家族のカタチより大切にしたいこと


私の両親は、私が10才の時に別居し、その約1年後に離婚した。
今も感謝しているのは、父はいつでも私たちと逢える状況だったということ。

父は時々、私たち兄妹3人を連れて出かけた。
父なりの思いや考えで、必ず何か学習に繋がりそうな企画だった。

科学館や博物館、〇〇城や、〇〇記念館。
登山も初心者向けのロッククライミングだったり、アスレチックだったり。
海といっても扇風機しかないバンガローとか。

もう中学生以上になってきたら、あまり興味もなかったり、気恥ずかしかったり、面倒だったりした。

車はないからどこへ行くにも電車なんだけど、父はものすごくどんくさいところがあって。方向音痴で視力も低いから、電車を乗り間違えそうになったり、カメラの使い方が分からなかったり。

いろいろと年頃の女子としては、お父さんと兄ちゃんと妹とお出かけとか、気乗りしないというのが、ぶっちゃけの正直な気持ちだった。

でも、誘ってくれたら一度も断らずに行った。兄妹3人とも。
なぜか。

父の思いが伝わっていたから。

大切に思ってくれてる。
伝えたいとか、与えたいとか、そういう思いでしてくれているのが伝わっていた。

とても大切な思い出になっているから、当時の私に感謝してる。行ってくれてありがとう。

高校生になると、私が養育費を直接受け取るようになった。
毎月連絡をくれて、やくざのメッカと呼ばれる京橋の京阪モールのとんかつ屋さんでお昼ご飯。その後、1Fのモロゾフの喫茶店のケーキセットでティータイム。

近況報告とか、社会情勢のこととか、歴史や政治。父は考えることが好きで、何か1つ聞くと、10は返してくれる人だった。いろんな話をして、3人分の養育費を頂いて、帰る。
それを、母へ渡す。

高校卒業して実家を出てからは、預かるのではなく、自分の分だけを直接頂いた。兄や妹にも、そうしていたんだと思う。

それは成人するまで、続けてくれた。

父とは10年しか暮らさなかったし、関係性はどこかぎこちなくて他人行儀な感じがずっとしていたけど、でもずっと大切に思い続けてくれていたことがいつも伝わっていた。
不器用な父だったけど、真面目で、真っすぐだった。
他界して13年。
父が突然、心臓発作で帰らぬ人となってから、私が悔やみ続けたこと。

それは、
「あなたの愛を、ちゃんと受け取っていますよ。ありがとう。」と一度も伝えられなかったこと。

照れとか心の複雑さとか、いろんなものが邪魔をしていて、きちんと感謝を伝えることができなかった。いつか親孝行したいと思っていたけど、育児に追われている真っただ中の頃に突然、別れがやってきてしまった。

そんな経験があったから、自分の離婚後も、娘たちとお父さんの関係がどうか良好でありますようにと願うばかりだった。

有難いことに、娘たちは自分たちからお父さんと連絡を取り合い、毎月1~2回は週末に遊びに出かけている。

映画を観て、古着屋さん巡りをして、夕飯を食べて帰ってくる。
時々、山へBBQをしに行ったり、カラオケに行ったり。
海鮮市場で美味しいものを買って帰って、お父さんの家で一緒に食べて来ることもあるし、掃除を手伝ってくることもある。

帰って来た娘たちは、どんなにお父さんが面白かったかを話してくれて、3人で大笑いする。

15才、17才の女子たちが、自分達からお父さんと楽しく遊びに行くなんて、あまり聞かない。

彼が娘たちに、素直に自分からの愛情を示してくれているからに他ならないし、娘たちもそう。送って来てくれたお父さんを、「ありがとう~。だいすきよ~。ばいばーい。」と見送る声が聞こえると、なんて素敵な娘さん達なんだと、尊敬の念すら湧き上がる。

でも元夫は娘たちに、「こうやって2人が、お父さんお父さんって言うてくれるのは、お母さんのお陰やから感謝してる。」と言ってくれていたそうだ。

それを聞いて、育児期や、1度目に離婚を思い止まってからの10年が、報われた気がした。
同時に、私の両親が、お互いの子ども達との関係を大切にしてくれていたことに、改めて感謝が深まった。

表向きのカタチが、外から見て良いか悪いかなんてどうでも良いことだ。
その内側で、そこに関係している人達が、どう向き合って、何を大切に思い、どんな伝え方であれ、相手にしっかり伝わっているかどうか。

人は、誰かとの関係性の中にしか存在できない。

これは私が自分の中に刻み込んでいる言葉だ。
大切に思うなら、伝えた方がいいと思う。

どんなに不器用でも不格好でも構わない。
それが、その人らしさだから。

父の不器用な生き方そのものに、私は今もとても愛着があって大好き。
もちろん、母も。

人は、必ず後悔する。

自分は何を悔やむだろうかと想像して、悔やまないようにしようと思っても、なかなかできないものだと思う。

だから、自分という命を存在させてくれている深いご縁の人達には、不器用な私でいいから、小さな1つ1つでもいいから、出来ない時があってもいいから、私を表現して伝えていたいと思う。

いつか私が居なくなった後も、この不器用な私を思い出してもらえるように。


次は、究極のパートナーシップについて書く予定です。

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