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日本が西欧列強の植民地にならなかった理由

イシコフ:  戦国時代から江戸時代にかけて、日本が外国に侵略、征服されなかった理由は何だと思う?

凡太: う~ん……運がよかった?

イシ: (苦笑)まぁ、それはそうなんだけど、その運のよさをある程度分析してみないと歴史の勉強にはならないだろ。
 まずは、彼らが南北アメリカというもっとずっと簡単に征服できる広い土地を先に見つけていた、ってことだろうね。
 私は学校で「1492年にコロンブスが西回り航路でアメリカ大陸を発見した」なんて教わって「いよ~国が見えた」とか呑気に年号を覚えておしまいにしてしまっていた。その程度でも試験では点が取れたからね。
 コロンブスがおこなった一方的な略奪、虐殺、拷問のことを詳しく知るのは大人になってからだった。
 スペイン人たちは南北アメリカ原住民を「インディオ」と呼んで、彼らが営んでいた生活や文明を破壊し尽くし、生き残ったインディオを奴隷化して強制労働をさせたりした。
 ヨーロッパのキリスト教圏の人間というのはとんでもなく残虐だったんだな、とおどろいたわけだけど、大和朝廷以降の日本史を見ていくと、スペイン人がインカやマヤをあっという間に滅ぼしたような大陸規模の大虐殺ほどではなかったにしても、権力欲や所有欲を持った者たちが民衆を支配し、生活や価値観を破壊してきた歴史だったことが分かる。
 見方を変えれば、日本はすでに渡来人たちによって征服された国だったから、ヨーロッパ人による征服を阻止できたとも言えるね。
 南北アメリカの原住民たちとは違って、鉄製の武器や馬を使う戦争も経験していたし、貴族だけでなく、武士たちも文字の読み書きができた。ヨーロッパの宣教師たちが最初に日本に入ってきたのは戦国時代だから、彼らから日本の状況を報告された本国の支配層も、日本の征服は南北アメリカ大陸の征服のように簡単ではないと分かったはずだ。
 征服するにしても後回しにしよう、と考えただろうね。

凡太: つまり、縄文時代のような穏やかな生活のままだったら、日本も簡単に滅ぼされ、ヨーロッパキリスト教国の植民地にされていたということですか?

イシ: そうだったと思うよ。
 ヨーロッパ人が初めてやってきた16世紀には、日本列島は渡来人たちと、それに従った倭人による征服が完了していて、ヨーロッパと同じように馬や鉄製の武器を使って領地の奪い合いをしているまっただ中だった。
 実に皮肉なことだけど、それで植民地化を免れたということはいえるんじゃないかな。

人が大量に死ぬ最大の要因は疫病

 そうした日本の内乱状態が落ち着いたのが江戸時代だったわけだけれど、すでに見てきたように、徳川政権が成立したときにはすでに南北アメリカの原住民は、ヨーロッパ、特にスペイン人がやって来たことでそれまでの文化や生活を破壊され、民族としても絶滅寸前まで追い込まれていた。
 カリブ海周辺地域では、コロンブスがやってくる前にはおよそ300万人が暮らしていたけれど、その後のたった30年で10万人まで激減した。
 メキシコにはアステカ王国があって人口は約2500万人だったのだけれど、スペインに征服されて100年の間に約100万人にまで激減した。同様に、インカ帝国の人口約1200万人は50年で250万人くらいまで激減した。(参考:国本伊代・著『概説ラテンアメリカ史』
 エスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカがある島)などはもっと極端で、約300万人の人口がスペイン人が入ってきた後は数百人しか生き残れず、ほぼ原住民絶滅状態になった。

凡太: 全部スペイン人が殺してしまったんですか?

