日本三大秘境 椎葉村 道教ツアー 中篇
1.杉とヒノキと老荘思想
お待たせいたしました。
いや、お待たせし過ぎたのかもしれません(村西とおる風)。
前回の「日本三大秘境 椎葉村 道教ツアー 前篇」では、まさかの椎葉村に辿り着く前に終わる、という荒技を披露したわけですけれども、今回は真面目に椎葉村について綴っていきたいと思います。
前回は妙見信仰と北斗七星と道教について述べたところでサヨナラしたわけですけれども、この五ヶ瀬町にある妙見神水から30分ほど走らせたところに我らが椎葉村の見どころ、八村杉があります。
杉?
え、杉?
あの、木の、杉?
そう思った方も多いのではないでしょうか。何を隠そう、ぼくたちもそう思っていたところなのであります。クリスタルキングが歌い上げた、かの大都会、福岡から3時間も車を走らせて、杉の木を見る。なんてシュール。いやさ、シュールレアリスム。
それが道教なのだッ(老荘思想には大木にまつわる話がたくさんあります)、と言い聞かせつつも、どこか腑に落ちないツアーの一行なのでした。
だがしかしッ!
世界中の杉を馬鹿にしたものたちよ。
刮目せよ。
これが杉だッ!
これが杉だ、と言いつつ、デカ過ぎて全景を撮れてないんですよ。
ミスター中野が周囲をちょこまかしているのを撮ったので、人間の大きさと比べてみましょう。ちなみにミスター中野は佐賀出身ですが、こう見えても身長180cmあります。
ちなみのちなみに、ミスター中野と撮っているこの杉は小さい方です。奥に鎮座おわします八村杉はなんと全長54.4mあります。
樹齢はおよそ800年。
なんでも那須 大八郎という武士が西暦1200年頃に植樹したのだといいます。このとき、那須 大八郎が椎葉村にとってどれだけ大事な人なのか、椎葉村初心者のぼくたちには知るよしもないのでした。
さらに、この八村杉のある集落をさらに登っていくと、これまた立派なヒノキがある、という噂を聞きつけていました。もはや十分に杉に度肝を抜かれてしまったぼくたちは、とまれヒノキも観に行こうか、という気分になっていたのでした。
何というんでしょうか。このトトロ感。
宮崎 駿の映画『となりのトトロ』に出てくるトトロが住むとされる樹木はクスノキですが、それに負けず劣らずの御神木感を漂わせています。
高さは32mと八村杉より20mほど低いものの、東西南北に30m広がる樹冠が圧倒的。かつ、こちらは展望台が設置されていて全景を一望できるので必見です。必見です、と書いておきながら10月22日の日曜日、紅葉のシーズンまでもうちょっと、という事情があるものの見物客がぼくたちしかいないのは寂しいような気もしつつ、これぞ秘境と言われる所以なのかもしれません。逆に何だか贅沢な時間。
ここでひとつ付け加えておかねばならないのは、今回の道教ツアーにおいて、なぜトトロ感が大事かということです。
それは、ジブリ映画が道教思想の影響を濃く受けている作品が多いからなんですね。それは『となりのトトロ』に限らず、『風の谷のナウシカ』や『紅の豚』、『千と千尋の神隠し』、近年でいえば『君たちはどう生きるか』に至るまで幅広い作品において、そのことが窺われます。
基本的には、多くの人たちがまたそうであるように、主人公は条件においても環境においても厳しい現実世界で人生を送っています。それがある時、ふとした拍子に異世界に入っていく。ふわふわとしていて気持ちいい。夢のようだが、これは現実なのだろうか、それとも夢なのだろうか。
ここで葛藤して終われば老荘思想の一丁上がりなのですが、このまま終わらせると作品が幽玄に過ぎるので、そこにユング心理学や、日本の八百万の神話や、飛行機への憧れなどのピースを嵌め込んで、異世界から現実世界を直視し、やがて厳しい現実世界へと戻っていく、というのが宮崎文学の真骨頂だと思います。
これらと類似するのが『荘子』の中に出てくる「胡蝶の夢」です。
荘周というのは荘子の名前です。
むかしむかし、荘周が夢の中で蝶になった。なんとも言えない楽しい気持ちで蝶になりきって、楽しくて心ゆくままにひらひらと舞っていた。
