南国の伸びやかな熱帯植物たちのなかで思うこと|タペストリー交換日記 021
ゆうこさん
シアトルから東京に戻ってくるだけでも一仕事だったのに、辿り着いたら着いたで、今度は「さあて、これからどうしようかしら?」って思った去年の夏。あれから、まさに大人のじぶん探求を半年くらい続けた結果、マレーシアに1週間出張に来てるよ。うふふ、かなり面白い展開でしょ!
人生本当に分からないね、というか、先が見えない人生を創る変な自信がついちゃったよ。アメリカから今度は日本よ!って思ってきたら、いきなりアジアへ!という展開。
でもこれもね、ゆうこさんが前に聞いてくれた、嵐の中で立ち止まるっていうことをしてたからだと思うの。
自分一人の変化だけじゃなくて、家族みんながいろんな変化を経験して、そこにはそれぞれの感情の波もくっついてきて、大波小波がやたらいろんな方向から来て、常に渦が出来てるみたいな日々で。やっぱり大変なんだよね、トランジションって。
そんな状況の中での私のマントラは、もうこれ一つ。
自分のコントロールできることだけに集中すること。
自分ではどうにもならないことは手放すこと。
簡単に聞こえるけどね、この線引きができるだけで本当に楽になる。だから普段からよく見えるところに貼ってあるんだ。
そして、分からなかったり見えないことが多い時は、周りの信頼できる人たちに頼ってみる。自分で一生懸命頑張っても見えないのに、周りの人の方が自分の道しるべをあっさり知ってることもあるから。
私ね、マレーシアでも引き続き大人のじぶん探求してたの。気づきの一つのきっかけになったのが、街の中にもさもさとしている植物たちの存在。
クアラルンプールの街の街路樹は、私にとって馴染みのある観葉植物だったりして、それがものすごくのびやかに生きているのよね。やっぱりこの子たちは、こういう南国からやってきたんだなあと実感した。と同時に、私がこんなに伸びやかに生きれるのはどこなのかしら、って思った。だってシアトルで大切に育ててたテーブルヤシも、ゴムの木も、こっちだと見上げるほどの巨木なんだもの!
で一つ思ったのが、アメリカっていう舞台が与えてくれる精神的な自由や伸びやかさもあったんだけど、アジアに来てみると、同じアジア人だからこそ特別視されることがないからか、もっと等身大になれるのかもって思った。背伸びしなくていい気持ち。いろんな説明をしなくてもいい楽さ。
もさもさと、ただ大きくなればいいっていうものでもないのだけど、自分がもっと大きくなれるとしたら、それはどんな条件があるところなのかなあって考えて生きていきたいなと思ってる。
そして大きくなるっていうのは自分にとってはどういうことなんだろうって。
いまはね、クアラルンプールである人から言われたことが、ヒントになるかもって思ってる。
そして、そういう活動をしているときが、私もあの南国の木のように、堂々と、申し訳なさも一切ないような在り方でばーんとしてるのかもって思ったよ。
太平洋渡ってきて、先に何があるかわかんなかったけど、少しずつ進めばいろいろ見えてくるものだね。
ゆうこさんは今のお仕事も慣れてきて、ヨガのルーチーンも毎日に組み込まれたリズムが出来てきてて、私にみたいにぐるぐるしてないように見えるけど、最近はどんなこと考えてるの?
またお返事待ってるね!
けい
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