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山下達郎 シンセサイザー史

今宵の担当、noriです。
最近は動画コメントが続いたので久しぶりにガツッと書きますよ。

以前、山下達郎サックス史を書きましたが今回はシンセサイザー史です。

山下達郎さんの音楽はテクノポップでもシンセポップでもありませんが、シンセサイザーは重要は要素だと思います。

全ての作品にシンセが入っているわけではありません。ファーストの「CIRCUS TOWN」(1976/RCA)ではシンセサイザーに関するクレジットはありませんでした。

一方、近年の作品はシンセサイザー等を駆使しトラックの大半を達郎さん一人で制作した作品が散見されます。

コダヌキでも「Midas Touch」をカバーしました。
ドラムプログラミング、シンセベース、ギターカッティングで大体のバックトラックが出来たような気になりましたが、その後の細かいシンセのコピーや音色作りに苦戦したものです。

そんな経験もあったので今回はシンセサイザーに焦点を当てます。

サキソフォンの時は奏者中心で書きましたが、シンセサイザーの場合はキーボード奏者が演奏したり、達郎さん自身も演奏したりするので、機材を中心に書きたいと思います。

ARP ODYSSEY (当時の価格 470,000円)


「It’s a Poppin’ Time」(1978/ RCA)の見開きジャケットの写真で坂本龍一氏のフェンダーローズの上に乗ってるのを確認できます。
フロントパネルに「R.SAKAMOTO」と記載があるので個人所有機材ですかね。

YMOの膨大な高額シンセ群は殆どがリースでしたが、坂本氏はこのOdysseyと後述のPoly Moogは個人所有していたそうです。

この個体はRev.2と思われますが、同年結成されたYMOの初期のツアーでは(同個体かは分かりませんが)このRev.2とRev.3を2つ並べてました。

「ピンク・シャドウ」のイントロ、ソロなど、このライヴ盤では全面的に使用されています。

余談ですが、かの「ライディーン」のテーマの音色もこのシンセで作られました。

こちらに先駆け、セカンドの「SPACY」(1977 /RCA)では達郎さん本人が「きぬずれ」でOdysseyを使ってシンセベースを弾いております。

インタヴューでは、「シンセサイザーに関しては坂本龍一という最高の先生がいた」とも発言されていますので、坂本氏の愛機と同じシンセを使用したのではないかと推測します。

KORG PS-3100 (当時の価格 490,000円)


国内産初のポリフォニック・シンセ、和音が出るシンセです。
そもそもシンセサイザーは単音しか出ない楽器だったので、当時複数音が発音出来るシンセは高額かつ貴重でした。

細野晴臣氏が初めて購入したシンセサイザーとしても知られます。

達郎作品ではなんといっても「潮騒」での坂本龍一氏による印象的なイントロが特筆されますが、「MOONGLOW」(1979/RCA)収録の「Yellow Cab」でも坂本氏によって演奏されました。

このシンセは、達郎さんもカスタネットで参加した坂本氏のファーストアルバム「千のナイフ」(1978/Better Days)でも多用されていますが、坂本氏が個人所有していたのか、細野さんから借りたのかはわかりません。

坂本氏のこの頃の参加作品(ラジとか南佳孝とか)ではArp OdysseyとこのPS-3100で構成されているものが多いんですよね。

80年以降はKORGの申し子(?)、難波弘之氏が「おやすみ」と「LOVE TALKIN’」でこのシンセを弾いています。

MOOG Poly Moog (当時の価格 1,650,000円)


こちらも坂本龍一氏が「This could be the night」で演奏しています。
前述の通り坂本氏はこの高額なシンセを個人所有していたので、自身の楽器で演奏したのではないでしょうか。この全鍵発音可のポリフォニック・シンセはYMOの初期のツアーで大活躍し、前述のArp Odyssey2台の下に配置されていました。
この楽器はシンセサイザーと言ってもプリセット音をエディットすることしか出来ず、老舗MOOGのポリフォニック・シンセにもかかわらず高額だったこともあり余り人気が出なかったようです。

坂本氏も大分前に手放してしまい、「良い楽器だった」記憶があったので、最近楽器フェアで弾いたら余り良くなかったとのことです。

MOOG Mini Moog (当時の価格 495,000円)


上記のPoly Moogとは逆に、ライブでも使える小型モノフォニック・シンセ(単音しか出ないシンセ)として販売したMini Moogは音色をイチから作れることもあり同社の代名詞的商品となりました。前述のArp Odysseyとともにモノフォニック・シンセ東西の横綱です。
とは言え、プログレ系では大人気のこの楽器もポップスではOdysseyに水を開けられているようで、この楽器のクレジットがあった達郎作品は「SUNSHINE 愛の金色」での難波弘之氏によるソロのみです、そう言われると極めてプログレっぽいソロですね。

KORG λ (当時の価格 250,000円)


珍しいというか記憶から消えかけていた楽器のクレジットを見つけました。
「FUTARI」で難波弘之氏がこの楽器でストリングスを弾いています。
この頃、KORGはΣ、λ、Δと3種類のキーボードを出していました。

Σはシンセサイザー、λはエレピ、クラヴィネット、ストリングスなどの音色がプリセットされたアンサンブル・キーボード、Δはその複合機でした。

OBERHEIM OB-Xa (当時の価格 1,960,000円)

