たおえの戯言_俺の家の話(ドラマじゃないよ)

自分の音楽の趣味やファッションセンス・車の運転などで元ヤンだの何だの世間からイメージづけられているものの、自分の家は何を隠そう、メチャクチャ厳しい家だった。山梨県内の田舎町でも特に風習や人間関係が激しい地区にある、田舎主流の公務員家で生まれ育った。祖父は町役場の職員、父親は警察の職員。地元も公務員かどこかの会社のお偉いさんという大人が多くいたが、とにかく若者が出て行く町としても有名だった。

俺が小学生の頃なんて、月・水・土はスポーツ少年団、火・金は公文式、木曜はスイミング、日曜は最悪スポ少の試合系統で潰れることもある。だから、小学生の頃から友達と遊ぶなんて習慣が全くなかった。学校が終わって放課後や夕方友達と遊んでる同級生達や他の学年の連中を見て、本当に羨ましかった。ちなみに、中学生になって反抗期というか若気の至りと言えばいいのかわからないが、学校の部活を「自分が下手くそだからやる気がないと怒られてやだ」という理由で辞めたり、家の都合で公文式を辞めて甲斐ゼミナールへ通い出すなど、まあ中学校では"クラブに入ってないのに部活を辞めた奴"として見られていた。だから中2になって遊び始めるだなんて考えもしなかったけど。

成人式。人生に一度のお祝いの日。別に地元のヤンキーでもなければ、みんなと会うのが嫌だからというタイプでもない俺はスーツではあったが髪型は自由にしたいと思っていた。コーンロウのように編み込みを入れたいと家族に相談したら猛反対。父親に至っては「家の敷居を跨がせない」と激怒。祖母の反応が意外と言えば意外だったが「あたしゃおじいさんに顔向けできんよ」とおいおい泣き出した。勝気なおばさんで有名な祖母の初めて弱気な姿であった。

何気に世間は恵まれてるようで恵まれてないんだなと考えることが多くあった。

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