イシ: 南北アメリカの原住民の人口が壊滅的に減った原因はヨーロッパ人がやってきたことなんだけど、実は殺された人間の数より、ヨーロッパから持ち込まれた疫病で死んだ数のほうがはるかに多かったんだよ。
 天然痘、インフルエンザ、結核、チフス、ペスト、麻疹(はしか)、コレラ……といった伝染病は罹患すると命に関わるものだけれど、そうした多くの伝染病に対して、南北アメリカ原住民は免疫を持っていなかった
 南北アメリカ大陸の原住民たちの人種的ルーツはモンゴロイドで、太古にユーラシア大陸から渡って来たと考えられているんだけれど、ユーラシア大陸から完全に分離してからは一切の交流がなかったから、ユーラシア大陸で広まった多くの疫病を経験していなかったんだね。特に天然痘は致命的だった。
 一方、ヨーロッパ人たちは免疫を持っていたから、同じ状況下で罹患しても致死率はずっと低い。
 これは見方を変えれば、病原体が、銃や大砲、軍馬といった武器よりもはるかに強力な兵器として機能したということだ。

凡太: でも、征服する側としてはそれは計算外のことだったんですよね?

イシ: そうだね。何もせずともバタバタと死んでいく現地人たちを見て、これは神のご加護だとでも解釈したのかもしれないね。
 ただ、さらに見方を変えてみれば、たとえヨーロッパの白人たちが武力征服の意図を持たずに南北アメリカに行っていたとしても、現地人は持ち込まれた疫病によって大量に死んでいたということになる。

凡太: ああ~! それはキツいですね。

イシ: 実は同じようなことが江戸時代の日本でも起きている。
 特にひどかったのがコレラだね。あっけなくコロリと死ぬので「コロリ(虎狼痢、狐狼狸)」と呼ばれてた。
 コレラが最初に日本に上陸したのは文政5(1822)年。鎖国下でも貿易港があった九州に上陸して、大坂・京都あたりまで東進したけれど、箱根を超えることはなく、江戸は無事だった。
 その36年後の安政5(1858)年に、アメリカの軍艦ミシシッピー号が長崎に停泊したときにまた持ち込まれ、今度は箱根を超えて江戸にまで来てしまった。
 さらにその3年後の文久2(1862)年にも、京都と江戸を中心に大流行した。このときはコレラだけでなく麻疹(はしか)も同時に流行していて、死者は安政のコレラ以上だったともいう。
 結局、こうした流行病によって、江戸だけで十数万から30万人くらいが死んだといわれている。

『安政箇労痢(ころり)流行記』の口絵「荼毘室やきば混雑の図」(国立公文書館所蔵)

これらの例で分かるのは、

  •  疫病に対する決定的な防御策はなく、免疫が形成されるかどうかにかかっている

  •  大流行は人口密度の高い大都市で起きる
     ……ということかな。
     免疫のない集団をある種の疫病が襲うと、簡単に大量死が起きてしまう。それは戦争による死者数よりはるかに激烈な数になりうる。

    凡太: 江戸時代の日本人はコレラやはしかに対する免疫が弱かったんですね。でも、南北アメリカにヨーロッパ人がやってきたときほどの人口減にはならなかった……。

    イシ: そうだね。生物学的な理由があったのかもしれない。江戸時代の日本人は他民族混血集団だったことで、免疫の持ち方も多様だったという可能性はあるかな。
     南北アメリカ大陸の原住民たちは血液型がほとんどO型だという。分散した地域内で似たような血統が続くことで、免疫機構も偏りがあったために、未知の病原体に極端に弱かったんじゃないかという説もあるね。
     2020年に始まった新型コロナ騒動の初期、欧米での死者数に対して東アジアでは極端に死者が出なかった。あれは間違いなく生物学的、遺伝的な要因があると思うんだけど、日本は愚かにもその優位性を生かせず、自ら進んで免疫を壊す方向に突っ走った
     江戸時代とは違って、情報戦・認知戦による植民地化が進んでしまっていたからともいえるかな。
     あまりにも情けなくて、言葉がないよ。



『新釈・クレムナの予言 タラビッチが見た2025年』
『新釈・クレムナの予言 タラビッチが見た2025年』まえがきより

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