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⑹関わり合えない親子関係

→前記事 ⑸母子家庭の崩壊

叱ってくれる人がいないというのは悲しい。
生きていると、人はたくさん間違える。
間違えるのは素晴らしい経験だけど、人の世で生きていくには、人の気持ちや、人との間にある道理や、属している社会のルールを学んでいく必要がある。

そもそも、「間違っている」ということを知らなければ、「間違えるという経験」ができない。
「間違いから学んだ」という意識も起きない。
自分が間違えていることに気づかないまま、大人になってしまう。

そういう人、いますよね。(自戒も含めて)。

「あの人、間違えてんなあ~」

と思っても、大多数の人はわざわざ教えてはくれない。
腹で思って、それなりの距離でしか付き合わないようにするだけだ。
わざわざ教えてくれる人は、めちゃくちゃ有難い存在である。

だから、親は叱った方がいいと私は思っている。

感情に任せて怒るのと、人の道を伝えるために叱るのは全く違う。
怒鳴らなくても、優しい言葉でも、叱ることはできる。
優しく怒ることは、できない。

ここは本当に本当に、間違えない方がいい。

ー私には叱ってくれる大人がいなかった。ー

高3にもなって、恥ずかしくも万引きGメンに連行されたあの日、店の事務所には店長と、おばちゃんGメン。そして母が電話で呼び出されて来ていた。

今回は学校にも警察にも通報しない。と情状酌量してもらい、おばちゃんGメンのちょっとよく分からないお説教(おばちゃんの自慢の息子さんの話だった。)を聞き、カバンに入れた品々をお返しして謝り、家に帰った。

その間、母は一言も発しなかった。最後に「すみませんでした」と店側に謝ってはいたけれど。

自転車で家に帰る間も、帰ってからも、何も言わなかった。

言えなかったんだろう。
何を言えばいいのか、分からなかったんだろう。

そして、もし何か言おうものなら、私はブチ切れていたに違いない。
だからやっぱり、何も言わなかったのが正解だったと思う。

娘が犯罪を犯していることが発覚した時でさえ、何も言えないほどに親子間の信頼関係は崩壊していたのだ。

その夜、帰宅したSちゃん(母の内縁の夫)に呼ばれた。
母とSちゃんはテーブルに座っていた。

「お母さんに、今日のこと聞いたんやけどな。」

優しい口調で何か話そうとしているようだったけど、もうこの流れも大きく間違っている。

「放っといて。自分のことやから。」

それだけ言い捨てて、自室に戻った。

2人は、もう子ども達にどんな言葉も届けられないほどに、関係性を放置し過ぎていた。

親子間の信頼関係が崩壊していると、子どもに親の言葉は届かなくなる。
同時に、子どもの言葉を聴くこともできなくなる。

何か困ったことが起きた時、子どもは親にSOSを出すこともできず、自分で何とかしなければと事態を悪化させる。知識も経験も人脈もないのだから当たり前だ。

万引きという行為は、私の場合は一言で済ませるなら腹いせだったと思う。

しんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどい

身体か心か頭か?その全部か?
「しんどい」という闇に覆われて、でも平気そうに振る舞っている自分の本当の姿と、目の前に広がる現実社会との乖離。

ー何かでそのしんどさの帳尻を合わせないとやってられない。ー

そういう、自己中心的な弱さが、たまたま万引きという行為になっていた。

幸い、私はピタッと万引きを止めることができた。

やっと止めてもらえた。

手を強く掴まれた時に聞こえた心の声が、本当の私の声だった。
自分の声がかすかでも聴こえる自分で居られてよかったと、心から思う。

ちょうどその頃、美容室で円形脱毛症になっていることをこっそり教えられた。美容師さんが養毛剤をつけながら、
「ストレスがあるとなりやすいけど、大丈夫すぐ治るからね。こうやって隠せるところやし、そんなに大きくないし。」
と、にっこり笑ってくれた。

今も彼は同じ地域で美容室をしていて、2年近く前から、母と一緒に通っている。いろんなことがあった街で、いろんなことがあった相手と、今はドライブがてらに一緒に髪を切りに行き、ランチしてお喋りをする。

平和な日々に感謝しかない。

私は高校を卒業して間もなく1人暮らしを始め、その年にSちゃんを越える悪役大スターと出逢うことになる。その話はまた今度。

次の記事は、どうすれば子は親を信頼しなくなるのか。
というお話を綴りたいと思います。





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