見出し画像

WPW症候群、心臓を一時的に止める点滴、風車ストレス


普段は目に入っていなかった台所カウンター上の変なコーナー

↑このネコの置物をどこで買ったのか確かめたくて、もしかして船引の店かなと思い、日記を「船引」で検索したら、⇒こんなページがヒットした。

2009年5月。ああ、風車問題が持ち上がってストレスで身体がおかしくなっていたときのことだな。ストレスを抱えることがいちばん命を縮めるのだと、この経験ではっきり分かった。

25日未明、今までにないほど長い時間、はっきりと不規則な動悸を感じて眠れなくなった。
恐くなり、200km以上離れた隣の県の病院へ。
かなり古い建物の病院で、外来患者でごった返していた。
ここの循環器内科には、日本でもトップクラスの大先生がいるらしい。ところが、外来受付でその医師の名前を告げたら「紹介状がないと診てもらえません」とのこと。
というわけで、若い医師に診てもらうことに。
お笑い系のキャラで、おぎやはぎのやはぎにちょっと似ていた。
遠くから来たということで、できるだけの検査をやってもらえた。
階段昇降の前と後の心電図。レントゲン。血液検査。心エコー……。
その結果を見ながら、最後は「心臓への電気信号を一時的に遮断する薬を入れて、その前後の心電図を診る」という恐ろしい検査までやった。
「WPWなら、正規の電気信号が遮断されてもサブの電気回路が残っているので心臓が動き続けるが、WPWでなければ電気信号が遮断されればきれいに心臓が止まる」のだという。
なんと恐ろしいテストなのだ。
「やってみようよぉ」と医師に言われ、承知してしまった私。
身体に電極をつけられた状態で右手首に点滴パイプをつながれ、「じゃ、やるか」という合図で、悪魔の薬剤が右手首から……たちまち心臓に達して全身が言いようのない苦しさに包まれた。
「頑張って頑張って」と言われても、ううう……。

結果「WPWではなさそうですね。心臓がきれいに止まりました」だそうで。
いいんだか悪いんだか。

その後、ホルター心電図計というのを身体につけたまま帰宅。往復400km以上。家に着いたのは夜9時を回っていた。
2009年5月25日の日記より)

↑この日記では「はっきりと不規則な動悸を感じて眠れなくなった」などとサラッと書いているが、実際には死ぬんじゃないかと思うほど胸に強烈な痛みと苦しみがあって、蒲団の上でばたついたのだった。
結局、ホルター心電図計で24時間計測しても、その後は異常が現れず、「もう少し様子を見てみましょう」ということになり、そのまま今に至るのだった。

それにしても、「心臓を止めてみる検査」って……。
若い、やはぎに似た医師は「アドホス」と言っていたように思う。ネットで検索してもそういう言葉は見当たらず、似たような音で「アデホスコーワ」という医薬品があるようだが、どうもそれとは別物のようだ。
腕に点滴用の針を刺されて薬を注入されたのだが、「心臓を一時的に止める薬」というのを検索してもよく分からなかった。

まぁ、心臓が止まるとこういう感じなのか、ということを体感できたのは貴重な経験になったけど、再び動き出さなければあのまま死んでしまうのだなあ、と思うと、怖ろしい。

身体中から血の気が引き、ス~ッと身体全体が冷えていく感じと同時に、ものすごい苦しさにもがく。ああいう死に方も、どうなんだろなあ。

傍から見ればあっという間に死ねてラッキー、みたいに見えるかもしれないけれど、ほんと、相当苦しいし、怖かったよ。

今でも思うのよね。WPWか判断するために心臓を止める薬を注入するって、やっていいことなの?
あと、病院内では医師一人の匙加減で簡単に人を殺せるんだということも分かった。意図的であれ、過失であれ。

67歳になり、人生の美味しい部分はもう終わったと思っているけれど、もう少しこの世界の行方を見届けてみたいという気持ちは強くなってきた。
免疫力の維持にはまともな食事とストレスを溜めないこと。座りっぱなしにならないことが重要。私の今の生活では、食事以外は、なかなか難しいけれど、なんとか粘ってみようかな。

こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。