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【インタビュー】はらっぱを振り返る手前で|2023.11.8|羽原康恵

TAPのルーツのリサーチとして、11月8日にアーティストの藤浩志さんを取手にお迎えして、あれやこれやとお話しさせてもらうことができた。藤さんは、いまは秋田を拠点にされているので、福岡での展覧会の合間に関東経由で、取手まで足を伸ばしてもらった。
昨年度のたいけん美じゅつ場のフォーラムで来てもらったので、直近でお会いしたのはごく最近なのだけれど、考えてみれば取手と藤さんは、15年来のつきあいになる。

藤さんは、私のアートプロジェクト出発点でもある2005年に出会ったアーティストだ。その年のTAPはオープンスタジオの年で、市内に点在する芸術家のアトリエ公開の担当になったTAP塾インターンとして、アートプロジェクトも地域での活動もひよこの私は、時に自転車で、主にはその時乗っていた軽四で、旧藤代町まで合併して広がった取手のまちを、地元の芸術家に会うためあちこち駆け回っていた。

藤さんはその年のTAPにゲストアーティストとして呼ばれていた。藤さん曰く、トヨタアートマネジメント講座の頃から熊倉純子さんと森司さんには各現場に呼ばれていたなぁ、という話からも、それは、熊倉さん・森さんの、当時のアートプロジェクトに対する姿勢としてのアーティスト選定だったのだろうと思う。

ともかく、アートはまだ「見るもの」だったアートプロジェクト初心者の私を含む多くのTAP塾インターンたちは、多くが初めての取手のまちで、文字通り右も左もわからず、「仕組み」をつくるアーティストである藤さんと、各スタジオを回るツアーを組み、駅前にあった使われなくなった学生寮とはらっぱをアートセンターにすることを試みた。これが私のアートプロジェクト原風景だ。

その当時は無我夢中で活動の意味もしっかり理解できぬままだったが、このときの人や場との出会い方、関わり方は、いわば三つ子の魂として、今も私の軸になっている。


藤さんと会うと、こんなふうに、自分のアートプロジェクトのルーツを瞬時にさかのぼって思い出してしまう。その語りについては、どこか別の機会に譲ることとして、この日のインタビューでは1999年のスタートから2005年までの取手アートプロジェクトのことをざっと概観したあとに、藤さんがメインで参加した2005年の活動についてじっくりお聞きする予定だった。

ところが、1999年から2005年までの概要をかいつまんでスライドをお見せした途端、すぐさま藤さんのアーティストとしてのハイスピードな活動回想が始まった。話し始めて一時間たったとき、スライドは2000年のまま。2005年までまだまだ至らない。

2000年のTAPは、家・郊外住宅というテーマで、空き家になった家を作品化するプロジェクトを現代美術の公募展覧会として実施した。
その頃藤さんは、取手だけでなく当時多くの現場で実践され始めていた、家をアート作品化して使う方法に違和感を感じていたという。

「アーティストのエゴで、家を単なる素材として捉えてやるのはどうだろう、っていう疑問はずっと抱えていたんだよね。」

確かに藤さんはこれまで、なるほど空いた家や建物を、作品の躯体や素材としてではなく、過ごすことを前提とした仕組み、時間を重ねる場としてのみ使ってきている。

この時聞けた話から、ぱっと視界が開けた感覚がある。

これまで、取手アートプロジェクトは活動だと思っていたが、実はおそらくずっと器だったんだ、ということ。

スタートからの約四半世紀、名前はだいたい一緒ではあれど、中身は別物というくらい幾度かの変化をTAPは経験してきた。運営を担う側からすると、それぞれターニングポイントがあって、キーパーソンがそのときどきの未来に応答できる方向へ、TAPの向く先を示唆してくれていたと考えていた。

ただその各時点において、TAPはTAPそのものとして意志を持ったというよりは、そこに偶然居合わせたいろいろな動機を持った人ーーつまりアーティストや市民、時にわたしたちのような駆け出しのよそもの、アートマネージャー、そしてもちろん中には市役所や大学の属性を持ちつつそれぞれより個人の意志を持つ人たちーーの志向の混ざり合いを、ひとつのかたちとして外に伝えるための容れ物だったと考えたほうが、よりありのままだ。

TAPとしての意志や方針が見えづらいことが近年の課題だったけれど、いやTAPは率いていく主体ではなくて、器で、場なのだ。

その時代のTAPに関わっていた人の思考と動機から生まれるTAPは、社会および美術の世界、またはアートマネジメントの領域、日々のそれぞれの生活への”反応”をずっと映してきたのだ。

こんなに自然なことがようやっと腑に落ちた時間だった。

いろいろな個人が、その時代に力を入れて考えていたこと、試そうとしたことが、TAPという器にいっとき自身の時間を重ねて、その瞬間の興味や好奇心、探究や欲求を重ねて出力し、そしてまた離れていく。乗り物にも似ているようだが、やっぱりまるで透明な器のようだと改めて思う。今現在を走る私たちも含めて。

以前藤さんがご自身の活動や思索を仔細に記録していたgecoブログというものがあって、当時の私たちは常に追いかけていたものだが、各地を飛び回ってちぎれそうに多忙な日々の中、ほぼ毎日上がっていたエントリーの中には取手での活動も記録されている。今回のインタビューにあたり、久しぶりに、2004年から2006年までの取手に関する10数件の記事を開いた。否応なしに脳のなかでその頃の思索が蘇る。
しかし、現在のTAPにとっても色濃く影響ある2005年はまだまだ掘り足りない。確実に2回戦が必要な気がしている。今度は、2005年を囲み、いまは各地にいる顔ぶれとともに話すといいんだろうか。


羽原康恵

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