このとき蝶は、自分が本当は荘周であるということは全く念頭にありません。そのとき、はっと目が覚める。
「あらっ!?いま蝶になってたのかッ?」
ここで、荘周は、自分が夢の中で胡蝶となって舞っていたのか、それとも自分が実は胡蝶であって、いま荘周になっている夢を見ているのか、どちらか分からなくなってしまった、というものです。この説話は「無為自然」、「万物斉同」という荘子の考え方がよく現れています。
「夢だけど夢じゃなかった」
という『となりのトトロ』の作中で語られる台詞は、この意味で明らかに道教的、老荘思想に通ずるものなのです。
トトロ的なものという興味を超えて、椎葉村のヒノキと「オレは、、、いったい何なのだ、、、」と対話してみる。ひょっとしたら、ぼくたちがヒノキを見ているのではなく、ヒノキがぼくたちを見ているのかもしれない、などと思えてきます。
2.共同体の原風景、結いとカテーリ
こうして回り道に回り道を重ね、ぼくらが旅に出る理由はすっかり何だったのか分からなくなって迷い道感も出て来ました。
が、突如として到着いたしました!
その名も椎葉村交流拠点施設Katerie(かてりえ)。
『椎葉村史』(椎葉村発行/1994年)によると「カテーリ」(尾向地区のみカチャーリ)とは、仕事を共同ですること、というこの地域独自の方言です。
これは一種の「結(ゆ)い」文化の名残です。結いとは、本来は日本の農村で、つまりあらゆるところに存在していたコミュニティで、労働力を対等に交換しあって田植え、稲刈りなど農の営みや住居など生活の営みを維持していくために共同作業をおこなうことです。
何を隠そう、ぼくも北九州の兼業農家を営む祖父のもとに生まれ育ったのですが、小さい頃、もう小学生に上がろうかという頃には、田植えや稲刈りに駆り出されたものでした。昭和60年ごろの話とはいえ、さすがに機械化が進んでいたので田植えはそんなにキツくないのですが、稲刈りは大変でした。田んぼがそんなに大きくないので、コンバインが入れるところは中心部だけで、端っこは全て手で刈って、それを稲藁で束にして結び、竹で組み上げた土台に干していかなければなりません。
その時に、隣近所のお爺さんたちが手伝いに来てくれるのですが、そこで色んなことを話したのを今でも覚えています。最も印象的だったのは、
「天皇家と共産党にだけは、かかわっちゃいけないよ」
というもので、まだ幼かった時分は何を言っているのか分からなかったのですが、大学生になりマルクス経済学に傾倒するようになると、なんとも絶妙なアドバイスだなぁ、などと思い出したりしたものでした。
とにかく大変だった稲刈りもようやく終わり、
「嗚呼っ、終わった、終わった」
と喜んでいると、親父が一言、ぼくに向かってつぶやいたんですね。
「明日は、隣の田んぼの稲刈りだぞッ!」
え?!
「うちの田んぼはおわったのに、なんで!!」
というと、一発、頭をポカリとやられて、
「うちも手伝ってもらったんだから、人の田んぼを手伝うのは当たり前だろう」
と、まさに結いの精神そのものを、子供の頃から叩き込まれていくわけですね。これは、日本が高度成長していく過程の中で、人口が都市に集中していくことになるのですが、この「相互扶助」の精神は都市の中でも根強く残っていきます。
たとえば、国民的漫画といっても過言ではないサザエさんなんかを見ていると、よく分かります。
ギリギリ昭和の家までは残っていますが、日本の昔の家には「勝手口」というものがあります。いわゆる裏口ですね。これ、現代の子どもたちには絶対に理解できない概念です。つまり、勝手口とは何かというと、コミュニティに属している人が勝手に出入りしていいところなんです。
お客様は表の玄関からやってくる。
でも親しい友達なんかが玄関から入ってくると
「あなた、なんで玄関から来るのよ。お客様じゃないのよ!」
と怒られます。
サザエさんの中でも、三河屋さんのサブちゃんが、磯野家に御用聞にやってきます。
「ちわーす!三河屋です!」
この後、衝撃の言葉をサブちゃんが発します。
「今日は、何かありますか?」
何?あなた。用事もないのに来たの?呼んでもないのに来たの?
