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私が救急を目指した理由


はじめに

早くもGWになり、時の流れの速さを感じるこの頃です。
今回は趣向を変えて自分が今の科を志望した理由を書いていこうと思います。

医学部に進むべきか

私の高校は県内でも医学部進学の多い高校でした。高校一年生のころは体感で1/4が医学部志望という環境にいました。
小さい時から人の役に立てれば何でも良いと考えていました。当初は生物(特に有剣類)と有機化学が好きだったので、材料科学の分野に進みたいと思っていました。
医学部自体も選択肢にはありましたが、医療を行うことの責任を抱えきれないと思っていました。
よく「自分は血を見るの苦手だから」と言い訳していました(医学部志望と大きく言えるほど、頭が良くなかったのもありますが…)。

OB講演での出来事

転機は高校2年生のときのOB講演でした。
県内で救急医として従事する先生の話を聞きました。高校時代から医師になるまでの過ごし方や医師としての仕事が主な内容でした。
救急に関することで素人ながらカッコいいと純粋に思いました。ほかの同級生は受験のことや高校時代のことを聞いていました。
最後の質問になったときに、勇気を振り絞って手を挙げると私が指名されました。
「働く中でどうしても救えないこともあると思います。そうした場合にどのように乗り越えていますか?」
今思うと割とひどい(答えにくい)質問だと思って未だに反省します…。
その先生は少し考えたあとに答えてくれました。
「うまくいかなかったことはありますし、今でも怖いと思うことがあります。それでも働き続けないと救えない命があるので、ただ前に進むしかないと考えています。」
高校生の自分としては意外な答えでした。救急医でも怖いと思うことがあるのだという驚きと、救命への想いを感じ取りました。
高校生相手ですから、もっと耳障りのいいことを答えても良かったと思います。今思うと救急医だからこそ、緊迫する経験が多くこの回答になったのだと思います。医師になった今ではこの言葉の意味が十二分にわかる気がします。

今の医局との出会い

奇跡的に医学部に進学することができ、大学1年生になります。
入学したてのときには志望科を聞かれることが多いです。
大概は内科か外科かざっくり答えたり、決まっていないと答えることが多いですが、私は救急と答えていました。(周りからは変わっていると、あとから言われました…)
大学の取り組みでBLSを学ぶ機会があり、そこから今の医局と関わるようになりました。学生の間から顔を出すような変わった人間でしたが、別け隔てなく接してもらえる雰囲気がよく入局するだろうとなんとなく思っていました。(5年生の段階ではもう入局することになっていたみたいです…)
入局した今でも自由な風土が好きで働き続けています。

おわりに

春になり新しく入学や研修を始めた方も多いと思います。
初志貫徹ではじめから同じ科を志望するひとはあまり多くない(むしろ変わることのほうが多い)と思いますが、一つのキャリアとして参考になれば幸いです。

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