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【フィールドノート】取手滞在16〜18日目|2024.9.6-8|阿部健一

9/6(金)

数日、仕事の関係で都内で過ごした。都内の職場に昼から夜、朝から夕方と出勤し、隙間でオンラインミーティングや買い出し、調べ物をしていた。
この日は朝から取手に向かうはずだったが、荷物の受け取りや急ぎの連絡に追われ気がつけばお昼。新宿の世界堂での買い出しも済ませ、山手線→常磐線→つくばEXと乗り継いで守谷駅に向かう。

守谷駅に来るのは8/27についで2度目。前回は夜だったので明るい守谷は初めて。取手駅よりも新しい時代に整備された駅前というかんじがする。守谷駅前にも東横インがあって、駅前のリング?の上に顔を覗かせている。

関東鉄道常総線へ。常総線の守谷駅は駅前広場の真下につくられていて、巨大な柱の間を縫うように常総線のホームが伸びている。時代的には常総線の方が古いだろうから、あとから空に蓋がされたのだろうか。それともつくばエクスプレス開業によって諸々つくり替えられたのだろうか。昼間だけど洞窟のなかに入ったような暗さ。外が明るすぎるのでそのコントラストで余計暗く感じたのもあるかもしれない。

新宿で調べたときに見た電車より一本早いもので守谷まで着いたが、常総線は結局検索予定と同じものに乗る。この時間帯は1時間に4本ほどが走っていた。
目当ては戸頭団地周辺。去年、車では訪ねていて団地壁面の作品『IN MY GARDEN』を見ていたが、自力で来ること、再訪することに意味があるというか、そうしないとよくわからないことがあると思い、戸頭を訪ねた。常総線そのものに乗るという目的もあった。
ゆったりとした時間の流れる車内で10分ほど過ごし戸頭駅に着く。ここまでは守谷市で、この先が取手市ということになる。

戸頭団地と駅の地理関係はよくわかっていなかったが、ホームから見えるところに大きく「TOGASHIRA DANCHI」の看板が掲げられていた。改札を抜け、大通りを渡って団地へ。
団地の入り口にスーパーがあることは知っていたけれど、それがマスダと気づいていなかった。取手でのマスダのシェア率の高さ。井野団地の近くのマスダよりも少し広いし、お客さんも多い気がした。

マスダのすぐ横に通っている団地の中央通りを進む。沿道で談笑する年配者、親子連れ、遊び場に向かうこどもたち。比較するものではないとは思いつつも、井野団地と比べて人通りが多い。また駅と団地に連続性があるので、精肉店や和菓子屋さんといった商店が並ぶ通りが駅前の目抜き通りとして機能しているかんじがする。規模は違うけれど練馬の光が丘団地にも少し似ていて、都会的なかんじすらする。それに対して井野団地は、住宅戸数の提供という機能はあっても、団地の中を通って周辺住民が帰っていくとか、周辺住民にとっての憩いの場でもあるというようなかたちで団地が地域の機能を担っているかというと心許ない。もちろん、いこいーの+Tappinoの賑わいのように、ないことはないと思うのだけど。これはきっと団地設計時点の計画意図の違いなんだろうと思う。
都心部との関係で見ると井野団地のほうがアクセスがよいが(それでもあのアップダウンは大きな障壁だと思う)、戸頭団地はある種のコンパクトシティが実現しているかんじがした。

南へ歩きながら、住棟壁面の作品『IN MY GARDEN』を見あげる。
別の場所とはいえ、団地で暮らし始めたからだろうか。そこに描かれているエレメントに去年よりも共感を覚える。室内を通るダクト、ダイニングテーブル、ドア、バス停。たった1ヶ月ほどの団地暮らしだというのに、それでも自分の暮らしを思い浮かべ、その一部が描かれているかんじがしたのは意外だった。なんとなく歩いて見ていたけれど、見方の変化を自覚したところで一度マスダまで引き返し、もう一度一つ一つをじっくり見てみるようにした。