カツオが現代っ子であれば、即座に110番案件です。
勝手口から出入りするのは酒屋さんばかりではありません。
例えば、お隣さんが晩御飯の料理をしている。あら、醤油がないわ。買い物に行く時間もないし、ちょっとお隣から借りてきましょう、と勝手口から入ってくる。断りもなく。勝手に。だって勝手口だから。
仮にこのとき、家を空けて留守にしていても、お隣さんは問答無用で醤油を借りていきます。だって勝手口だから。
その代わりに、翌日、今度はうちの料理酒がないわ、となる。今度はお隣さんに料理酒を借りに行くんですね。
「あらー、奥様。気にしなくていいのよ。昨日、醤油を借りちゃったし」
と、こんなやり取りが、もはや信じられないかもしれませんが、ほんの50年前には日本の都市部でも残存していたんですね。
日本の都市部が近代化して、高度に都市化していっても、何となく共同体としての体面を保てていたのは、都市部にいるほとんどが農村からの出身者であったこと、もしくは都会の人であってもこうした「相互扶助」の精神が残っていたからだと思うんですね。
近年、農村に投資するのはマジで税金の無駄なので、都市部に投資を集中して農村は滅びていけば良い、といった論説がよく見受けられます。もちろんエコノミック・アニマルを前提とする経済学から考えるとその通りなんですが、社会は経済学だけでなく、もっと色んな要素で構成されています。
はっきりいって、近代主義に染まり、人と人との繋がりが希薄になった都市部に投資を集中し、地方や農村が廃れていくことが本当に良いことか、と問われると、ぼくはよくなくなくないと思いますね。本当に。キッパリと。
話が逸れ続けていますが、ちなみに、沖縄では結いのことを「ゆいまーる」と呼びます。モノレールの名前にもなっています。とても良いネーミングですね。この「ゆいまーる」は「結い」が「回る」という意味で、相互扶助がグルグルと回っていくという意味です。
芥川 仁の「春になりては 椎葉物語」の中で「かてーりもどし」という言葉が紹介されていますが、これも「ゆいまーる」と同じく、人を助けるだけでなく、助けた人から「カテーリ」が戻ってくる、ということを意味しています。相互扶助とはすなわち、情けは人のためならず。自分のために人を助けるのだ、という一見すると見返りを求めるさもしい思想のようにも感じますが、助け合わないと生きていけなかった時代や環境で育まれた思想が我々の文化の根底にあるのだ、ということを思うと、誇らしい感覚にさえなってきます。
3.椎葉村交流拠点施設Katerie
この素晴らしい「カテーリ」の名を冠した施設、Katerie。
さて、もう皆さん、忘れてしまっているかもしれませんが、椎葉村まで訪ねて行った小宮山 剛さんが、現在、勤務しているのがこのKaterieです。
この施設を紹介するときに、よく「素晴らしい図書館がある」と紹介してくれる方がいるのですが、「カテーリ」の思想をマスターしてしまった読者の皆様にはもう伝わるでしょう。ここはただの図書館ではありません。
施設の概要を見ると、交流ラウンジはもちろんのこと、キッズスペース、ものづくりラボ、コワーキングスペースと会議室、シャワールームにコインランドリーまであります。
老若男女を問わず、働いている人から学ぶ人、遊ぶ人、怠けたい人、あらゆる人たちが使う用途を考えて作られたこの施設に、一本筋として通したのが知の基点となる図書館機能「ぶん文BUN」です。
まぁ、そんなわけで、素晴らしい図書館がある、ことに間違いはないのですが、ただ図書館なだけではない、というのが非常に説明が難しいところです。
ちなみに、この図書館を見て一番最初に感じたのは、もちろん、そのデザイン性も含めての素晴らしさなのですが、周囲をグルリと回って次に感じたのは「これ、本を探しにくくない?」ということです。。
