見出し画像

【TRPG】文化としての成熟

 ここ半年くらい思うところがあって、時間がある時にちょくちょくテーブルトークカフェ(主に神楽坂のモノドラコさんと、神田のDaydreamさん)にお邪魔させていただきました。遊び8割、研究2割。ゲームプレイ後は、できるだけ同卓のメンバーにTRPGに関するインタビューをしてみました。定量的な調査としては全くサンプル数が足りていませんが、色々と気付きがあったので備忘録的に記しておきたいと思います。

 この半年間を通して全体として強く感じたことは「TRPGがいよいよ文化として成熟し始めたな」ということです。僕が最初にTRPGを遊んだのは1990年代、通っていた小学校の近くの文房具屋でたまたま見かけた「火吹山の魔法使い」がキッカケでした。最初はAFFやD&D、T&Tなど翻訳もののTRPGを中心に遊んでいましたが、ロードス島戦記、ソードワールドの爆発的なヒットがあり、次第に遊ぶ仲間が増えていきました。文庫で気軽に楽しめる「ゲームブック」や、日本では読み物としても楽しい「リプレイ」も流行し、TRPGの入り口として、プレイヤー人口の拡大を支えました。10年ほどのブームの後、所謂『TRPG冬の時代』が訪れますが、その後「動画」という新しい入り口が生まれ、TRPGは今、再びブームを迎えています。テーブルトークカフェで遊ぶと、TRPGとの出会いや、遊んできた期間、TRPGに求めること、などのユーザー属性が、僕がTRPGを始めたときと比べて非常に多様化しているな、と感じます。

 以前、大学の大先輩でアンパンマンの原作者の、故やなせたかし先生から、こんな話を聞いたことがあります。アンパンマンは最初から順風満帆に不動の人気を獲得したわけではなく、アニメの人気が低迷した時期、路線を流行りの絵柄やストーリーに寄せようという提案が何度もあったそうです。しかし、やなせ先生はそれを良しとせず、アンパンマンで育った世代が親になるまで、決して変えずに踏ん張ることが大切だと考えました。変わらなかった結果、親世代が安心して子供に買い与えられるコンテンツとしてアンパンマンは今の地位を獲得したのだと、先生は仰っていました。

 D&Dや、その後のゲームブック、リプレイから入ってTRPGの最初の担い手となった10代~20代が今、40~50代になり、まさに子供と一緒にTRPGを遊べる世代になりました。動画でCoCの動画を見た子供が、ふとお父さんの本棚の前で〈図書館〉ロールに成功したら、CoCのルールブックが出てきた…なんてことは、あんまり無いかもしれませんが、今後はそういう「家族で遊ぶTRPG」なんてものが、増えてくるかもしれません。親子で遊ぶ以外にも、TRPGを知る層が多様化した結果、大人数や少人数、学校や職場のコミュニケーションツール、教育目的など、TRPGを遊ぶシーン自体が、幅広い年齢層と遊び方が共存する、多層的なものになってくるのだと思います。それこそ、TRPGが一過性のブームではなく、ひとつの「文化」として成熟する、ということなのではないでしょうか。ひょっとすると近い将来、老人ホームでD&Dを遊ぶ光景も普通のことになるかもしれません(ボケ防止にとても良さそうです)。

 私の母親は大の映画好きなのですが、戦後の田舎町では、映画は「不良が見るもの」として、禁止している家庭が多かったという話を聞いたことがあります(母も、祖母の目を盗んでこっそり観に行っていたのだとか)。新しいものは若者の中から発生し、親たちは理解が及ばない異質なものを禁じようとします。しかし、映画はその時期を耐え、世代をまたいで一周したことによって、家族向けから恋人同士で観るものまで、芸術的価値の高いものからC級エログロナンセンスまで、非常に懐の広い文化として成熟しました。
 我々の世代で言えば、コンピューターゲームもまた、最初期は不良の溜まり場のゲームセンターから始まり、ゲーム脳だ何だと難癖をつけられたりもしましたが、今は低年齢向けから大人向け、芸術的価値の高いものや、親子や恋人同士で遊ぶゲーム、知育ゲームなど、幅広いジャンルが存在しています。これもまた、文化として成熟しかけているもののひとつと言えるでしょう。
 そして、文化の成熟と内容の多様化は、不可分なものです。

 TRPGは「冬の時代」を経ても消え去ることなくしぶとく生き延び、新たな仲間である「動画勢」を迎え入れる中で、ようやく文化として成熟しかけています。年齢性別を超えて、多様な遊び方を認めあい、TRPGの楽しさをたくさんの人に体験して欲しい。そうしてTRPGという素敵な遊びが、もっともっと身近なものになってくれたら良いなと、TRPG大好きおじさんは願っているのでした。

 

サポートいただけましたら、ありがたく創作の糧にさせていただきます。