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幕末のテロ事件一覧

凡太: 明治新政府の主要メンバーの多くはテロリスト出身? ほんとですか?

イシコフ:  本当だよ。ちゃんと記録が文書で残っている。
 ではまず、一体どれだけのテロが起きていたのか。はっきりした文献や資料が残っているものだけを拾い上げてみるよ。学校ではあまり教えたがらないことだろうから、ここでしっかり頭に入れておこう。

安政6(1859)年:

  • ロシア海軍乗組員殺害 ……東シベリア総督ニコライ・ムラビヨフが江戸に来航し、日露国境策定の交渉を開始したが、乗組員が横浜で水戸天狗党数名に襲撃され、2名死亡、1名重傷。

  • フランス領事館従業員殺害 ……フランス領事館の従業員(清国人)が欧米人と間違えられ、横浜の外国人居留地で殺害される。

安政7(1860)年:

  • 日本人通訳殺害 ……イギリス公使オールコック付きの通訳小林伝吉が、江戸のイギリス公使館の門前で侍二人に背後から刺されて死亡。小林は洋装をしており有名人だった。犯人は不明。

  • フランス公使館放火 ……フランス公使館が放火されて焼失。

  • オランダ商船船長殺害 ……オランダ商船船長ヴェッセル・デ=フォスとナニング・デッケルが横浜の街中で斬殺された。英仏蘭3国が5万ドルの賠償金を要求。幕府はオランダに1700両を支払った。

万延元(1860)年:

  • フランス公使侍従傷害 ……フランス公使ド・ベルクールの従僕でイタリア人のナタールが、2人の武士に右腕を斬られる。ナタールは拳銃で反撃し、犯人は逃亡。

  • マイケル・モース事件 ……狩猟帰りの英国人マイケル・モースの従僕が役人に捕らわれそうになったためモースが役人を銃で威嚇。役人一人が負傷したためモースは捕縛された。その後釈放されたが、領事裁判所にてオールコックが1000ドルの罰金と国外追放の判決をくだす。その後、モースは香港でオールコックに対する損害賠償の訴訟を起こし、オールコックが敗訴。モースに2000ドルを支払った。オールコックは「江戸城から10里以内の火器使用禁止」という日本の法律にのっとって裁いており、治外法権であっても日本の国内法を尊重した判決を下したといえる。

  • ヒュースケン殺害事件 米国総領事タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳のヘンリー・ヒュースケンがプロイセン王国使節宿舎から米国領事館への帰り道に襲われ、大量失血で翌日死亡。犯人は薩摩藩士数名。幕府はヒュースケンの母・ジョアンネに1万ドルの弔慰金を支払った。幕府は番所に外国人保護を訴える標識を立てたり、外国御用出役を新設するなどしたが、その後も外国人襲撃事件は続く。

文久元(1861)年~文久3(1863)年:

  • 第一次東禅寺事件 ……イギリス公使オールコックが長崎から江戸へ陸路で旅行したことに対し、尊攘派の志士らが「神州日本が穢された」といきり立ち、東禅寺のイギリス公使館内に侵入し、オールコック公使らを襲撃。犯人は有賀半弥を首魁とする水戸藩脱藩の浪人14名。外国奉行配下で公使館を警備していた旗本や郡山藩士らが応戦。双方に死傷者が出た。オールコックは辛うじて難を逃れたが、書記官ローレンス・オリファントと長崎駐在領事ジョージ・モリソンが負傷。事件後、オールコックは幕府に対し厳重に抗議し、イギリス水兵の公使館駐屯の承認、日本側警備兵の増強、賠償金1万ドルの支払いを要求。幕府はこれに応じた。この事件の後、英国艦隊の軍艦が横浜に常駐するようになった。

  • 第二次東禅寺事件 ……イギリス公使館のある東禅寺の警備に大垣藩、岸和田藩、松本藩があたっていたが、松本藩士・伊藤軍兵衛が公使を殺害すれば自藩の東禅寺警備の任が解かれると考え、夜中に代理公使の寝室へ侵入を試みた。しかし、警備のイギリス兵2名に発見され、その2名を殺害。その後、逃亡して翌日自刃。幕府は警備責任者を処罰し、イギリスとの間に賠償金の支払い交渉を行ったがまとまらず。

