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イモを揚げろ!

実家から救援物資がやってきた。大量のぶどうとコメとトマト缶とタマネギとイモがダンボールに広がる。とりあえずコメは1番インスタントな食料としてありがたい。ぶどうもここ数年フルーツというのは貴族の食品と化しているので、タダで摂取できるのは米兵にチョコを貰う戦争孤児みたいな気分になれて愉快だった。

タマネギも適当に切りまくりチンして炒めてトマト缶と合わせて煮込めばパスタソースとしてお手軽戦力となる。タマネギとトマト缶さえ有れば世界中でメシ食えちゃうなあとうっすらと思う。外国圏でトマト食べれない人々はほぼ死刑宣告も同然なのではとふと心配になってしまう。

問題はジャガイモである。上記のトマトソースにぶち込むという選択肢もあり得るがなんか飽きる。そして狂ったようにジャガイモだけ在庫が余るという事態にもなっている。俺はこういった救援物資を貰った時にはなるべく買い足すことをせずに鉄腕DASHの0円食堂(アイドルが乞食するって凄いよね)の如く、きっちりとキッチンと冷蔵庫に現存する食材で凌ぎたくなってしまう。

イモを蒸してもなんか戦時中のようで味気ないし、イモを日々消化し続ける生活というのは凄まじいストレスとなってしまった。いっそのこと芽が出始めてソラニンだらけになれば毒された穢れとして堂々と廃棄できるが何故かそんな気配も起きていない。神はイモを食い尽くせと宿命付けているようである。

追い詰められたイモの有効消化の方法として「揚げる」に辿り着いた。要はフライドポテトである。切り方によってはポテトチップスにもなるし、ファーストフードのホクホクポテトにもなる。こんな厚みだけで料理のバリエーションが出せる食材はない。サイコロにカットして片栗粉を塗して整形したものを揚げるとあの朝マックでしか味わえないハッシュドポテトへとスタイルチェンジすることだって可能である。

そしてチンしたイモを殴り続けマッシュ状に変化させた後に揚げるとなんちゃってコロッケにもバケるのである。揚げるという調理法は無限大の可能性を秘めている。ジャガイモなんて火を通さなければ石化した地面みたいな味しかしないのに、ここまで食い物として成立していくのは奇跡としか思えない。保存も効くという点では凄まじい食材である。早く食べ尽くしたい。ここまで褒めといてなんだがもう勘弁してほしい。

そろそろ食材の物々交換というカルチャーが復活して欲しいものである。俺は今大量のジャガイモを保持しているが、貨幣経済の昨今では所有するイモに金銭的価値はない。カロリーとして消費するぐらいしか意味を成さない小さなボールである。紙切れよりも食えるボールが万能性を持たない時代って益々不思議である。紙切れですらも最近は実態を持たずにデータとして数字の羅列でしかないフォルムチェンジっぷり。イモを持ち歩く時代は既に終焉を迎えていたのである。

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