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「開発学」 とは何か?

初対面の人に、「イギリスで開発学を学んでいます」と言うと、ほぼ必ず「その学問は何ですか?」と尋ねられます。日本では、まず耳にすることがない学問であり、その名前からは学んでいる内容を想像することもできないからだと思われます(時々、IT系だと思われます... たしかに、システム開発って言うけれど)。ただ、説明を求められてもなかなか一筋縄では行かないのが、この学問の面白いところです。

開発学(development studies)とは、どのような学問でしょうか?

University of Sussex で、3年近く開発学を学んでいますが、未だに「これだ!」という答えには辿り着いていません(もう、辿り着けないんじゃないかとも思います...)。

ただ、悩んでいるのは僕だけではありません。アンドリュー・サムナーも、マイケル・トライブも、ロバート・ベイツも、ジョセフ・スティグリッツも、ダンビサ・モヨも、ウィリアム・イースタリーも、ロバート・チェンバースも、ウォルト・ロストウも、サミュエル・ハンティントンも、ジェフリー・サックスも、ケイト・ラワースも... 以下省略、 皆んな、「開発とはなんぞや?」という問いにぶち当たっています(僕は、ぶち当たって粉々に砕け散っていますが、彼らは賢いので頑張っています)。

今回は、この「開発学とは何か?」(あるいは、「開発とは何か?」)という壮大な問いについて、先人の知恵を借りながらゆるゆると考察していこうと思います。

1. 開発には、3つの意味がある

まずは、『国際開発学入門 -開発学の学際的構築-』 (2009) の序章で行われている開発を巡る議論を追っていきます。さて、初っ端から「開発」という概念は一つには収まりきらないという、アンドリュー・サムナー & マイケル・トライブの主張です。

彼らは、共著である "International Development Studies: Theories and Methods in Research and Practice" の第1章で、「開発」を3つの意味に分類します。

1. 構造的社会変動の長期過程としての開発
2. 望ましい目標に向かっての短期的・中期的結果としての開発
3. 西欧的近代化に対する代案としての開発

1. には、経済、政治・制度、精神における近代化が含まれています。2. は、UNDP や World Bank など世界の開発コミュニティが力を入れる分野で、具体的には MDGs や SDGs などの「成果」が焦点になります。3. は、開発とは単一で一本道の軌跡であるという考えを前提とした、西洋の支配的な言説に挑戦するということです。

2. 開発を一言で表したい

サムナーとドライブの議論は高く評価されていますが、なんとか、この「開発」という概念を一つの表現に集約させることはできないでしょうか?

スチュアート・コーブリッジ("Development Studies: A Reader" (1995) と "Development" (1998) を出版)は、「開発学を知ることのできる一冊の本などない​」としながらも、Michael Todaro, "Economic Development" (1977) を推薦書として挙げています。現在は、ステファン・スミスを共著者として迎え、『トダロとスミスの開発経済学』となった同書では、「開発」の定義について、

「社会や社会システム全体を『より良い』『より人間的』な生活に向けて持続的に向上させていくもの。より良い生活のための手段を、社会的、経済的、制度的措置を組み合わせることによって確保した社会における、物質的現実および精神的状態の双方を意味する」

としており、生活必需品の供給自尊心自由 の3つを、中核的価値基準の基本要素として設定しています。さらに、デイビッド・ゴールズワーシー(アフリカ政治研究から出発したオーストリア政治学会会長)は、

「社会変容と違って、開発には好ましい価値を実現するプロセスという価値観が入っている。」「開発には下位と上位の2つの目標ないし価値がある。下位目標は、大衆消費社会、所得再配分などの具体的な社会状況を指し、上位目標は、自由、尊厳、自立、正義、平等などの抽象的価値で表現される」

と述べています。この、コーブリッジとゴールズワーシーの2人に共通していることは、「貧困撲滅」を、所得貧困をなくすという中・短期的目標から、物質的・精神的な貧困を生み出す構造全体の変革に拡大しているということです。

これを象徴しているのが、国際連合で初めて南の諸国代表だけで構成される委員会で作られた「南」委員会調査報告書 "The Challenge from the South" の開発定義です。

「開発とは、人間がその潜在的な能力を具現し、自信を育て、人間としての尊厳と充足の生活をすることができるようになる過程である。開発は人々を欠乏と搾取の恐怖から解き放つ過程である。開発は政治的、経済的あるいは社会的な抑圧から解放する運動である。植民地からの政治的な独立がその本当の意味での独立になるのは、開発を通してである。開発とは成長の過程であり、本質的には開発途上国にある社会の内部から湧き上がる運動である。」

3. 開発学の特徴

ここからは、"A Radical History of Development Studies: Individuals, Institutions and Ideologies" (2006) を基に、開発学の持つその特徴を考察していきたいと思います。

これまで見てきたように、開発研究とは一言では形容し難いもので、例えば、同書の冒頭には、次のような記述があります。

「開発研究が、様々な解釈の余地があり、論争の的になることは、関連する学術機関、協会の関係者の間で進行中の議論を見れば明らかである。"開発研究とは何か"、あるいは"開発研究とは何であるべきか"については、それが主に学術的な研究なのか、政策や実務との関連性を重視しているのか、特定の認識論や方法論を持っているのか、また、開発研究が学際的なものであるかどうか、といった意見まで、 多様な見解がある。」

さらに、”そもそも、開発学は学問なのか”という根本的な問いもしばしばなされます。"World Development" (2002年) に掲載された記事が、これに答えています。

「開発学が比較的新しい学問分野であることもあって、例えば経済学や地理学と同じように、 開発学が別個の学問分野であると主張することはできないという点で、 全般的に合意がなされている。むしろ、開発研究は学際的であり、異なる理論体系、概念的・方法論的枠組み、政策の関連性や実際的な意味合いの理解に関わるものである。このように、異なる学問分野からのアイデアの借用と応用こそが、開発研究の特徴である。」

開発学は別個の学問分野ではないという合意がある、とのことです。確かに、Sussex の教授も似たようなことを言っていた気がします...

さて、上記で議論されてきた、「開発学とは何か?」「開発研究の特徴とは何か?」をまとめると、

「物質的・精神的な貧困を生み出す構造全体の変革を理論と実践の立場から、学際的に考察する学問」

とでもなりましょうか。なかなかいいまとめのようにも思えますし、多くが欠落しているようにも感じます...が、一学部生にできるのはこんなところまでです。

最後に、University of Sussex の開発学科でコアテキストとして採用されている、"Introduction to International Development: Approaches, Actors, Issues, and Practices" (2009) のチャプター1から、お気に入りのフレーズを引用して終わりとします(個人的には、この一文が「開発学とは何か?」を最も端的にかつ本質を突く形で表しているように感じます)。

国際開発の研究は、人間の福祉 (幸福) に関連して世界に見られる多様性と、世界の人々、社会グループ、国家、経済・政治システム、地域を比較したときに現れる共通パターンの両方を説明することを目的としている。

〈参考文献〉

・大坪滋, 木村宏恒 and 伊東早苗, 2009. 国際開発学入門.

・Haslam, P.A., Schafer, J. and Beaudet, P., 2009. Introduction to   
 international development: approaches, actors, and issues. Don Mills:
 Oxford University Press.

・Kothari, U. ed., 2019. A radical history of development studies: Individuals,
 institutions and ideologies. Zed Books Ltd..


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