  • 生麦事件 ……横浜近郊で薩摩藩主の父・島津久光の行列を乗馬したまま突っ切ろうとしたイギリス人4人に対して薩摩藩士が斬りつけ、1名死亡、2名重傷。賠償交渉がもつれ、薩英戦争が勃発。

  • 英国公使館焼打ち ……江戸市民の行楽地となっていた品川御殿山に各国公使が公使館を建設することを幕府に求め、幕府がそれを呑んだ。これに腹を立てた長州藩士高杉晋作が、ほぼ完成していた新英国公使館の焼き討ちを計画。井上聞多(後の井上馨)、伊藤俊輔(後の伊藤博文)らと共に建設中の公使館に放火。幕府は犯人が長州藩関係者と知りながら処罰せずうやむやに。

  • 井土ヶ谷事件 ……フランス陸軍士官2名が馬で井戸谷村(現・横浜市南区井戸谷)付近を通行中に浪士数名に襲撃され斬殺される。犯人は不明。フランス公使からの抗議により、幕府は「横浜鎖港談判使節団」という名目でフランスに使節を派遣するとともに、カミュの遺族に35000ドルを支払った。

元治元(1864)年~慶応3(1867)年:

  • 鎌倉事件 ……イギリス士官2名が鎌倉で惨殺される。幕府は犯人として無宿浪人と称する蒲池源八、稲葉丑次郎、元谷田部藩士清水清次、旗本内藤豊助家・来間宮一らを捕縛し、斬首刑にした。

  • ハリー・パークス恫喝事件 ……イギリス公使ハリー・パークスが品川を騎馬で通行中、人吉藩士岩奥八右衛門が道の真ん中に立ちはだかり、刀を少し抜いていて恫喝した。パークスと英国人護衛の特務曹長がこれを拘束。英国公使館に連行して捕虜とした。

  • アーネスト・サトウ襲撃事件 ……英国公使の通訳アーネスト・サトウと画家のチャールズ・ワーグマンが陸路大坂から江戸に向かう途中、宿泊した宿で、同時期に移動していた例幣使一行の12人に襲われる。護衛の侍が撃退し、サトウらは難を逃れた。犯人はその後、江戸にて審問を受け、2人が死刑(うち1人は獄死)、4人が遠島に処せられた。

  • 英国水兵殺害(イカルス号事件) ……長崎でイギリス軍艦イカルス号の水兵2名が酔って路上で寝ていたところ、通りすがりの筑前藩士に殺害される。犯人は2日後に自刃したが、筑前藩がこれを秘匿。イギリス側が犯人を土佐藩の海援隊だと思い込んだことで、土佐藩が対応に追われ、薩土盟約が解消された。明治に入ってから犯人が分かり、被害者遺族に見舞金が支払われた。

  • ヘンリー・スネル襲撃事件 ……オランダ人で、プロイセン公使の書記官をしていたヘンリー・スネルが弟のエドワードが江戸を馬車で移動中、沼田藩士に急襲される。スネルが拳銃で反撃したところ、流れ弾が無関係の民間人にあたり負傷させてしまった。2日後、沼田藩は書面をもって、幕府に犯人を拘禁したことを報告。

  • 英国水兵襲撃事件 ……長崎の江戸町において、土佐藩士が泥酔したイギリス人水兵とアメリカ人に斬りつけて負傷させた。犯人は自首したが、正当防衛を主張。事件の解決を見ぬまま幕府の崩壊でうやむやに。


慶応4(1868)年(戊申クーデター後):

  • 神戸事件 ……神戸の三宮神社前において備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させる。さらに居留予定地を調査中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた。明治政府初の外交問題に。一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至り、問題を起こした隊の責任者は切腹。

