らたちの関係性を示すようなシーンは殆ど無く、僅か、ワンシーンでしかなかった。P.カルダン曰く、「クチュールから高級既製服を生み出したのは僕が早かったヨ。」そしてあともう一つ、彼の日本における”ライセンスビジネス”の”右腕”であった故 高田美さんがどのようにこの映画で取り扱われているか?だったのですが、これは見事にスルーされていて、とても残念でした。彼女がいらっしゃらなかったら日本における”ブランド P.カルダン”の現実と勢いはなかったでしょう。映画を見終わって、ふと、思ったことは、「P.カルダンにマスクをデザイン依頼したら、どのようなマスクをデザインしただろうか?」だった。(是非、やって欲しかった!)
 そして今回、この13年前のARCHIVE原稿を読むと、「COVID-19」以後個人の生活の営みにおいて、新たな”セルフ コントロール”がまた求められ始め、そしてそのための”バランサー”も模索され求められているようです。例えば、ヨガは無論のこと、最近ではスケートボードを利用するサラリーマンの登場も然り?
 現代はこの当時とある種の”同時代観”を感じるのですが、やはり今回の根幹は”三密”ゆえ、かなり”コンサヴァティブ”な”セルフ バランサー観”を感じてしまう時代性なのでしょうか?
 僕は新たな生活の営みが始まることによっての、たくさんのチャンスの到来が今だと、ポジティフに感じている一人なのです。その為にも、P.カルダンにマスクをデザインして貰いたかった!
 ファッションデザインとは至って、ポジティフなバカ陽気が”トキメキ”を生み出す一つでしょう! 
令和3年5月11日寄稿。/

1)「自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき、『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが必要になり始める時代性とは。」/

 まず、 ”豊かなる難民”とは? ”豊さ”を求める事から始まった戦後の日本人の生活目標が既に、”物質的なる豊さ”を豊かに享受しまった現在の消費社会の主人公は彼らたちである。
 現代の東京という都市が構造化してしまった“CONSUMING-DECADENCE"の中で彷徨い、戸惑いながらもなお、”モノの豊かさ”の消費へ走る”豊かなる難民”が増え始める。そんな彼らたちは、自分たちが辿り着き始めた”テリトリー”を守る事、保護する事そして拘束するまでもの”自分の自分化”がこの難民の避難すがた。その結果、モードは”自分の自分化"で『PROTECTION/PROTECT』することが装いの”ユニフォーム”になる。
 そんな彼らたちが目覚める時とはいつなのだろうか?その時に彼らたちは何を大切に考え守るのだろうか?その兆しが今、少しずつ社会のリアリティーとして現れ始めている事に気付こう。

2)『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』/T.Hajime:
 友人である立花肇君。グラフィックデザイナー+元"プラスティック" オリジナルメンバー。彼と出逢ったのはもう35年以上も前、最初の出会いは’70年だったと記憶している。その頃の彼はナイーフな美しい少年の後半期であった。そんな彼を昨年、在る若人たちの雑誌で本当に久しぶりにインタビューをした。その時彼は既に50歳。その彼が、『今、僕が嵌っているのがPISTO自転車なの。』と、自慢げに言い放っていた。その時の彼の言葉で気になったのが、『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』だった。
 PISTO自転車はブレーキが無い。車輪とスポークとサドルとハンドルだけ、各パーツが自分たちの好みでアッセンブリッジ出来る、メカ・シンプルな自転車である。ちなみにこの時、肇くんは車体のパイプを透明アクリル棒仕様に、イタリーへオーダーをしていた。言い方を変えれば、“美しいメカもの”だ。ブレーキが無い所がこの自転車の特徴であり機能であり醍醐味であろう。
 彼らたちの『世界大会』と銘打たれたPISTOの競技会を代々木公園前へ深夜に見に行った事もあった。YOPPIY,HIROSHIそして、HAJIME、彼らたちと本場とされているサンフランシスコからも来ていた。京都の僕の友人たちがやっている『風』と言う自転車集団たちも参加。大半の日本人組たちのPISTOは美し過ぎて壊れそうな印象を持った。外国人組たちのPISTOはボロボロで使いこなされて安心に乗りこなして来たように想えるものばかりだった。
 それから1年も経たないうちにこPISTO自転車は元ウラ原系を中心にしてブームになった。ウラ原を歩くと、これ見よがしに自分たちのショップ前に美しすぎるPISTOが立ち掛けられ始めた。これも、”ヒロシくん効果”!分析好きの僕はすぐに、『これはスケボーと同じだ!!』と言う答えを出す。それで、肇君がいった言葉にやっと繋がってゆく。
 自分自身の身体性と五感と体感が頼りの遊び(?)であり、”バランス”のスポーツである。自分自身の判断力と責任だけで、自分の自由の裁量に身体を委ねる事で総てがコントロールされる路上での遊びである。美しすぎるマシーンはミニマムな板と同じなのである。即ち、ボードをマシーン化したとも言えるのがPISTO自転車。東京では大人男子たちが嵌っている。彼らたちも『バランサー』が必要なのだろう。セルフコントロールのための『バランサー』しかも、”ミニマム”な。
 大人になっても少年こゝろを忘れたくない遊びこゝろを持つ大人たち、彼らたちも輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。いくつになっても、その光に憧れ続けている。多分、「輝き続けたい”ストリート キッズ”たち」。いつの頃だったであろう確か、80年代の半ばの時代で在っただろう。スケ・ボー、サーフィン、ウインドー・サーフィンが、それに自転車がブームになり始めたことを想い出した。 
 ある時代には「POWER」のスポーツが、そして、ある時代は「チームワーク」なゲームがそして、このような『セルフコントロール』のための“セルフ・バランサー”がゲーム化され社会化され、スポーツになり必要になる時代性。今と言う時代性もこの状況を想い出してしまった。自分たちがより、自分らしく自由の裁量に、身体性をも委ねてセルフバランスを取るための『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーでプロテクトし過ぎたことに気が付き始める早熟な若者たちと、少年のこゝろを持った男たちがこの兆しを見逃さない。女性はこのバランサーを自らの身体の中に持ち備えているから強い。
 モードには,この”バランス”がトレンドとなってあらわれるシーズンが多い。今シーズンのモードはそれで代表される。着た女性の体つきを分量に依る新たなバランスに作り出すことが、”時代の新しさ”へ通じる一番の手法になってもう2、3シーズンが経つ。そこに、P・ポワレ(1903年)が登場する時代性も面白い。
文責/平川武治:平成19年10月執筆分:

