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遅読家の読書録

僕は本を読むのが遅い。

平均して月に2、3冊、頑張った月で4、5冊程度である。

大半は小説で、たまに新書とかビジネス書が挟まれる。同時に2、3冊を並行して読むことが多く、これがさらに読了までの期間を伸ばしてると考えられるが、この読書スタイルはなかなかやめることができない。
おかずばっかり食べた後に、ご飯ばっかりではつらいのだ。

速読の本もいくつか読んで試している。
ある程度読書スピードを上げてくれたように思うが、速読法で読んだ小説は感動が薄まるように感じる。映画を倍速で観たり、あらすじだけ解説した動画を観たりするのに近い。

僕が面白いと思う小説は、没入感を与えてくれる小説であり、読むスピードが早いほど没入感は感じにくい。
小説をメインに読む人にとって速読は難しいのではないか、というのが僕の見解である。

初めて読んだ小説

そもそも本を読み始めた年齢が遅かった。
初めて挿絵のない、活字だけの本を読んだのが中学1年の時だった。
「ハリーポッターと賢者の石」だった。それも映画を観た後で、である。

読んだ時はそれなりに面白いと思いながら読んでいたが、それは本の内容を楽しむというよりは、映画の世界を再度味わう楽しさだった。

その後同シリーズで「アズカバンの囚人」を、映画を観る前にネタバレ無しで読んだ。
伏線という概念を知ったのもこの時で、一見デタラメに散らばって見えたエピソードの数々が最後に収束していく様に感動した。
しかしその後、再び本に触れる機会は長い事こなかった。

空白期間と読書の再開

中学3年から高校にかけて、それは僕にとっては辛い時期だった。
やらなければならない事、考えなければならない事がたくさんあり、本を読もうという気力も湧かなかった。

再び本と向き合ったのは大学2年生の頃だった。
もともと優れた教養も得意分野も無かった上に、法学部生でありながら法律の授業に全くついていけなかった。
社会に出るまでの期限は着実に迫っている。何か教養を身につけなければと切迫した気持ちで本を読み始めた。

直面した読書の壁

そこで初めて子供向けでない一般の小説を読んだ。
信じられないかもしれないけど、一冊に2ヶ月とか3ヶ月かかった。

まず文章を読み慣れないのに加え、語彙があまりに貧困だった。
わからない単語、名詞にぶつかる度に一時停止させられるのである。しゃっくりしながら食事をするようなものである。

最後まで読み終えると、内容が面白かったかなんて、もはやどうでも良かった。
やっと読み終えた達成感と解放感でいっばいになり、同時に読書家へのあまりに長い道のりに愕然としてもいた。

それから10年以上読書を続けている。そして未だに読書に慣れないと感じている。
一日一冊読んでいるとか、年に200冊読むという話を聞く度に驚愕させられる。一体その人の頭の中はどうなっているのだろう、と。

自粛生活での変化

そんな読書習慣にちょっとした変化が起きたのは、去年コロナ禍で勤め先の休業が決まった時だった。
不安と混乱で神経をすり減らしてはいたけれど、自分の時間を自由に使えたので、読書にその時間を割くことができた。

読書に専念できたおかげで10年での自分の成長を感じることができ、同時により読書スタミナを強化させたいと思うようになった。

新たな試み

そこで現在、読んだ本の記録をつけることにしている。ただ読み終わった本を記録していくだけである。
これが功を奏したかどうかはわからないが、今年初めて大江健三郎とドストエフスキーの本を読了した(ものすごく時間はかかったけれども)。

そして今度は読んだ感想をネットで公開してみてはどうかと考えた。
画期的なアイデアでもなんでもないが、僕にとっては大きな挑戦になる。
さらに意欲を高め、少しでも読書習慣に変化をもたらしたい。

noteを始めようと思った次第である。


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