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戸締まり、そして旅立ち

2024年はいろいろな変化があり、まさに人生の転機・トランジション期の真っ只中にいます。まだ頭の中は整理できていないけれど、誰かのためになるならと思い、あえてまとまらないまま書いてみます。



戸締まり

もしも人生の旅に、次の旅への扉があるとしたら?
次の扉の向こう側へ行くために、ここに置いていくもの、悼むもの、認めたいことを「戸締まり」としてここに残したい。

会社員

わたしの人生は、組織のダイナミズムを多く体験するものだった。小さな会社のはじまり、規模の拡大、上場。IT関連企業、金融機関、コーチングスクール。巨大な組織で巻き込まれる体験。組織のさまざまな季節の移ろい。

いろんな職業・職種を経験して、会社員ではない部分も知りたくなった。会社員の仕事は会社の方針に従って働くことであり、そこにプロフェッショナリズムを感じながらも、もう十分味わったなという気持ちにもなった。

すべての会社員にリスペクトを持って、会社員の生活を閉じた。これまでお世話になった人たちへの感謝を忘れず、これからも私ができる応援を続けていきたい。それはコーチングだけではないと思う。

コーチングスクールの運営

これがライフワークになるのかなと思っていた。いまもそう思っている。コーチングを教えるという立場だけでなく、運営側として世に広げていくことは、とても大切な社会的役割だと思っている。

同時に、運営はとても複雑なものだった。人の内面を扱う場所でありながら、意思だけではままならないこともある。複雑なものを複雑なまま扱う仕事だと分かった。そして、いまは離れるときなのだと分かった。

コーチングスクールの運営については、この業界でも珍しいノウハウや知識を持っていると思う。またタイミングが合えば、何かが起こるかもしれない。コーチングを教えることは、もうしばらく続ける。

20年のパートナーシップ

この漫画ですべて説明できてしまう。自分の話かと思ってしまった。

彼女との未来のためにやってきたこと。社会を生き抜くための自己研鑽、楽しめるだけのお金を用意すること、安心して暮らせる住居を買うこと、老後に備えること。未来の約束をすること。あれを食べようね。あそこへ行こうね。いつか行きたいね。今度行こうね。

私はあなたに問いかけたい。もしも大切な人との未来のためにやっていることがあるとしたら。特に「遠い未来」のためにやっていることがあるとしたら。それをやめて、代わりに後悔のない日々を送って欲しい。

毎日笑顔で「おはよう」「いってきます」「ただいま」「おやすみ」を交わしてほしい。「おはよう」が言えない日が来るなんて、思いもしなかったから。

また逢えるかな また逢えるよね
バイバイバイ バイバイ バイバイ
また逢う日まで

今度会った時は微笑めるのかな
10年後に偶然ばったりとかいやそれとももっとずっと先かな

それは青い空に浮かんでた細くてきれいな白い雲
気づいた時は消えている

バイバイバイ / KAN

そして、この困難に立つわたしを支えてくれたすべての人へ。ありがとう。

また逢えるよね。一緒にいてくれて、ありがとう。

旅立ち

大切なことを大切にして生きること。愛に生きること。これがわたしのやることだったんだ。「自分を生きる」ことは、一番最後に現れることだったんだ。自己実現は、私が意識を失い、亡くなっていくときの、その10秒前に実感できれば、それでいい。

みんなに喜んで欲しい

今年、遠く山奥にあるお宅にお邪魔した。お腹いっぱいのご飯、宿とお風呂をいただいた。山で採れたもの、海で捕れたものを食べさせてくれ、そこで出会った色々な人たちが様々な話をしてくれた。

宿代も食事代もない。どうしてこんなに無償で振る舞ってもらえるのか。もてなしてくださった方からの「みんなに喜んでほしい。」という言葉が心に残った。

そして、このような体験が2024年ずっと続いている。今まで見たことのない現実を見ている。どうしてこんなに分け与えてくれるのだろうか?どうしてこんなに労力を割いてくれるのだろうか?

「次はあなたがそれをする順番ですよ」と言われているかのようだ。きっとこれをやるための、人生の旅が始まっているのだろう。

うけたもう / accept everything

2021年からずっと行きたいと思っていた山伏の修行に行くことが叶った。きっと会社員を続けていたら、行くことができなかっただろう。

山にいる生き物たちが教えてくれるメッセージ、サイン、シグナル。体験をともなうスピリチュアルな体験は、わたしに向けて「見えないものへの信頼を育め」と伝えているようだった。

修行を通して肉体的な痛みと苦しみ、精神的な弱さ、様々な後悔、怒り、悲しみが交差した。内側も外側もぐちゃぐちゃになっても、自分に「うけたもう」という言葉をかけ続けた。

―― 山伏が言う「うけたもう」の意味は。

吉住 「うけたもう」というのは、受け賜わるということで、すべてがイエスであり、ノーはないということです。これは大自然の神、仏に対しての姿勢で、仮に「死ね」と言われても受けたもう、苦しいことも楽しいことも受けたもう、そういった精神で修行に臨みなさいという言葉なのです。

出羽三山の山伏が語る!知られざる山伏の秘密 – つるおか観光ナビ

ああ、わたしは、私の人生に起こるすべてのことを受け賜わっていくんだ。

山伏修行への参加は生前パートナーがずっと「危ないから行かないで欲しい」と言っていた、唯一の事柄だった。

仕事ではなく、活動をする

わたしは世の中で、懸命に生きている人たちのなかのひとりで、もうそれだけで、みんなと同じように生きており、これ以上何も主張することなんてない。だから、改めてわたしは、私の存在を証明しようとしない。

これからは社会的な強さを示す仕事をするのではなく、わたしが体験するために人生が投げかけてくる現実を受け取り、わたしの身体を通して世の中が体験したかったことを表現するための活動をする。

生き残るための仕事よりも、世の中が体験したいことを支える活動をする。それが周囲から仕事に見えようが、見えまいが、それも問題ではない。誰かが喜んでくれて、したかった体験を届けて、その影響を受け取っていくことだけをする。


あなたもこの旅路の仲間です

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。数多くある記事のなかから、これを選んで読んでくださったあなたも、わたしの旅路の仲間だと感じます。

もしも、あなたの人生にも戸締まりと旅立ちが必要であれば、次の扉の向こう側へ行くために、ぜひそれを言葉にしてみてください。

あなたの旅路を様々な形で表現してください。それを知ることができたらとても嬉しいです。わたしの活動があなたの活動の一助になれたら嬉しいし、わたしと一緒に活動できたら、それも嬉しいです。

それでは、あなたとわたしの人生の交差点で、またお会いしましょう。

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