「死んでいい人なんて」の新聞記事から#2
今日も新聞記事に刺激されて。
「死んでいい人なんて」の見出しで、映画「護られなかった者たちへ」(10月1日全国公開)が取り上げられていました。
まさしく私が味わってきた社会の不条理、不平等が描かれているのかなぁ、と興味深く感じています。
若かりし頃に伴侶をなくした私は、本当に世間知らずで、社会の仕組みがわかっていませんでした。
わからないまま、猪突猛進して、体よくはねつけられていたな、、、と振り返ります。
何度か繰り返して、自分は生きる価値のない人間…と言われているようで、生きる意味を見失っていた時期がありました。
何度も何度も「死」を考えたけれど、死ぬことはできなくて。
それを目の当たりにしていた2人の我が子は、今でいうヤングケアラーに当てはまる境遇になるのではないかな~と思うのです。
前回とりあげました新聞記事の見出し『親へ向く「批判の目」懸念』。
↓↓↓↓
だから、親の立場から伝えたい想いはたくさんあって、それがnoteを始めようと思ったきっかけでもあります。
とりとめのない文章になっていますねm(__)m。
(今日の新聞記事の中の映画「護られなかった者たちへ」に戻ります)
「死んでいい人なんていないんだ」
と、映画の中の登場人物が断言する場面があるそうです(新聞記事から)。
私は生きる価値のない人間と思わされ、生きる意味を見失いましたが、結局は死ぬこともできなかった。
目を覚まし、呼吸をし、心臓は止まることなく動いていた。
今では、世間知らずではあったけれど、世間の言う通りに生きなくても、人は生きれるのだということも知りました。
新聞記事は、最後に
「公正世界信念やそれに足場を置く自己責任論の果ては『死んでもいい人はいる』だろう。そんな社会に生きたいか。映画はそう問いかけてくるようだ。」(毎日新聞 ’21年9月21日 朝刊より 引用)
という言葉で、締めくくられていました。見たい!映画です。
今日はここまでにしておきます。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
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