共感を覚えるといってももちろん距離があって、戸頭団地住民の思い出のなかの団地と現在は違うし、戸頭と井野でもいろいろ違うのだけど、団地というハコでのありえたシーンたち、というかんじで見ていた。それが「(いまは失われた)かつての団地」という寂しさをそこまで感じさせないのはやっぱり人通りがあったからかもしれない。通り沿いのベンチでは、お揃いのジャージを着た中学生の女の子たちがおしゃべりしていた。その横を小学校2〜3年生くらいの女の子たちが自転車とキックボードで走り抜けた。ひとりは乗り物なしで後ろを走って追いかけていた。

一方で、団地の周辺に暮らす一般住宅のひとはこの作品をどう見ているんだろう。井野団地に暮らし始めるまでは自分もさらっと見ていたように、そばにあっても見ていないこともあるような気がする。描かれる内容への近さと遠さ、共感と違和感。こうしたことにこれまで壁画という分野はどのように応答していたのだろう。まちの一部となる宿命を背負っている壁画という分野の歴史に興味が湧いてきた。

戸頭はまちなみの意匠もかわいい。

ガンダム感のある背面

戸頭団地にいることをメッセンジャーグループに投げたら出演者の由子さんからハコカフェに行ってみたらどうかと提案を受け、中学の脇を抜けて訪問するもCLOSEだった。残念。
大通りを渡り、その足で宮ノ前ふれあい公園に行ってみる。ここは2006年のTAPで藤本由紀夫さんの作品が実施された会場だ。道路があったところから坂を下っていく窪地で、全体がサンクンガーデンのようになっている。縁取りがすべて樹木なので、中央の草むらにいると外界から切り離されて木々に囲まれているような感覚になる。気持ちのいい公園だ。湿地エリアにはいかついバッタがたくさん飛んでいた。

2006年は、この草むらに椅子が並べられてサウンドスケープを聴取する作品が実施されたらしい。一周まわったあと、芝生に座ってバイノーラル録音をしてみた。日が暮れて日陰になってきたこともあり気持ちのいい風がふいていた。近くを芝犬とおじいさんが散歩していたが、犬の行きたい方向におじいさんが着いていっているように見えた。

夜、間に合えば井野団地の近くの寺田屋に行ってみたいと思っていたので日の傾きを感じ始めた頃に移動。
ふたたびハコカフェの前を通るとやっていた。今日は夕方からの営業だったみたいだ。迷わず入ってゆず茶のアイスをいただく。恐る恐る一年ちょっと前にも一度来ていることを伝えると記憶に残っていたようで、TAPや取手、戸頭のこと、お店のことなど立ち話をした。
印象的なお話がいくつもあった。

完全に日が暮れ、稲戸井駅までの行き方を伺って退店。灯りが少なく静かな住宅街を15分くらい歩いたと思う。途中、ものすごく立派なケヤキの木があった。写真じゃわかりにくいけど直径3m近くあったと思う。

稲戸井駅は北側にしか改札がないので一度踏切を渡る。登り下りともに5〜6人が電車を待っていた。

10数分電車に乗り、取手に到着。寺田屋に行く前に絶対に済ませたい入稿があったのでビバに寄って作業。小一時間で完了した。1週間くらい格闘していた案件だったので少しほっとする。
東口に移動し、芸大通りを歩いて寺田屋へ向かう。途中にバッティングセンターがあり、井野団地から駅に向かうときに必ず通るところなのでずっと気になっていてなんとなく入ってみた。おじさんが親切に迎え入れてくれたが、野球に詳しそうな黒髪ツーブロックでサラリーマン風の若い人たちが盛り上がっていて、しかもけっこう全体的にマシンの球速設定が早く、下手くそがバットを振るには気が引けたので「また来ます」といって退店した。

芸大通りをくだったところの寺田屋さんは8月に羽原さんからおすすめされていた。金曜ということもあり地元のお客さんでいっぱいかと思っていたが、入ると若い女性のグループが1組だった。
入稿お疲れ様でひとりでビールを飲む。カツオの刺身、ギョウザ、レンコンの挟み揚げを頼んだ。安いのに量が多くておいしい。なんかもう一生懸命食べた。女性グループは恋愛の話をしていた。テレビではミュージックステーションが流れていて、ゴールデンボンバーがからだを張っていた。

明日の朝ごはん用にローソンで惣菜を買った帰路、団地で2匹のネコに会う。

9/7(土)

午前中は部屋で原稿系の仕事をすすめる。

昼前に都内の職場へ出勤。出ないといけない時間ギリギリにお米が炊けてしまって急いでレトルトカレーを食べて飛び出たら乗り逃し間際に駅到着した。井野団地から駅までの時間はそのときの天気や体力にも左右されるので余裕を持たないと絶対にダメだ。

23:30頃帰宅。今日中に片付けたいテキストがあったので2時くらいまでやった。仕事を切り上げて仕事に行き、仕事から帰ってきて仕事をする。
???

