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さっきまで一緒にいました【短編ホラー小説】

数年前の出来事です。
当時、私は大阪から電車で2時間半ほどのところにある海辺の田舎町に住んでいました。
夕日の美しいことと、温泉宿と海産物しか名物のない、小さな町です。

あれは8月末の暑い日のことでした。
昼の3時ごろだったと思います。
仕事を終えた私は、駅から家に向かって一人で歩いていました。

駅前のエリアを抜けてしばらく歩いていくと、古くて大きな蔵が建ち並ぶ場所に入ります。そこら一帯は日陰が多く、真夏でも涼しい風が吹き抜けるので、夏の日差しで疲れた目や体にはとても心地よい場所です。
その日は一段と蒸し暑かったこともあり、私は古い蔵の前の石段に腰を下ろして、水筒に残った最後の水を飲み干すことにしました。
汗を拭い、ほんの一口分だけ残った温い水を一気に口に含んだ、そのときです。

どこからか、控えめな女性の声でこう話しかけられたのです。

「神社へはどうやっていけばいいのでしょう」
 

声の主を探して辺りを見渡すと、2mほど先にある崩れた塀と塀の間の、周りより一層濃い影の中に人が立っているのが見えました。
よく見るとその人は真夏の昼間にはそぐわない長袖の黒いワンピースを着ていて、ウェーブした栗色の髪をハーフアップにした、若い女性でした。
ひと目見て「あ、この辺の人ではないな」と思いました。

「どうかしましたか?」と声をかけて立ち上がり近づいていくと、その人はゆっくり私の方へ顔を向けて少しだけ微笑みました。
こちらに顔を向けて微笑むその女性は、なぜか目を瞑っていて、両手のひらを塀に付けてとても不安そうに立っています。
「大丈夫ですか?」
「すみません、私、目が見えないもので」


これを聞いて、私は明らかな違和感を覚えました。

この辺りでは見かけ無いこの美しい女性は、おそらく電車か車を使って遠くからこの町に来たのでしょう。にも関わらず彼女は、この目の見えない女性は、杖どころか荷物ひとつ持っていない。1人で不安そうに、今にも崩れそうな塀に両手ですがりついているのです。
この人は、一体どうやってここへ来たのでしょうか。

私は彼女に尋ねました
「失礼ですが、おひとりですか?どなたかとはぐれたとか?」
すると彼女は少し考えてから「はい、少し前まで一緒でした」と答えました。
「警察を呼ぶ必要はありますか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「神社に行けば、その、どなたかに会えるんですね?」
彼女は頷きます。

警察は必要ないと言うのなら、深入りしない方がいいのだろうと私は判断しました。しかし、こんな目の見えない不安げな女性を知らない町にひとり置いてどこかに行くなんて、どういう了見なのでしょう。
私は腹立たしさを感じながら、とにかく早く彼女を神社まで連れていこうと決めました。

「手を取ってもいいですか」と言うと彼女が手を差し出したので、私はその手を取りました。
「私、一人で歩いたことがなくて」と彼女は言いました。
彼女のどこか浮世離れした様子からして、それも有り得なくは無いな、と思いました。


彼女と出会った場所から4.5分歩いたところに、目的の神社があります。
その神社は人形供養で有名で、境内には色んな種類の人形が溢れんばかりに並べられています。
何かの理由で神社に持ち込まれた人形たちは、順次お祓い供養をしたあと敷地内の焼却炉で焼かれます。

神社の中に入ると、そこまで私に手を引かれていた彼女が、急に私を追い抜いて自分からズンズンと歩き始めました。私は驚きながらも彼女の勢いに押され、ただ手を引かれてついて行くしかありませんでした。

石段を上がって本堂の前へ出ると、境内に並ぶ無数の人形が皆こちらを見ているような気がしました。
彼女は本堂の前を早足で歩きまわります。私は彼女が時々躓きそうになるのを支えながら、黙って一緒に歩きました。

しばらくして彼女が立ち止まったのは、今日これから焼かれるために並べられた、お祓い済みの人形の前でした。
その人形たちの前で、女性はしばらく何かの匂いを嗅ぐような、聞き耳を立てるような仕草をしていました。
そして不意に私にこう尋ねます。

「この中に、目の無い子はいますか?」

見ると、確かにいました。
両目のところに糸だけが残った抱き人形が、端の方に置かれています。
黒のワンピースを着て、栗色の髪が綺麗に整えられた美しい人形です。

「いますよ」と言うと、彼女は安堵したような、それでいて少し悲しそうな声でこう答えました。
「そうですか。…よかった。とっても可愛がられてたんですよ」

「はい。よくわかります」


我々はそこで別れました。



その夜どうしても気になって、人形のお焚き上げが始まる時間にもう一度神社に行きました。
しばらく探し回りましたが、彼女はもうどこにもいませんでした。

彼女は、ちゃんと成仏できたのでしょうか。
自分の体が焼かれるとき、何か感じたのでしょうか。
ずっと一緒にいて、最期まで見届けてあげればよかったのではないかと、今も後悔しています。

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