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ギリギリの選択

昨日からずっと『3.11後を生きるきみたちへ』のあとがきに書いた一節を反芻している。

 例えば、あなたが大きなメディア(新聞社やテレビ局)の社員だとします。
 あなたは社会の不正を告発し、正義を伝えたいという理想を持ってその会社に就職しました。しかし、上司はあなたと考えが合わないだけでなく、事実を隠蔽しようとします。それがさらに上の人たちからの指示であり、意志でもあることが分かってきます。
 絶望したあなたには、「こんな会社は辞めてやる」と辞表を叩きつけることもできますし、その場はぐっと堪えてぎりぎりの妥協をしつつ、将来のチャンスを待つという選択もできます。こんなとき、どちらを選ぶのが正解かは、簡単に言えません。
 そこに所属して働けば働くほど世の中を悪い方向に向かわせると確信できれば、辞めて不正を告発する努力をすることが正しいかもしれません。でも、巨大メディアを辞めてひとりで伝えられる力は極めて弱いので、我慢してその職場に残り、他の同じ志を持った仲間と一緒にじわじわ闘っていくほうがずっと効果的かもしれません。
 そういうとき、問題から安易に逃げずに、命がけで考え、行動してほしいのです。
 そうした強い意志が集まれば、世の中は少しずつ変わっていくはずです。

岩波ジュニア新書『3.11後を生きるきみたちへ』 あとがき より


自分はもう、こうしたモヤモヤからも逃れて、ただの傍観者、観察者として余生を過ごせるかなと思っていたのだけれど、やはり完全には自由になれそうもない。
そんな中、妻が録画していた「NHK高校講座 ノーベル賞学者 大村 智 ~微生物を暮らしに役立てる~」を見た。
高校講座としてはずいぶん子どもっぽい演出だなあと思うけど、この時期にこれを取り上げた番組スタッフの気持ちまで推し量りながら見た。

↑生物循環、食物連鎖、エントロピー環境論などの発想の基本となるもの


↑アメリカでは州によっては正式に新コロ治療薬として承認され始めているとか


何度も「イベルメクチン」と言い、「寄生虫」ではなく「感染症」の予防・治療と説明していたあたりにも、細かな、というか、ギリギリの戦略的?意思を感じた。

昨日からちょっと鬱気味だったのだけど、少し落ち着いた。
投げ出すのはいつでもできる。もう少し悩んでみよう。

『3・11後を生きるきみたちへ――福島からのメッセージ 』(岩波ジュニア新書) 2012年

↑この本の中の文章が複数の中学入試(国語長文読解問題)に採用されたことは、エラそうな文学賞を受賞するより嬉しく、誇りに思えました。

こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。