「Melodies」(1983 / Moon)で「高気圧ガール」、「メリーゴーランド」、「クリスマス・イヴ」の3曲で使用されています。
演奏はこの頃のツアーメンバーでもあった、元安全バンド、元ホーン・スペクトラムのサックス奏者でもある中村哲氏。

OB-Xaと言えば、ヴァン・ヘイレンのかの大ヒット曲「JUMP」で全面的に使用されたことで有名です。

E-MU  EMULATOR (当時の価格 約300万円)


シンセサイザーというよりサンプラー最初期のモデルです。

お皿を叩く音や、犬の鳴き声なども音階化してキーボードで弾けるということでテレビでも度々紹介されていました。

YMOでも最後期の「君に胸キュン」のテレビ出演時で(当てぶりですが)坂本教授がこの楽器を弾いている姿が拝めました。

達郎作品では「MERMAID」での難波弘之氏によるマリンバのような音色のソロで使われています。

今聞くとなんて事ない(というか安価な機材でも出せるような)音ですが、当時は一流のプロでないと使えないような楽器だったのですね。

FAIRLIGHT CMI (当時の価格 12,000,000円)


初期の達郎さん作品のクレジットではシンセサイザーの機種名が明確に記載されていたのですが、「POCKET MUSIC」(1986 / MOON)あたりからsynthesizerとしか記載されなくなりました。
色々な記述を見る限りですが、「POCKET MUSIC」や「僕の中の少年」(1988 / MOON)はこのフェアライトCMIで制作されたのだと推測します。

この楽器(?)はサンプラー、倍音加算式シンセサイザー、シーケンサーを一体化させた現在の DAWの原型のようなものでした。

価格が価格なので、こちら一流ミュージシャンしか使えないような代物でしたね。

「POCKET MUSIC」ではwith PC-9801とわざわざ記載されていますが、こちらはシーケンサーとして使ったんじゃないですかね、ソフトシンセなんて存在しない頃の話なので。

YAMAHA DX-7 (当時の価格 248,000円)

クレジットこそありませんが、「POCKET MUSIC」や「僕の中の少年」の頃は多用したんじゃないでしょうか。現在のツアーメンバー、柴田俊文氏の機材にも同社の最新機材MOTIFの上に今でも配置されているし、竹内まりやさんのライヴでは達郎氏自ら演奏していました。

ご存知、世界で一番売れたシンセサイザー、上記の製品に比べると安価だったので学生やアマチュアもこぞって購入していました。

この楽器によりプロとアマが使用するシンセサイザーが同化したと思っています。

「シャンプー」のエレピとか絶対DX-7っしょって感じですね。

ROLADN D-110 (当時の価格 83,000円)

今年の「アルチザン」(1991/MOON)30周年リマスターを期に初めて知ったのですが、このアルバムではD-110で殆どの音色が作られたようです。サンソンでご本人がおしゃっていたので間違いないです。

これはシンセサイザーと言っても鍵盤のないモジュールなのですが、マルチティンバー(シーケンサーでコントロールすることにより異なる音色、フレーズを同時に発音できる)であり、上位機種のD-550にもなかった音色ごとのマルチアウトプットがあったので敢えてこちらを使ったのではないでしょうか。同時期の竹内まりやさんの「REQUEST」もこのシンセ・モジュールが大活躍したそうです。

実はワタシも大学時代にこれを新古品で50,000円で購入し、シーケンサーのMC-300と同期して使っていました。

12,000,000円もするフェアライトの後に10万円以下の機材を使い倒していたとは知りませんでした。

SEQUENTIAL CIRCUIT PRO-1 (当時の価格 300,000円)


こちらもクレジットは見つけられませんでしたが、サンソンで「シンセベースはPRO-1でやっている。」とおっしゃっていたので、ある時期より現在までシンセベースはこれで演奏されているようです。
竹内まりやさんがこのシンセサイザーと一緒に写っているアーティスト写真もありますので、まりやさんの作品でも使用されていると思われます。

今日の一曲 Yazoo / Don't Go (1982 / Mute)

例によって達郎さんの曲は張りませんので、最後に紹介したPRO-1の名手、ヴィンス・クラークを擁したYazooのヒット曲。

ヴィンス・クラークはデペッシュ・モードの創始者ですが、ブレイク前に脱退してしまったのでこのユニットが最初の商業的成功です。

YMOのような高額シンセをリースできるバンドばかりではなかったので、安価な機材や単音しか出ないシンセをいくつも重ねたり工夫を凝らしてるバンドもたくさんいました。

この曲よく聴いてください・・・

和音が鳴ってないんです。

PRO-1のぶっとい音色をいくつも重ねていますが全て単音のフレーズで、重ねて和音にしようとかはしていません。
印象的でキャッチーなシンセリフも合間って違和感は無いのですが、和音が鳴っていないヒット曲って珍しくないですかね。

ヴィンス・クラークのスキンヘッドなのに一角だけロン毛というヘアスタイルにもご注目下さい(笑)初めて見た中学生の頃、なかなかの衝撃でした。

今宵の担当:nori

追記:今日のもう一曲 coda-nous-qui / Midas Touch (2021)

サックス史の時にも貼りましたが、コダヌキの達郎さんカバーです。

今回はシンセサイザーにご注目して再度聴いていただけると幸いです。

何百万どころか何十万もするシンセサイザーを購入しなくても、こういうのが制作できる時代になったのですね。

ありがたい事です。

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