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紙漉十二月<2月号> 麻績の俳諧と、砧、楮叩きについて

   小夜きぬた寝てきくよりの外(ほか)はなし   天姥 虎杖
 
 虎杖は姨捨山麓戸倉に生れ、麻績の文化人とも深く交流した俳人でした。麻績の酒造大和屋の主であった朴翁居士(臼井九太夫定寛・俳号鳥蛾)の三年忌を追悼した句集「こけのつゆ」に序の文をおくり、この句を詠んで寄せたようです。
 「きぬた(砧)」とは、衣服を叩いて、柔らかくしたり光沢をだしたりするための木板と木槌のことで、こんこんと山里に響く砧の音は秋の長夜の風物詩でした。はや朴翁も亡く、虎杖も還暦をすぎれば、秋の月を眺めに縁先へ出てゆく気力もなく、寝床に砧の遠音ばかりを聴くような夜々のさびしさが偲ばれます。
 
 紙漉きには「楮叩き」という工程があります。煮込んだ楮の皮(和紙の原料)を、よく紙漉きの水にとくために、木槌や棒で叩いて、繊維状に分解するのです。水を吸って柔らかくなった楮皮は、叩くと、ぼわぼわと綿のように解れてゆきます。
 「楮叩き」もまた夜中に行われたそうです。明け方から紙漉きを始めるために夜のうちに準備をしておくのです。二月ともなれば楮の刈りとりや皮剥ぎも終わって、新しい紙漉きが始まっているころでしょう。家々の灯から、コンコンコン……という音がひびく紙漉きの集落には、冬の寒夜にも賑やかな景色があったように思います。

   鹿ひとつふたつ明行く山路かな    東紅

 これは朴翁居士の妻であった東紅が『こけのつゆ』に寄せた句です。臼井九太夫家は麻績随一の素封家であるとともに、文化を育てる心の深さもあったようで、同書には朴翁居士の他、麻績内外の人々の俳句も多くのこされています。
 
   梅の世となりて朝寝が始りぬ     亞物
   はるの雨ふるにまかせてねぶりけり  鳥蛾

 春が近づくほどに朝は早く、日が延びて、野山はのどかな風にみたされてゆくようです。


*出典:臼井良作『古文幻想 江戸時代の庶民のくらし考』「信州麻績村の俳諧」 

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