3)“The simple is best.”、再び。
/「モノの初源」に戻りたい志向の始まりか?;

 例えば、東京の街では”和物ブームからピストと呼ぶシンプルな自転車”。
また、豪華に見える触覚が違う食材を組み合わせたケーキの横に、最近ウケているのがシンプルな『ロール・ケーキ』。これは、「モノの初源」に戻りたい志向の始まりか?
”トゥーマッチなものからシンプルなものへ”、見え透いたもの、装飾過剰なまでのものの本質を観てしまった彼らたちは案外と良心的なる世界へ目を向け始めているようだ。
 前春のプルミエールビジョンでも、“ETHIC"(倫理的)というまでの言葉がこのモードの世界でも使われ始め、少しでも社会に貢献出来るようなものの買い方をしませんか?というまでの想いが始まり、“NU  AUSTERITY"という一種の、ありのままの姿に厳しさを持ってというコンセプトも一般化し始めているのも現在の特徴だ。
 日本では、言い換えればやっと、巡り回って来た”和魂洋才”の現代版”洋魂和才”化が読めるのではないだろうか?自分たちの知らない物としての日本の古いものから始まって、出来るだけ過剰なものを排除したものへの志向性、“The simple is best.” その結果が、”シンプル/フレッシュ/イノセント/フラジール”などへ結び付くベクトルを感じよう。

4)本当に今のパリの少年たちは可愛い。/スケボーキッズたちに取っては、”輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。”だろうか?; 
 14、5歳なのだろうか? 彼らたちが、一昨年の秋、モードの世界へ影響を与えたスリム・ジーンズをはいてコンバースにちょっと、ロンゲ。
7:3に少し掻き分けカールされたヘヤーは今彼らたちの中での流行り。
 街では『PARANOID PARK』と言う映画が懸かる。タイミングがいい。
スケーボー少年の物語、監督はGAS VAN SANT. 以前作の『ドラッグストア・カーボーイ』、『マイ・プライベート・アイダホ』を含むポーランド3部作の第1作目だ。イノセントでナイーフな今の時代観をそのまま携えた彼ら、この早熟な街で、都市で生きてゆく彼らたちは自分自身の存在そのものをアンテナにして時代の、社会の歪みから生まれるノイズをいつも敏感にピュアーに読み取ってしまうまでの早熟性と未熟性を持ち合わせている世代の『恐るべき子供たち』であろう。未だ固まっていない知恵と早熟で不安定な五感を持って彼らたち、スケボーキッズたちは小さな、ミニマムな板切れ、ボード上で自分の身体を張っている。自分を自由にして、自分らしく生きてゆきたいがために。自由の裁量に総てを委ねミニマムな自分の領域、ボードの上で輝こうと、スケボーキッズたちに取っては、”輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。”だろうか? その光に憧れる。

5)今のEUは景気はそこそこいいようだ。;
その影響から”ダブル-スタンダード”と言うコンセプト/

 そこで暮らしている人たちの表層はやはりOPTIMISMだろう。
その結果がこの巴里のこれからが新たなる消費者クラスの登場による“CONSUMING - DECADENCE"への進展が読める。でも、彼らたちは決してこの表層に満足はしていなく、寧ろ危機感をも感じ始めている事は明らかだ。その影響から”ダブル-スタンダード”と言うコンセプトもこのモードの世界に現れ始めたのが先シーズン。例えば、“LIGHT=SHADOW"、 "OUT-SIDE=IN-SIDE"、 "UP-SIDE=DOWN-SIDE"等は先シーズンのトレンドになった。L.V.の裏地に凝る、前後の異なるデザインDRESS UP & DRESS-DOWNなコーディネート。大人の中の少女。だから、映画”VERGIN- SUICIDE”が気になる。そして、”スピリチュアルリズム”。この流れは日本でも”精神世界”へ憧れ”ヨガ”や”ベリーダンス”が静かなブームへ。また、ワンピース志向へも。
 そして、もう一方では『LIGHT』な部分としての飽きない『虚飾の上塗り』作業も変わらぬこのモードの世界のリアリティー。これらをどのようにバランス良く日常性の中へ、そこで暮らして行くかのための、より『豊かな日常性』の継続化と『クラス化』を望み始め、そのための『バランサー』も必要になり始めたのが現在でしょう。
 時代は、日本的「豊かさ」が一段落し始め、自らが『豊なる難民』にならないようにと身に纏うべき『セルフ・コントロール』のための”セルフ・バランスサー”を探し始めたようだ。だから、スケートKIDSやピスト、ヨガやダンスなど、バランス感が必要なアイテムに夢中になる大人たちが登場するリアリテを感受してください。
 そして、”TATOO"もこの頃から世界的ブームになり始めたことも一つの視点だろう。
文責/平川武治:
初版/2008-03-04 記:
再校正/2021-05-15:

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