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役割について

ー 2023年8月 ー

京都盆地の不快な暑さに耐えかねた僕は、逃げるようにして北陸の実家に帰った。
京都駅舎を鱗のようにびっしりと覆うガラスが、激しく照りつける夏の日差しを同じようにギラギラと反射させている。人でごった返す構内。定刻を約3分ほど遅れて2番線のホームに滑り込んだ新快速電車は呼吸をするように、家族連れや半袖のワイシャツを着たサラリーマンといった人の群れを規則正しく一通り吐き出し、北東の方に進む僕たちを取り込んだ。時期が時期と言うのもあって、滋賀の中部あたりに差し掛かるまでは席に着くことができなかった。吊り革とお土産の派手な紙袋で塞がった両手のために満足に汗を拭くこともままならずに、ただ車窓の外を流れる木々や不規則に配置された住宅街や日光に乱反射する琵琶湖の水面なんかを感情もなくぼんやりと見つめていた。

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北陸=雪国のイメージを持つ人は少なくないだろう。
確かに冬になるとそれなりに積雪して一面が銀世界になるし、しぶきをあげて荒れる日本海からは冷たい風が横から暴力的に吹き付ける。しかしそれはあくまで”冬”の話で、日本の多くの場所がそうであるように、夏は同様に暑い。先ほど冒頭で「逃げるようにして」と書いたが、実際のところ逃げた先でも同じように茹だるような暑さが待っていることには変わりはないのだ。
そんな訳で、僕は、「夏、北陸の実家に帰省」することは風鈴の音色を聞いて涼をとったりするのとほぼ同義だと思っている。「北陸」という、いかにもそこは凍てつく大地ですというような字面がひんやりとしたイメージを人に抱かせて、気休め程度に涼やかにさせてくれているだけなのだ。
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それはさておき、久々の帰省である。
以前別記事にも書いたが、僕の実家にはお盆の少し前に従兄妹の家に親戚一同で集まってバーベキューをするという恒例イベントがあって、子供の頃なんかは美味い肉を腹一杯食えて、ジュースを飲みながらみんなとワイワイ遊べるその一日を毎年心待ちにしていた。
しかし、人は皆歳をとる。
成長するに従って部活やら仕事やらでみんながそろって参加できる機会は減っていき、皆勤賞だった当の僕も参加できない時があったり、そもそもみんな忙しいからそれ自体が行われなかったりという年も出てくるようになった。そんなバーベキューが、今年は開かれるのである。
「やるから予定教えて」という母からの短いLINEを受け取った際に思わず「よっしゃ」という声が漏れてしまうほど僕は嬉しかった。
幸い僕はお盆のどの日程も都合がついたし、他の家族もみんな予定が合うようで、一部参加できない人もいたがほぼフルメンバーでの開催となったのだ。

当日。
僕は父の運転する日産NOTEの後部左座席に座っていた。春に納車したばかりの新車で、黒に統一された真新しい内装の匂いが鼻に心地良い。
あの頃は父の80年代の洋楽オムニバスがかかっていたが、今は高画質なカーナビのモニターに、夏の甲子園大会が映し出されている。窓の外には深緑の湾に挟まれた日本海。画面の中で白球を球児たちは追いかける。体格の良い私立高校の5番打者が打ち上げたフライが右翼手の縦長なグラブに収まる。甲高い打球音のあと、彼が見上げた甲子園上空の青色は遠く離れた海にも溶ける。彼は目の前の試合に夢中で、そんなことを考える由もない。

車は親戚の家に着いた。
伯父と従兄が手を振って迎えてくれている。彼らに会うのも幾分久しぶりだ。家の前には庭と畑がある。色彩の渦。花と野菜、葉の瑞々しい緑が我こそと自らを主張している。
玄関前にはすだれが立てかけられている。入ると伯母と祖母が笑顔で出迎えてくれた。
「ほんま暑いなあ。よう来た。よう来た。」

仏間に行く。右上を見上げると、僕が幼い頃に他界したモノクロームの祖父がこちらに微笑みかけている。線香をあげ、手を合わせる。いつも見守ってくれてありがとう。

外に出ると、僕を呼ぶ伯父の声がする。
バーベキューの場所を整えるのである。納屋から重い七輪を一輪車に乗せて運んだり、すだれを垂らしたり、火を熾したり。
地元の原発関連の技術者として定年まで勤め上げた伯父は博識で、いかに火を効率よく付けるかについても熟知している。そんな彼の指南のもと、白いプラスチック製のうちわを扇ぎ扇ぎ、滴る汗もそのままに作業を続ける。
しばらくすると、従姉が子どもを連れてやってきた。この子達に会うのも楽しみの一つだった。彼らにもしばらく会えていなかったので、人見知りするかと思っていたけれど、杞憂だった。車を降りるなり僕たちの元に走ってきて、名前を叫びながらバシバシ体を叩いてくる。「火熾しとるから危ないで」と言い遠ざけようとするが、その手荒いスキンシップが嬉しくもあり、あまり強く言えない。
小さい子どもの成長は凄まじく、しばらく見ていない間に難しい言葉を喋るようになっているし、体も健康的に成長しているしで本当に目を瞠る。「子どもは元気なのが1番」とよく言うが、本当にその通りだと思う。彼らがギャーギャー言いながら庭を駆け回っているのを見ると心から嬉しくなる。

気づけば、いつの間にか焼き網の周りに全員が揃っていた。
各々、適当なところに座り、適当な飲み物を手に持っている。火を熾していた流れで、僕がそのまま肉や野菜などを適当に焼き始める。
肉の脂がところどころ白くぼやけた炭の上に落ち、食欲をそそる音を立てている。火力が強いので、あっという間に焼ける。みんなの紙皿に、トングで振り分けていく。自分の分もちょっとだけ取る。
従兄妹と他愛のない話をする。片手に銀色の缶ビールを持って。

ふと、不器用な箸の持ち方で肉を頬張る子ども達を見る。「美味しいか?」と聞くと、にっこりとして「うん」と頷く。
その笑顔を見ていると、僕は少年になり、伯父と父が缶ビール片手に肉を焼いているのを横目に見ていたいつかのあの日に戻っている。伯父や父や従兄が、焼いた肉を中辛のタレが入った僕のお皿によそってくれたあの日。鼻腔を抜ける肉の匂いと炭の香り。甘い炭酸と脂の混じったあの味。
そうだ。
この記憶は僕のものであると同時に、今のこの子たちのものでもあるんだ、と思う。その記憶のために僕は肉を焼いているし、みんなの皿に肉をよそっているし、従兄妹たちとビールを飲んでいるんだと。
いつの間にか家の近くには知らない人の新しい家が立っているし、みんなビデオカメラじゃなくてスマートフォンを向けるし、いくらかシワが増えたり白髪が増えたりしているけれど、スーパーのお肉はちょっと固いけど美味しいし、大きいクーラーボックスに入ったジュースやお酒はキンキンに冷たいし、タレは中辛なのだ。

あの日肉を焼いてくれた伯父と父は、ノンアルコールビールを片手に談笑していた。従兄妹も弟も、ちょこんと座った肉嫌いの祖母も、伯母も母もみんな笑っていた。
僕にはそれが嬉しかった。

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