  • 堺事件 ……堺港に上陸したフランス海軍の士官・水平数十人に対し、土佐藩軍艦府が藩兵に取り締まりを命じ、船に戻らせようとしたが通じず、フランス人11人を射殺または海に落として溺死させた。フランス公使レオン・ロッシュは在阪各国公使と話し合いの末、犯人の死刑、陳謝、賠償などの5箇条からなる抗議書を日本側に提示。明治政府はイギリス公使ハリー・パークスに調停を求めたが失敗。賠償金15万ドルの支払いと暴行者の土佐藩士20名の処刑などに応じた。処刑に立ち会ったフランス軍艦長デュプティ=トゥアールは、フランス人の被害者数と同じ11人が切腹したところで中止を要請し、残り9人は命拾いした。

  • パークス襲撃事件 ……明治天皇に謁見するため御所に向かうイギリス公使ハリー・パークス一行を2人の男が襲撃するも、護衛に反撃され失敗。1名はその場で斬り殺され、猛1名も後日斬首される。護衛にあたっていた後藤象二郎(元土佐藩士)と中井弘(元薩摩藩士)にはビクトリア女王からサーベルが進呈された。

土佐藩士時代の後藤象二郎
パークス襲撃に使われた日本刀と英女王から贈られたサーベル

凡太: たくさんあったんですね。攘夷を叫ぶ浪人や藩士が外国人を襲えば襲うほど、日本の立場が弱くなっていくのが皮肉ですね。最後はイギリス公使を警護した土佐と薩摩の武士がイギリス女王からサーベルをもらったりしてて……。

イシ: ざっと振り返るだけでも、とっても残念な気持ちになるね。
 ただ、ここにあげたのは外国人へのテロ行為だけだね。もっとひどいのは、一般庶民も含む日本人に対してのテロ行為だよ。

凡太: そんなこともしてたんですか?

イシ: テロによる被害者の数からいえば、日本人が日本人を殺した数のほうがはるかに多い。
 幕末には「天誅てんちゅう」という言葉のもと、殺人稼業を請け負うような連中が次々に要人暗殺を行っていた。
 有名なところでは「幕末の四大人斬り」として知られる、田中新兵衛(薩摩)、河上彦斎(熊本)、岡田以蔵(土佐)、中村半次郎(薩摩)。
 この手の「○大ナントカ」というのは疑ってかかる必要があるけれどね。

 岡田以蔵は実際に相当な人数を斬り殺していて、そこにはほとんど思想的なものも窺えない。依頼されて斬るという、完全な殺し屋。

 河上彦斎は尊皇攘夷の思想にかぶれていて、佐幕派が実権を握っていた熊本藩内では投獄され、牢から出たのはクーデターが終わってからだから、その間は何もしてない。ただ、佐久間象山を斬ったということで有名になっているフシがある。
 明治になってからは、自分と同じように攘夷を叫んでいた木戸孝允(桂小五郎)や三条実美の変心ぶりを追及したことで危険人物とされ、明治4(1871)年1月に日本橋小伝馬町の処刑場で斬首となっている。明治政府の上層部にすわり、欧米、特にイギリスべったりになった攘夷派テロリストたちに裏切られて殺された形だね。

 薩摩の中村半次郎は同じ薩摩藩で自分の師匠でもある赤松小三郎を暗殺している。赤松はオランダ人やイギリス人に語学や兵学を学び、開国して国力を上げなければいけないという建白書を幕府や島津久光、松平春嶽に送っている。そうした開明的な思想が中村には受け入れられなかった。自ら学ぼうとせず、師を殺してしまうとはねえ。
 最後は西郷隆盛と行動を共にして、西南戦争で戦死している。