9/8(日)

8時くらいに起きる。寝不足気味だけど窓から燦々と朝日が差すので起きてしまう。これでもかと日照が確保されている。
朝ごはんを食べて、布団を干して、4階と5階両方とも掃除機をかける。トイレも掃除した。
この日はパートナーが取手に遊びに来る予定になっていて、10時に駅で待ち合わせだったので9時半くらいに団地を出た。川と沼と団地に行こうという話をしていた。

駅前で合流し、河川敷へ。10:30発の小堀の渡しに乗って小堀地区へ。買ったばかりのソルティライチを船の上で飲み切る。
小堀で下船。土手の向こうにあるはずの古利根沼を目指して小堀地区に入る。古利根沼は2002のTAPで舟プロジェクトの舞台となった場所のはずだ。土手を上がったところの車道が、狭いのにバイパス並みに飛ばしていてけっこうひやっとする。

住宅を進むと公民館が併設されたお寺があり、その横に「水神社」があった。取手で女神を祀っているところがあるか調べていたときに出てきた神社で、たしかイザナミがカグツチ出産で焼け死んでしまうときの尿から生まれた女神だったと思う(調べ直したらミズハノメノミコトだった)。井戸や飲み水に関する神様らしい。由来などは特に書かれていなかった。

小堀地区は駅のほうと比べても「集落」感が強い。どの方角にも遠景が見えないからだろうか。
南に向かって歩くが、水辺に出られるルートがよくわからずうろうろする。舟プロジェクトの舞台がどこだったのかもう少し調べておけばよかったと思いながら住宅地を探って歩くと、雑草をかき分ければ水辺に出られる場所を発見する。対岸の我孫子市側は自然公園になっていて、うっそうとした樹林が広がっている。だから舟プロジェクトはここではないのだと思うけれどこれ以上はわからなかった。
パートナーは「日本じゃないみたい」と言っていた。そばでは若い女性がバス釣りをしていた。

ふたたび住宅街を歩き、先ほど土手を渡るときに見えたローソンを目指す。住宅街といっても空き地やヤブが多いし、家と家のあいだも植物に埋め尽くされていたりする。野生の論理に一部人間がお邪魔しているかんじもする。
ローソンは先ほどのバイパスっぽい道沿いにあり、その道は普段歩行者が歩くような場所じゃなかったのか、対向車線の車がすれ違いに苦慮していた。この道は間違いだったのかもと思いながらローソンについてもやっぱりそのバイパスっぽい道からのアクセスしか想定されてなかった。そもそも歩いてくる場所ではないのかもしれない。ほとんどサービスエリアとかパーキングエリアのようなコンビニだ。
一応駐車場に小さな階段があって集落に降りていくことができたが、やっぱりヤブをかき分けていくような道だったのでたぶん普段ほとんどひとが通っていないのだと思う。

苦労して船着場に戻るとちょうど先ほど乗ってきた舟が一周してふたたび小堀に来たところで、乗り込もうとすると船長さんに「12時の便はないよ!」と言われる。1時間ごとに回っているのだと思っていたけど12時代だけはお休みだったらしい。ショック。そうなると小堀から取手に戻るハードルが一気に上がる。バスで天王台駅に出て常磐線というルートが出てきたが、歩いてへとへとになっている状態で再び遠くのバス停を目指すのは厳しい、じゃあもうタクシーを呼ぼうと話していたらおじさんが「乗せていってやるよ」と声をかけ臨時便を出してくれた。とてもありがたかったが、お礼のしようもなく、ただただ厚くお礼を伝えた。同じように12時は小堀で止まることを知らなかった男の子とおばあさんも乗せてもらっていた。男の子はゆめみ野に住んでいて、「はじめて船に乗った」と言っていた。

