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「ICT と 開発」 (前編)

2014年の夏、フィリピンセブ島の北部に位置するダーンバンタヤンという小さな村に、Habitat for Humanity の学生ボランティアとして訪れました。目的としては、前年にフィリピンを襲った巨大台風 "ヨランダ" によって甚大な被害を受けた村のコミュニティの再生(という名の、住居建築のお手伝い。しこたま土を運びました...)。今になって思い返すと、この時の、たった2週間ばかりの経験が、僕の中で開発学に対する熱烈な興味を掻き立て、大学を中退してイギリスへ... という流れを生んだのですが、現地で村人と過ごす中で、一つ気付いたことがありました。それは、ほぼ全員が携帯電話を持っていたこと。朝は、電話で誰かと楽しそうに会話しながら作業場に現れて、昼休憩にはせっせとメールを返し、滞在の最終日には、数名がメールアドレスを尋ねてきました(ちなみに、帰国後にメールを送るも返事はなく... 皆んな元気かな)。

今でこそ、途上国において、生計を立てる上で携帯電話が重要なツールの一つであると理解ができますが、当時は、「途上国の、しかも辺鄙な村で携帯が普及しているなんて!」と衝撃を受けたのを覚えています。以来、”携帯(もしくは情報 or ICT)と開発” についての関心が細々と持続していましたが、この度、少し学ぶ機会があったので、軽くですが「ICT と 開発」について、まとめてみたいと思います。

1. 情報は権利

2016年、世界銀行が発行した年次報告書の中で、「情報は人々の行動の中心であり、そのアクセスは発展に不可欠である」、という見解が提示されました。1998年にも、"Knowledge for Development" というテーマの年次報告書が発行されていますが、18年後に同機関は情報について、より踏み込んだ提言をしたことになります。さらに、「インターネットへのアクセスは、基本的な人権の一つとして考えられるべきだ」という主張も登場しました。

つまり、現在において、情報へのアクセスは基本的人権の一つとも言える、ということです。

そして、ICTs (Information and communication technologiesという概念が注目を浴び始めるわけです(この文脈でのICTsとは、コンピュータやインターネットに限定されず、ラジオ・テレビ・電話・土着の情報伝達システムも含まれます)。

2. そもそも、"科学技術"とは何か? 

ICTs の前に、そもそも "科学技術" とは何かについて、少しだけ考察したいと思います(情報の送受信も、突き詰めれば人間が発展させてきた科学技術の一つです)。

「科学技術は、"技術と知識を応用して物事を成し遂げる、科学と芸術である "と考えられています」(Smillie, 2000: 69)

ほえー、って感じですが、まあ、つまり、科学技術の利用には、それなりのスキルや知識、さらにはそれを稼働させるためのインフラや設備なども必要だということです。もっと言うと、イケてる科学技術をせっせと運んできて、ドンとそこに置くだけでは、不十分だということでもあります(ダメ、ゼッタイ)。

そして、このことを考える上では、”適切な技術” という概念が重要です。
経済学者である、Fritz Schumacher(フリッツ・シューマッハ)は、”適切な技術”について、以下のように述べています。

「適切な技術とは、それが意図されている地域社会の環境・文化・社会・経済的側面を特に考慮して設計された技術であり、これらの目標を念頭に置いて、全体的なコストを削減し、環境への影響を少なくするものである」

もう少し具体的に言うと、

1. 使用される環境文化経済的な文脈に適している
2. 一般的に、必要とする資源が少なくコストが低く環境への悪影響が最小限である
3. 地域の人々の既存の知識を活用し、地域の天然資源を利用している

ということです。これは、現在の社会で声高に叫ばれている持続可能な開発に通ずるものがありそうです(SDGsしか勝たん!)。

3. 技術的決定論 vs 社会的決定論

もう少し横道にそれて、技術と社会がどのように関わり合うのかを見てみます。これには、有名な2つの立場があります。

A. 技術的決定論
技術が社会に影響を与え、変化させると主張する立場
B. 社会的決定論
人間や社会の在り方こそが技術の在り方を決定し、その関わり合いの中で社会は変化していく

例えば、アラブの春。役割を果たした主な技術は "Twitter" であり、最終的な変化は民主化でした。これを両方の立場から見てます。

A. 技術的決定論
Twitterという科学技術によって民衆の声が拡散され、最後には民主化という社会変化を達成した。
B. 社会的決定論
民主化の要求の高まりが、市民社会の中で声を拡散させる "Twitter" という科学技術を求めて、最終的に社会は変化した。

たぶん、こんな感じです。ちょー簡単に言うと、「技術が社会を変えるのか、社会が技術を求めるのか」ということでしょうか...

4. 科学技術と開発

なかなか ICTs にまで辿り着きませんが、科学技術と開発がどう結び付くのかについても、言及しておきたいと思います。

「多くの科学技術は、所得を増やし、人々の健康を向上させ、より長く生き、より良い生活を楽しむことができるようにし、彼らをコミュニティに完全に参加することを可能にするということで、人間開発のために使用されます」(UNDP, 2001: 27)

なんだか、良い事づくしですね。適切に科学技術を使うことで、人間開発が促進されるということですが、もちろん、反論があります。

「すべての科学技術は、重荷であり、また祝福である。」(Postman, 1992)

この端的な表現は、科学技術が持つ功罪を非常に的確に表しているように思えます。

歴史の中には、人類の発展の方向性を変えた技術の例がたくさんありますが、それは、必ずしも良い方向に向かうとは限りません。技術は近代化や物質的進歩の指標とされることが多いですが、同時に新たな社会的対立を生み出してきました。

第一次産業革命時には、イギリスにおいて、機械化により職を失った熟練工による機械の打ち壊し運動(ラダイト運動)が起こり、社会に混乱をもたらしました(現代では、IT化に反対する "ネオ・ラダイト" が注目されたりしています)。

さらに、科学技術は、武器の発達やその輸送に貢献し、結果として欧米列強による植民地化を後押ししました。

まさに、科学技術は、人類にとって祝福であり重荷であったのです。


(後編)に続く...(ICTs の話は次に...)

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