 薩摩の田中新兵衛は土佐勤王党党首の武市半平太と意気投合して、義兄弟の契りを結んでいる。岡田以蔵らとも徒党を組んで、人斬り集団として多くの暗殺を実行した。
 田中は、宮中の過激攘夷派最右翼と見られていた姉小路公知あねがこうじきんともを暗殺した「朔平門外(猿ヶ辻)の変」の実行犯とされ捕縛されたが、隙を見て自害している。
 攘夷派の薩摩藩士が攘夷派の公家をなぜ殺したのかと思うかもしれないけれど、この頃の宮中と薩摩、長州、土佐あたりの関係はものすごく複雑でね。宮中では、通商条約を破棄して問答無用で攘夷を実行しろと主張する破約攘夷論の過激派と、徳川も含めた諸藩と天皇家が協力して対外政策を強化させていくべきと考える公武合体派の対立が激化していた
 姉小路公知は過激派から公武合体派に変わろうとしていたので、破約攘夷派の公家である滋野井公寿、西四辻公業らが黒幕だという説もある。

 いずれにしても、井伊直弼暗殺後は、都合の悪い人間は殺してしまえというテロが頻発して、京都は一気に治安の悪い暗黒都市のようになってしまった
 特に高瀬川の東側沿いの木屋町通きやまちどおりあたりは「天誅」を叫んで敵対勢力を殺しまくる「テロ通り」みたいになっていた。
 文久2(1862)年に関白九条家の側近・島田正辰が行水中に襲われて殺され、首を鴨川に晒されたテロを皮切りに、九条家家臣・宇郷重国うごうしげくに、幕府のスパイだと疑われた越後浪士の本間精一郎らが次々に斬殺された。
 京都奉行所の岡っ引き文吉は岡田以蔵に拉致され、「斬っては刀が穢れる」と、細引で絞め殺された上、全裸にされて、竹の棒を黄門から頭まで貫通させ、杭に縛り付けた状態で三条河原に晒されたという。
 儒学者・池内大学は、大阪に立ち寄った山内容堂に招かれて深夜まで話し合った後、カゴで帰宅したところを、自宅前で待ち伏せしていた数人に斬り殺された。それだけでなく、テロリストらは、大学の耳を切り取り、当時、奏請を天皇に取り次ぐ「伝奏」を務めていた三条実愛、中山忠能の屋敷に辞職を求める脅迫文と一緒に投げ入れた。この二人は後に岩倉具視と一緒に倒幕の勅許を偽造した公卿で、脅しをかけて言うことを聞かせやすいようにしたのかもしれない。
 公卿の千種有文に仕えた賀川肇は自宅を襲撃されて殺された。和宮降嫁に協力したことを恨まれてのことらしい。腕を切り落とされ、その腕は他の公武合体派の家に投げ込まれ、首は一橋慶喜の宿所に攘夷を早くしろという脅迫文と共に投げ入れられた。

凡太: ……あ、なんか気分が悪くなってきました……吐きそうです。

イシ: ごめんごめん。ただ、これは一例で、京都では「天誅」と称するテロ事件が、記録に残っているだけでも160件以上起きている。
 幕府に協力的だったという理由で、多くの商家に押し入り、略奪、放火、虐殺も行った。それがエスカレートすると、ただ単に殺した数で箔をつける目的で無差別殺人を重ねる者もいた。

凡太: 京都の住民は生きた心地がしなかったでしょうね。

イシ: そうだね。異国が攻めてくるなんていう話より、目の前で殺人鬼と化した男たちが暴虐の限りをするほうがはるかに怖ろしい。
 そうしたテロリスト集団を率いていた首領格には、土佐勤王党や薩摩藩士も混じっていたけれど、吉田松陰や久坂玄瑞に感化された長州藩士たちが多かった。
 長州藩が英仏蘭米の列強4国の艦船に砲撃して始まった下関戦争の後、高杉晋作らによって藩士以外の浪人・庶民らも組み入れた「奇兵隊」のような傭兵部隊が組織されたんだけれど、元犯罪者や逃亡中の犯罪者なども多数含まれていて、武士道もなにもあったものではないような狼藉を働いた。
 そんな状況で京都守護職を押しつけられた会津の松平容保は、本当に気の毒だった。家臣の中には「これで会津藩は終わった」と絶望する者もいたそうだよ。


『新釈・クレムナの予言 タラビッチが見た2025年』p.101より
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