感情を受け入れ、現実と付き合っていくための、祈り。原爆の日、終戦記念日、8月という月に際して。

8月6日広島原爆の日、8月9日長崎原爆の日、8月15日終戦記念日・・・8月は、七十余年前、日本が戦争に負けた月でであり、その末期に尊い命が数多く奪われる惨劇が起こった月であり、いまなお大きな傷跡を現代に残しております。

鎮魂の日は、全国各所で式典がおこなわれます。あらためて、犠牲になられた多くの方々に心よりの哀悼を捧げます。

この日は、鎮魂の一日であると同時に、さまざまな人の思惑が交差する日でもあります。静かな祈りを捧げている横で、ぎゃあぎゃあと大声をあげ、政治主張のデモをする人々がいて、心が波立つ日でもある。
子供の頃、厳粛な式典のときは静かにしていなさい、と親御さんから教わらなかったのでしょうか。
とはいえ、比較によって幸福を得てはならないとはいえ、彼らの姿を反面教師としている自分がどこかにいるのも確かです。

「パフォーマンス」は耳目を集められれば勝ち。
しかし「バズりゃなんでもいい」というような品のない生き方だけは、絶対にしたくないものです。迷惑系youtuber、なんてのも一時期話題になりましたが、実際相応の社会的制裁を受けた例もあるわけだし。

いまいっとき、どうしても心が収まらないのなら「ろくな死に方しないぞ」「バチがあたるぞ」と思っておけば良いでしょう。彼らの栄養は人の関心であって、荒らしには反応したら負け。
粛々と通報し、存在を認知すれども相手にせず、対処は専門家(公権力、サイト管理人)におまかせする事が肝要です。

しかし、己の感情に酔っ払うのはほどほどに。
そのままにしておくのは、おすすめしません。いったんその感情が己の中にあることを認め、それをどうするかは別途考えるべきことです。
これについての詳述は、記事を改めて書かせていただきます。

大きな災厄の前に人は無力であり、死の縁はいつでも身近にある恐怖です。
その恐怖、負の感情にあてられてリズムが狂うと、人はおかしな行動に走って道を踏み外す。恐怖を抱えて生きていくには、ひとりでは余りに寂しい。
たちまち飲み込まれかねません。

喜怒哀楽、どんな感情でも、娯楽になりえます。
脳や煩悩にとっては、心が動けば何でも良いみたいです。
何が悪かを判別することは一人ではなかなか難しいですが、そういう場合はイニシアチブ(皆の合意、中央値、一定の価値観)、私で言えば浄土真宗・・・から学んでいくしかないのでしょう。
負の感情は、一人では抱え込まないことです。亡くなられた方のご縁を通して皆で祈ることで、その感情で荒れた心が少しでも癒やされればと願います。

さしあたっては、亡くなられた方の死の御縁を機として、祈りを通して己を顧み、ぜひご仏縁をより豊かに育んで頂いて。
そのひ今日いちにちだけでなく、何かと悼むことの多い8月だけでなく、これからも日々、「初心わするるべからず」。
今日いちにちの、有り難い気持ちを忘れないで、日々おつとめしていきたいものです。

なまんだぶ、なまんだぶ・・・

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