全く同じ日常は存在しない

『PERFECT DAYS』を見た。
心を大きく揺さぶる映画では無い一方で
深く静かに震わせてくれる映画だった。

主人公の平山は何を感じ、何を考えていたのだろうか。
平山はトイレ掃除と穏やかなの日々の中で何に気持ちを動かしていたのだろうか。

無口で、喋りかけられてもほぼ声を出さずに優しい笑顔で応える平山は、妹やその娘とは会話をしていた。
普段行きつけの飲み屋では女将との会話も楽しんでいるし、その元夫とは初対面ながらまさかの影鬼。

決して他人と接することが嫌いなわけでは無い平山は、なぜあんなにも無口なのだろうか。

施設にいる親に顔を見せてあげて、との妹の言葉に首を横に振る平山は、おそらく両親と良い関係ではなかったのだろう。

時々出てくる回想はなんのシーンを表しているか知るのが難しいものであったが
親との数少ない思い出を表していたのかもそれない。

そして成功者として歩む妹とは裏腹に
親との関係を断ち、質素ながら堅実で穏やかな日々を過ごすようになったのだろう。

不器用は平山は毎日同じことを繰り返す。
近所で掃除する爺の箒の音で目が覚め
同じように布団を畳み
同じように植物に水をやり
同じように本を読みながら静かに寝ていく。

そんな日々の中でも
周りの人々との関わりの中で
毎日に少し色がある。
全く同じ日常では無い。

ラストの木漏れ日の説明にもあるように
同じように繰り返される日々も
決して同じでは無い、というメッセージなのだろう。
そしてその日々は、特別ではないが完璧な『PERFECT DAYS』ということなのだ。

何気ない日々にも豊かな人生は眠っているということを感じさせられた映画だった。

製作陣の皆様、素晴らしい映画をありがとうございました。

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