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【TRPG】ウォーハンマーRPGとエンクロージャー

(※先に書いときますがほんとしょうもない記事です)

 ウォーハンマーRPGを遊んでいてふと思ったこと。

 ウォーハンマーRPGには、冒険と冒険の合間の時間についてのルールがあります。このルールを導入すると、セッションが終わって次のセッションまでにゲーム内で一ヶ月経過したとしたら、その間PCたちがどんな風に過ごしていたかを決めることができます(とても楽しい!)。
 同様のルールがD&Dにもありますが、アイテム作成や訓練など、基本的にプラスの要素しかないD&Dと比べ、ウォーハンマーRPGの場合は一定の確率で犯罪の嫌疑をかけられて逮捕されたり、身内に裏切られたり、赤痢が蔓延したりと、かなりロクでもない事態が発生します。極めつけは、前回の冒険で獲得した金貨や銀貨は、次の冒険が始まるころには強制的にスッカラカンにされてしまうのです。表紙にでっかく赤文字で「残酷な世界の冒険ルールブック」と書かれているだけのことはあるなと、深く頷いてしまう、納得の残酷度合いです。

 もちろんこれはプレイヤーをいじめるためのルールではありません。ゲームの設計として、PCたちが過度に裕福になって危険な冒険に出るモチベーションを失ってしまうことを防ぐために用意された仕組みです。特にウォーハンマーRPGのPCたちは、村人や漁師といった地に足のついた職業であることが多く「おら、そんな怖い場所には行きたくねえだ。畑を耕すだ」と言われてしまうと、ゲームマスターとしては困ってしまうわけです。スッカラカンで明日家族に食べさせるものもないとなれば、PCたちは多少危険な仕事にも挑戦してくれることでしょう。

 まあ、そういったゲーム的な意図は承知した上で、それにしても、アメリカ生まれのD&Dと、イギリス生まれのウォーハンマーRPGとで、どうしてこうもテイストが違うのか。これは、アメリカとイギリスのお国柄の違いが何らかの影響を及ぼしているのではないだろうか、と考えたわけです。

 イギリスは、いち早く産業革命を起こしたことで、世界を統べる覇権国家となりました。アメリカは建国時に既に産業革命を輸入していますから、自らそれを生み出した経験はありません。
 産業革命の原動力たる賃金労働者を生み出したものとといえばエンクロージャー。すなわち、土地を所有している富裕農たるジェントリーたちが推し進めた"囲い込み運動"です。16世紀と18世紀の2回に渡り、共同管理などされていた農地から締め出された小作農たちが、やがて都市の賃金労働者になり、工場制手工業の担い手となっていきました。ウォーハンマーRPGでクラスを「都市民」「農村民」といった分類で分けているのは、農村民が都市民に変化していったという産業革命時の対立概念が反映されているような気がします。

 ここでピンとくるわけです。ジェントリー=ゲームマスター(またはゲームルール)、PC=小作農冒険=都市での賃金労働、と当てはめてみると・・・それはもはやウォーハンマーRPGの図式ではないだろうか。
 つまり、小作農を強制的に都市労働に送り込むための囲い込み運動、それこそがウォーハンマーRPGの、「残酷な世界の冒険ルールブック」のルーツだったのだ!――本当なのかキバヤシ!

 ・・・と、思いついた時は「俺ひょっとして世界の真理に気付いちゃったかもしれない!」と興奮したものの、書いてるうちにそうでもない気がしてきたので急にトーンダウンしますが、西洋中世をモチーフにしたファンタジーRPGと一括りにしても、少しずつ作者が依って立つ文化の違いが現れるのは面白いし、それを想像しながら遊ぶのは楽しいなと思うわけです。日本で生まれ育った作者が作った西洋ファンタジーも、どことなく日本の匂いがしますもんね。
 それはそうと、ウォーハンマーRPGだったら、エンクロージャーをモチーフに貴族と農民が争うシナリオが作れそうですね。貴族が勝つと、農村民が強制的に物乞いとかネズミ捕りとかにキャリアチェンジさせられちゃうの。残酷!


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