なぜならば、人文とか社会科学とか語学という風にジャンルに分かれて配列されていないからなんですね。では、どういう風に分かれているかというと風とか夢とか心という風にテーマ毎に書籍がキュレーションされているんです。
「これって、本を探してくる人には見つけるの難しくない?」
と尋ねると、小宮山くんは即答しました。
「そうなんです。だから司書さんとコミュニケーションが生まれるんです」
なるほどー。よくよく考えると図書館で司書さんと本について話す機会ってほとんどないですもんね。自分でお目当ての本に辿り着き、借りる時だけ無機質に対応する、というのではなく、
「こういう本を探しているがどこにあるんですか?」
「その本はここにありますが、類似した本はこちらにありますよ」
「このコーナーはこういうテーマで、ちょっと違いますがこの本もオススメですよ」
という風にリコメンデーションまである可能性を思うと、人と付き合うのが苦手な人にとってはちょっとだけめんどくさいかもしれませんが、本好きにとっては相当おもしろい図書館です。
また、テーマ毎に様々なジャンルの書籍が混在しているので、自分の興味の中で、自分が興味がなかった分野の本に出会えるかもしれません。
また、図書館のいたるところに人間をダメにするソファー、Yogibooが配置されており、司書さんとのコミュニケーションなんか全く興味がないもんね、という中野くんのような人にとっても居心地の良い空間が出来上がっています。
ちなみに、ぼくが一番、痺れたのは『吉川英治全墨』です。もう幼い頃から、それこそまだ漢字も全く読めなかった小学校2年生くらいのときに初めて読破したのが吉川 英治の『三国志』でした。
よくぼくの文章の中で感嘆詞の「ああ」を「嗚呼」と表記するんですが、これは完全に吉川 英治の影響です。閑話休題と書いて「それはさておき」と読ませたり、いちいち文章が憎いんですが、あの何度も読み返した「三国志』も、『宮本武蔵』も『私本太平記』も挿絵は全てご自分で描かれていたのか、と思うと、昭和の文人とは文章だけ綴っているわけではなかった、というその文化レベルの深さというか、根底を垣間見て、絵心のないぼくは恥じいってYogibooに顔をうずめたのでした。
そして、なぜ吉川 英治の本がどどーんと提示されていたのかというと、実は彼は椎葉村に逗留して執筆していたことがあったからなんですね。
それを小宮山くんから聞いたときに、ぼくは
「嗚呼、そういえば吉川 英治には『新・平家物語』があったなぁ」
と吉川 英治風に感じいったのですが、平家物語と椎葉村がどう関係があるのかは、まさかの後編にて解き明かして行きたいと思います。
中篇の最後に、ぼくが感じたKaterieの課題について記しておきたいと思います。「カテーリ」という椎葉村に独特に根付いた相互扶助のコンセプトをベースにするのはとても良いことだと思うんですね。
でも一方で、人間関係がもはや希薄になってしまった都市部とは違って、椎葉村にはまだ「カテーリ」の思想は色濃く残っているように感じました。だから村の人にとって「カテーリ」を大事にしようと言っても、何を当たり前のことを言ってんだとしかならないようにも思うのです。
どうしても距離的な問題があるので、地元中心のイベントになるのは致し方ない気もしますが、ぼくはむしろ椎葉村を、日本の失われた結いの総本山として、都市部における人間性の復興のための聖地として運動していくような仕掛けが必要なのだと思います。
じゃあ、具体的にお前にはどんな策があるのか、と訊かれると、今のところおれも無いけど何とかなるさ、見ろよ見上げりゃ青い空ぁと無責任に終えておきたいと思います。
(後篇につづく)
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