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努力してる人を笑うようになったのっていつからだろう

世の中でよく言われてることで意味がわからないのが、「真面目w」みたいな感じで真剣に考えて発言する人を笑うのと、「陽キャ」を嫌ったり頭が悪いかのように扱うのと、「意識高いw」て言って笑うのと、「お気持ちw」「自分語りw」みたいなやつ。

真面目で陽気で意識を高く持って、自分の言葉で語れる人の方が良くない?

お気持ちも何も、自分が思ったことを文章にして出すことから創作は始まるし、それで自分が見えてくるし、他人に理解されるんじゃないの?
自分を説明することもせずに「わかって欲しい」も何も無いし。
文章の出来不出来とかは書いてくうちに変わってくるもんでしょうよ。まず考えや気持ちを書いて出していくところからじゃない?
自分語りもお気持ちも出来ないなら、誰一人エッセイも自叙伝もコラムも書けないよね。

あと「なにこれ自己啓発本?」つって怪しみながら「人とどう付き合えばいいんだろう」とか「生きづらい」「自己嫌悪」とか言って悩んでる人。

その怪しんでる本に解決法が書いてあるんじゃない?とっくの昔にそういう悩みの答えは出てるんだよって思う。
そりゃ中にはひたすら怪しいのとか内容の薄いものも沢山あるけど、しっかり「人間は誰しもこれで悩むけど、答えはこれじゃない?」てのに向き合ってる本もいっぱいある。

本は、めちゃくちゃ賢い人やすごい経験をした人の話を聞くことが出来るツール。普通に生きてたら話すことが出来ないような人たちと数百円、数千円で話ができる。
色んな人が色んなことを語ってて、何冊も読んでるとどこかで繋がってきたり、自分の中で何かが掴めてきたりする。
それを自分のなかで纏めて人に話したり、書いたりすることで自分なりの考えが形作られていく。
そうしてるうちに少しずつ自分なりの意見や哲学を持つことができるようになってくる。
知性ってのはそこから産まれてくるものだと思う。

その過程を「真面目w」とか「お気持ちw」「意識高いねぇw」つってバカにするのってどうなんだろうね。
前回のエブエブの感想にも近くなるけど、変化せずに他のみんなと同じでいることで安心しようとするのって怖いよね。
てか、意識低くて不真面目で暗くて自分の気持ちも言葉にできない人で居続けるのが、なんで正解なのかね。
わかんないわ。

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