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紙漉十二月<3月号> 近世麻績の和歌と、楮煮について

   白雪のまだふる里の野に出て
      心ふかくもつめる若菜は   貞雄
 
 この三月はふしぎと雪の日が多く、ようやく春も訪れたかとおもえば、また山里は静かな白い景色にもどります。しかし、春先の雪はとけるのも早く、滔々と軒を流れる水と光が軒先の樋をこぼれて、天日干ししていた紙へ泥を跳ねさせるのでよわりました。

 さて、先月紹介した麻績宿の俳人、朴翁・東紅夫妻の孫に、貞安という人がいました。酒屋(大和屋)を継ぐかたわら歌に執心し、彼もまたその時代の麻績の文化的な中心となっていたようです。この歌は、彼の師である橘守部を判者に招いて催された、「十五番歌合」で詠まれた中の一首です。壱番から十三番まで早春の歌がしめ、長い冬の去った村の歓びとともに開かれた歌会だったのでしょう

 先日、雪の斑にのこる野に出ると、濡れた土や若草の中から、水仙の蕾がたくさん出て、その近くにはふきのとうもいくつか頭をもち上げていました。摘んだ手の中に、爽やかな香りがひろがりました。この年最初の春の香り、ほろ苦い早春の味を感じて、また生まれ変わったような気持ちです。
 
 香りといえば、紙(かみ)漉(す)きには楮(かず)煮(に)という作業があります。(和紙の材料になる)楮の木の白皮を二三時間煮込んで、繊維状にほぐれやすくする工程なのですが。煮込むうちに、食欲をそそるような楮の独特な匂いが立ちこめ、皮は黄金色にかわってゆきます。そして引き上げて手にとったときの、ふしぎなもろさ、つややかさ! 匂いや手触り、光から木の命を感じ、ほどかれたあとの皮になおいっそうの美しさを感じることが、植物を刈りとり利用する人間の傲慢でなければいいのですが。

   山里の春の夕(ゆうべ)にと(訪)ふ人は
      梅のかをりをしる人ならまし   実久

 同じく、十五番歌合で詠まれた歌です。
 麻績村では三月も半ばになって、ようやく梅の枝に小さな蕾がいくつかほどけるのをみました。いつのまにか日も随分長くなり、やわらかな淡い色の夕空が広がっています。ほのぐらい小道をゆくと芳しい香りが漂っていて、ある庭に梅の木のあることを知る、そんな春の宵もあるでしょう。
 きっと、たくさんの春の匂いに、人の心もやさしくほぐれてゆくこととおもいます。


*参考文献:臼井良作「村の和歌」『古文幻想 江戸時代の庶民のくらし考』

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