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【フィールドノート】「TAPとわたしを語る会」|2023.9.12|阿部健一

阿部健一です。uniという団体で演劇をつくったり、ドラマトゥルクをしたり、まちづくりを研究したりしています。uniメンバーの齋藤優衣さんといっしょに2023年からクロニクルプロジェクトに参画しているTAPビギナーの阿部が、いろんなことがまだよくわからないまま、取手を訪ねた日のことを書き綴ります。この日は現在TAPの事務局を務めるメンバーが集まりTAPとの出会いを語る機会が設けられました。
取手アートプロジェクト(TAP)クロニクルについてはこちら↓

この日は羊屋さんも来取(取手を訪問することをTAPのひとびとはこう呼ぶ)で、諸々の打ち合わせに加えて、現在TAPで事務局を務めるひとたちのTAPとの出会いを紐解く座談会がセッティングされていた。たいけん美じゅつ場VIVAとアトレ周辺で一日、過ごすこととなった。

11:00 打ち合わせ

11時から打ち合わせを始められるよう取手に向かう。取手に行くたびに利根川を越えるときの動画を撮ろうと思うけれど、なかなか余裕がなくて窓の外を見る前に渡りきっていることが増えてきた。

利根川を渡ってすぐ駅なので取手は「向こう側のまち」という印象が強い。日暮里から40分も乗っていれば着くという意味では遠いまちではないけれど、自分が住んでいる東京の片隅とは分類?が違うかんじがする。わたしにとっての郊外の手がかりがこのあたりにあるかもしれない。降り立ったまちに並ぶお店やまちなみの違い以上に、境界線を越えること(移動)。それは単に遠いということとはちょっと違う気がする。大学院のときに何年も松戸に通っていて、松戸はどちらかというとベッドタウンと呼ばれていたけれど、郊外とベッドタウンもすこし響きが違うかんじがする。ベッドタウンはそれも含めて都市機能だけど、郊外のほうがもっとひとまとまりの経済圏というか。城郭都市?みたいなイメージ。城郭都市ってことばに引きづられて古代ギリシアの都市国家のこともなんとなく思い出した。アトレがアクロポリス、利根川土手はデュオニソス劇場?

羊屋さんが少し遅れて11:30頃に打ち合わせを開始。会場や時期、予算など。久しぶりに取手参集だったこともあって13時くらいまでじっくりと打ち合わせ。まだまだペンディングのこともあれば、ぐっと進んだこともあった。
「TAPとわたしを語る会」は13時半から予定されていたけれどとにかくお昼を食べましょうということで、VIVAの入っているアトレ5Fのサイゼリアへ。

13:15 サイゼリアでお昼

事務局や羊屋さん、阿部を合わせると8名。2テーブルに分かれて座った。5Fに入っている飲食店はサイゼリアだけ。平日だけれどけっこう賑わっていた。
食後、少しアトレの5階をぶらぶらする。サイゼリアの隣には「取手カルチャーセンター」が入っていた。アートセンターの上にあるカルチャーセンター。チラシを見ると100とか200の講座が開講されていた。絵画とか太極拳とか。すべて本当にここで行われているのだろうか。
少し調べたら、取手カルチャーセンターは株式会社カルチャーの運営するカルチャーセンターで、全国に同じ形態のカルチャーセンターを提供しているらしい。キャッチフレーズは「一流の講師とすばらしい仲間」。

今年から自分も都内の公共文化施設で働いていることもあり、「文化芸術とその体験の提供」といったときの幅について考えることが増えた。カルチャーセンターは言い換えれば文化センターで、それはアートセンターとどう重なり、どう違うのか。日本の社会にしっかりと根を下ろしたカルチャーセンターと、模索しながらつくっているアートセンターがひとつのビルに共存しているのはけっこう味わい深い。どんな人が集っているのか、時間があれば少し覗いてみたくもある。
取手カルチャーセンターのWEBサイト。200以上の講座を提供。「どじょう掬い」まで!
https://www.culture.gr.jp/detail/toride/item.html

最新の募集チラシ。取手カルチャーセンターWEBサイトより。

14:15 TAPとわたしを語る会

腹ごしらえも済み、VIVAに戻って「TAPとわたしを語る会」。現在の事務局メンバーは2004-2006のTAP塾でTAPと関わり始めた方々と、それ以降に縁あって手伝い始めた・入職した方々とで構成されている。4時間近くかけて、おひとりずつのTAPとの出会いを伺っていった。

TAP塾を機にTAPと出会った方々のお話で出てきて気になったのが「放浪」ということばだった。卒業や転職などのタイミングで「放浪」的な時期を過ごすなかでTAP塾とTAPと出会ったという。TAPと出会う、TAPに関心を寄せた背景はひとりひとり異なる。「あの頃どんなバイトをしてた?」という話も盛り上がって面白かった。年表や記録集で見ると2005年は原っぱ、TAPトラベル、2006年は終末処理場、こういうアーティストを呼んでこういうことをやりました、という事業としての事実が伝えられていくけれど、それを支えていたひとりひとりに24時間265日があり、食い繋ぐための労働や、取手まで通う1時間や2時間といった時間(たぶんみんな利根川を渡っていったはず)があった。またそういう20代に至るまでの10年20年に美術に関わる原体験もあったりする。ご本人からその声で、からだで、表情で知るとそれだけで年月に対する想像力が開いていく感覚になる。

クロニクルプロジェクトのコーディネーターの大内さんが「TAPは誰が始めたと思いますか?」と投げかけると、あるひとは「ひとじゃない」と答えた。「そうそう、そうなのよ」と、TAP立ち上げからずっと伴走する市民・えつさんのお話も伺っていく。

TAPをはじめたのはひとじゃないーーー。

そしてえつさんのことばでTAPの始まりやそれ以前の話をたっぷり伺った。ずっと昔から取手に住んでいるひと、戦後に移り住んできたひと、芸大ができたあとに関わるようになったひと、作家や学生、アーティスト。取手に積み重なったひとの層についても少しずつキーワードが増えてきた。

17時頃に解散となり、VIVAのなかを改めてぐるっと見て回ったあとは大内さん羊屋さんと東口の韓国料理屋さんへ。打ち合わせの続きをモニャモニャと話した。
20時くらいにお店を後にし、羊屋さんと阿部は常磐線の上野行きに乗り込んだ。

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