船を降りる。駅に戻る途中で本陣に立ち寄った。4月に来たときは人がたくさんいたけれど、この日は誰もいなくて、風が抜けて気持ちが良かった。よくみるとキャプションの文体が公共施設?らしくなくて笑った。

取手駅についたらハコカフェでのランチを目指し、常総線で戸頭へ。ふたたびIN MY GARDENを見ながらハコカフェへ向かって歩く。
この日はカレーや角煮丼を食べた。ピクルスのスパイスがきいていて、ここまで歩いてきたからだが少し癒された。

しばらく店内の本を読んだりして暑さをやりすごす。だが15時くらいになっても日差しが弱まらず、歩くのは無理だと判断しGOでタクシーを呼んで戸頭駅に帰った。マスダで食材を物色し、再び常総線で取手へ。
駅前には、たぶん中学生か高校生の自転車がワイルドに停めてあった。同じ場所でさっきはバスの運転手が横になって寝ていたので、総じて戸頭(郊外?)のおおらかさを感じる。

ビバで由子さんと合流。この日の夜は団地でご飯を食べようという話になっていた。ビバで開催中の展示の説明をしてくれたのだけど、布団を干したままで雨雲が迫っていると話した結果駆け足にさせてしまった。もう少し落ち着いているときにまた来よう。

車で団地に到着したあたりでポツポツ雨が降り始める。荷物だけ下ろして、再び車でミスターマックスへ。今日のメニューはカルパッチョ、枝豆、野菜の焼き浸し、まいたけと豚肉で何か、ナスのそうめん。肉や野菜、刺身などを買った。買い出しは楽しい。
団地に着くとバケツをひっくり返したような土砂降りになり、木の下で休み休み部屋まで戻った。

おしゃべりしながら食べ物を仕込む。いろいろ足らないが、あるもので工夫して乗り切る。どの食べ物もけっこうおいしくできた。途中から由子さんのパートナーも合流。まくわうりと栗をお土産に持ってきていただいた。

この夜がそうだったということではなく、どちらかというとフィールドノートを書いていて考えていることだけれど、たとえばこういう仕事ではない時間、どんな顔をしていればいいのかわからなくなってしまうことのある自分がいる。居心地が悪いとかではなく、「何かしなければ」「成果をあげなきゃ/進捗がなければ」「役に立たなければ」モードをオフにしたときに何者としてそこにいるのかということを一瞬見失うのだと思う。
仕事であればある程度求められていることがあるのでそれに対してどうふるまうかという指針が立ちやすい。家族や友達との時間も、上記とは違うけれど「いつものふるまい」があったりする。だけど、仕事の合間にぽーんとそうではない時間があるとき、ちょっとオロオロする。

これまでは、それでも仕事モードで過ごすことが多かった。ここでどんなことを言うとこの人はどう思いそうで、それがそのあと何につながりそうで・・・など。すべて想像だけれど。
でも最近はそのかんじを遠ざけたい。それは結局日常を「役に立たねば」に回収していくということで、そのマインドセットだと見えないもの、取りこぼすものもあると思う。そもそもワーカホリックすぎるというのもある。
解決も正解もなくただ話を聞くとか、ただ居合わせるとか、相手へのリスペクト以外は手放すとか。そうでありたいなあと思う。オープンダイアローグやプレイバックシアターに触れたり、自分自身がここ数ヶ月は専門家に話を聞いてもらう機会があったからかもしれない。「役に立たねば」は、役に立てなかった(うまくいかなかった)とき失敗の烙印を自らに押すことになって、自己否定のスパイラルに陥ったりする。仕事であれば成果は大事だけど、それを生活すべてに適応すると逃げ場がないし、自分自身のなにかがすり減っていく。
考えることと、単にビジー状態にすることは違うなとも思う。

大人になってからでも友達は増やせるし、歳の差も関係ないということを後輩から教わって、少し前から、「知り合い」「仕事仲間」を「友達」と呼んでみたりしている。友達になるのに資格はいらない。

21時過ぎに解散。食器を洗い、この日はパートナーといっしょに東京に帰った。

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