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子育て真っ最中の頃のこと #6

またまた新聞記事から書いてみよう、と思います。

note  初投稿時に取り上げた記事。それを含める総括した記事が掲載されていました

「ヤングケアラーを取材して」。

ここ4~5年になるでしょうか、ヤングケアラーという言葉が使われるようになって、ようやく子どものつらさに目が向くようになったのですね。

個人的には嬉しい傾向と受け取っています。


私が子育て真っ最中の頃のこと。

2人の子供が幼い頃に私は、伴侶を自殺で亡くしています。心を大事にした亡き夫の遺志を子供たちに伝えることが「私の使命」と自分に言い聞かせ、やっとの思いで生きてきました。

子供たちの心に寄り添うこと。子供たちの様子に細心の注意を払うことが私の生きる糧でした。

そんなふうに生きていたから、上の子(2人の子供の年齢は2歳差)が小学校卒業間近の頃から、だんだんと学校の先生の至らなさに不満が募っていきました。


どうして子供たちの気持ちがわからない?

子供たちはこんなにも頑張っているというのに、学校は、先生は、なぜまたそれ以上の負荷をかける?

困っている人を助けましょう、と教えているはずの学校でなぜ?


行政の窓口でも然り。


方々で、暴言を吐いていた時期もありました。


当時返ってきた言葉で、印象に残っているのが

「あなたより大変な人はたくさんいます」です。


私より大変な人はたくさんいるでしょうが、私も大変だった。

助けて欲しかった。


最初は、「あなたより大変な人はたくさんいます」の言葉に気づかされ、自分を鼓舞することもできたけれど。

「私より大変な人はたくさんいるんだ!」と自分に言い聞かせ、思い直すを繰り返すうちに、、、。


ある時、思ったのです。


そりゃあ、私より大変な人がたくさんいること、理解できるが、大変さは人によって違うんだ!

私は、もうこの大変さにお手上げ!

なのだと。



そう受け止めたら、自然と力が抜けていきました。もう頑張れなかった。

するといつの間にか大変さは、緩和されていきました。


(こう書いては、自己責任論に至ってしまうでしょうかね?)


過去の私には希死念慮がありました。時々、希死念慮が顔を出し、我が子を苦しめていました。私を助けようと、子供たちは子供たちなりに、お母さんに心配をかけないように、学校では問題を起こさない良い子で頑張っていました。

学校は、先生は、何も気づかず、子供たちが抱えている問題など目をくれないことが当たり前になっていた。


それで先生と言えるの?!

生徒は一人ではないのだから、致し方ないこともわかるが、それにしてもなぜ?!


どんどん不満だらけな学校、社会と、思えてなりませんでした。


だから、今、ヤングケアラーという言葉によって、子供のつらさに目が向くようになったのだとしたら(……ちょっと遅すぎるよ!と思う気持ちもあるけれど)、もっともっとこの傾向が広がっていってくれることを私は願うばかりです。

私もこのnoteでの発信を含め、自分の出来ることを見つけて、取り上げた新聞記事の見出しでもある

SOS感知できる社会に

繋がっていくことを、私自身心掛けていきたいと思っています。


もっともっと付け加えなければ伝わらないとわかりつつ、、、

今の私の文章力では、これが精一杯のようです。

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

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