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"The LEPLI" ARCHIVES-70/ 中川幸夫先生、 こゝろの傷みとともに お悔やみを申し上げます。平川武治;

文責/平川武治:
初稿/2012年4月10日:

三日前に、そのとても辛い悲報を知った。
 中川幸夫先生、
先生、どうか安らかにそして、おおらかにご成仏下さい。
向こう側の世界で変わらぬ、あの童顔なまでの美しい笑い顔と
大きな笑い声で
ご自分のおこゝろの有り様に正直に全てを新しい天の元で
華の美しさとともに
暫くはごゆっくり、穏やかにお眠り下さい。 

 ありがとうございました。
本当に、豊穣なるお時間をありがとうございました、先生。

 僕のような者へ決して多くはない、
その全ての一つ一つの先生のお言葉が今、不思議と自然に僕の軀中に
漲り、たいへんに真こゝろ深く悲しい想いに落ちる。

 エルメス東京店での展覧会にお伺いし、お会いしたのが最後だった。

 僕は先生に不躾な、たいへん失礼で悪い事をしてしまったと言う
こゝろの有り様を引き摺っている。
 それは”COMME des GARÇONS/川久保玲”に紹介した事である。
 
 その結果、後に立ち上げられた先生の公式サイトの展覧会リストからは、
”COMME des GARÇONS/川久保玲”との接点が
全て、削除されてしまっている事に気が付いたからだ。
 
 僕は先生にお詫びとお話を伺いたくなり、丸亀へお電話を掛けた事があった。

 もう、この真意を
先生のおこゝろを直接にお伺いすることが出来なくなってしまった。

 ”COMME des GARÇONS/川久保玲”/’97年春夏のコレクションが原因であった。
 このシーズンの川久保玲のコレクションはその直前に、彼女が、
中川先生と出逢って居なかったら創造出来得なかったコレクションだと
僕を含めて数人の人間は感じてしまったからである。

 僕は今でもショーが始まって数分の内には、
その冷たいものがこゝろから軀中へ流れ込むと言う体験を憶えている。
(この辺りの事は以前、STUDIOVOICE/http://studiovoice.jp/?p=4586で書いた。)
 
 “ここまでやる人なんだ。”
と言う一言しか咄嗟に思い浮かばなかった。
以後、僕のような者でも川久保玲像が変質してしまった事も
確かな後遺症である。

 このショーが終わって先生とご一緒の帰途の事を変わらず思い出してしまう。
 『あんな歩き方では駄目だね。』
これが先生の唯一言おしゃった、ショーに対しての直接的なお言葉だった。

 このお言葉を見事に補足するかのように
直後に、独りの現代舞踏家が自分の世界観を新たに生み出している。
“マース・ カニングハム-ダンスカンパニィー”が
そのドレスの形骸性からテーマを産み出しコスチュームに使う公演をした。

 身体が異形の人間が歩く事、座る事、食べる時、寝る時、日々の行程に
本来どのような不具合さや苦痛を生じるのか?
日常生活に於いて、どの様な”負”の部分をもたらす事であるか、
決して、”表層”のみの、目に見えているだけが世界ではない。
全てが真こゝろに通じている、
究極、先生が伝えたかった真意?若しくは根拠はここだったのであろう。

 その結果が、中川幸夫公式サイトの展覧会リストから
”COMME des GARÇONS/川久保玲”が完全に抹消された。

 真意をお伺い出来なかった自分への勇気のなさと愚かさだけが
また一つ、こゝろの滲みになってしまう。

 華の季節が広がり始める頃と言うのに、
 どうか、中川幸夫先生、ご成仏下さいませ。
合掌。
文責/平川武治:巴里、オルシェット街にて。
初稿/平成二十四年四月十日。

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