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やさしさの世界線

「やさしさ」とはなんだろう?

「やさしそう」「やさしいね」
そう言われると居心地の悪さを感じるのはなぜだろう?
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あこさんの記事を読むのをいつも楽しみにしています。素直な気持ちを言葉に乗せることができる人です。コメント欄に長文を書き込む私に、丁寧な返信をしてくれるやさしさを持った人です。

この記事でも私は「やさしさ」についてコメントを残そうとしました。でもいざ書こうとすると「やさしさ」がよく分からなくなってしまったのです。
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最初私はこんなコメントを書こうとしてました。

「やさしさ」の本質は相手のことを気にかけることである。


「やさしさ」の対象は自分に向けるものではなく、相手に対するものなので、相手がいなければ「やさしさ」もないのではないかと考えました。

相手のことを気にかけて、たとえ行動に移せなかったとしても、その人はやさしい人である、そう書こうとしたのです。

◇◇◇

コメントを書く前に、確認のためネットで検索してみると、私の考えとは反対のことが書いてあるページを見つけました。

それは「やさしさ」と「思いやり」の違いについて、というものでした。

いわく「やさしさ」は相手がいなくても成立するが、「思いやり」は相手がいなければ成立しないとのこと。

この「やさしさ」はその人の性格であり、確かにそれであれば相手がいなくても成立します。私が書きたかった「やさしさ」はどちらかといえば「思いやり」に近かったようです。でも、それもまた「やさしさ」だと思います。

さらに検索すると、みな思い思いに「やさしさ」とは何か語っていました。

◇◇◇

そこで私はあこさんの記事にこんなコメントを書きました。

この記事を読んで「やさしさ」とは何だろうと考えました。似た言葉だと「思いやり」「穏やか」「あたたか」などがイメージに近いでしょうか?「やさしさ」は一言では言い表せない、というのが今のところ私の結論になりそうです。だから人から「やさしいね」と言われると戸惑うのかな?と思いました。

でも考えを推し進めると…。「優しい人」の反対は「厳しい人」「冷たい人」になりそう。ということは厳しい人、冷たい人でなければ、優しい人といえるのか。それなら自分もそうかなとか思ったりして。

「優しい」の英語をGoogleで調べたら驚くほどいろんな翻訳が出てきました。「優しい」の一言には、こんなにたくさんの意味が含まれてたんだなあ。もしかすると「やさしさ」は人として好ましい感情すべてを表す言葉なのかもしれませんね。

* * *

それぞれが思い描く「やさしさ」がある。それぞれが育てた「やさしさ」のイメージがある。金子みすゞではないけれど、みんな違ってみんないい。

いま世界では私たちの「やさしさ」が必要とされています。

「やさしさ」はそれぞれの心の中に。それぞれの形で。

私たちは「やさしさ」で世界を回していこう。


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