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私という個体、存在は。


読んでいる本を通じて、私のアウトプット。

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私という個体、存在は、

誰かしらの影響を受け、形創られていく。

良いも悪いも、沢山の要素・因果を受けて創られていく。

変えられぬ事実に、

その時の自分に対しての折り合いをつけ
過ぎ去った時間の流れの中で、

ふと、気づいてしまう。

あの時の折り合いの意味合いが贈与へと改編される時。

“だったことになる“

それは起きた直後のという「今」の時に
「今の私」にとっては“傷の物語“ であったものが、

時の流れと共に、関わってしまった人達、出来事によって
“祝福の物語”に改編(意味合いの)される時に感じられる感覚なのだろう。

この感覚について
他者は“想像”するしか出来ない。

感覚を感じている当事者にとっては
他者に受けとってもらえるか“祈る”しかないのだ。


いつか気づいて(受け取って)貰えたらいいと。


私が在るから、他者が在る。
他者が在るから、私が在る。


この循環なのだ。


「今」という“出会いの場“において、
私にとって出来ることは何なのだろうか。


この葛藤の様な思いに、人の心というか。


その人(私であり、当事者)にとって、


“大事にしようとしている何か”に触れる瞬間なのかもしれない。


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参考図書
「世界は贈与で出来ている」:近内悠太
「利他・ケア・傷の倫理学」:近内悠太
「ケアとは何か」:村上晴彦

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