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「報道特集」の「安楽死」問題を見て

3月16日放送の「報道特集」(TBS)をたまたま見たのだけれど、なんともモヤモヤした。

「安楽死」は是か非かみたいな二択議論を前提に、比較しやすい二例を対照的に並べた構成。
モヤモヤの原因を考えてみると、まずは「安楽死」という言葉の扱いだ。
多くの人は、死ぬ際に苦しまずに死ねるように処置すること、だと思っているのではないだろうか。
しかし、番組で紹介した60代女性の場合は、パーキンソン病ではあっても、自力で散歩もできるし、食事もおいしくとれている。それでも、生きる意味を見いだせない、不快感から解放されたいので死にたい、ということで、スイスの自殺幇助団体のもとで自殺した。

これは「安楽死」というよりは「自殺幇助」のケースであって、多くの人が自分の死の前に経験する、親や配偶者の終末期での延命治療の問題とは異なる。そっちのケースは取材や番組構成が難しいので触れないのだろう。
終末期患者への医療処置問題となると、当事者はすでに意識朦朧としていたり、重度の認知症でまともな判断ができないケースが多い。その場合、どう処置するかを決めるのは家族と医師だ。どちらにしても、そのような現場にテレビカメラを入れることなど絶対に拒否するに違いない。
今回の番組制作が可能になったのは、当人たちがしっかりした判断力を持ち、自らの意志でテレビ取材を受け入れたからに他ならない。
番組に出てきて、カメラの前で自殺した女性(60代)は、自分で点滴のコックをひねって自殺するだけの気力も判断力もあるわけで、最後の瞬間を映像として残すことで番組制作における一種の共同プロデュース関係を結んでいたようにも思える。

スイスに行けば自殺を助けてくれる、という話にしても、費用はいくらかかるとか、具体的な手続きや経緯は伏せられていた。
ちなみに、スイスでも医者が薬を直接投与することや、自殺幇助が営利と見なされるのは罰せられるらしい。
だから、会費や寄付による「非営利」の形をとることで自殺幇助団体や医師らが処罰されないようにしているそうだ。
そういう世界があるということを映像でダイレクトに伝えたことには、情報番組としての意義はあると思う。

対照的に取り上げられた、眼球しか動かなくても中高生の前に出ていき、自分の生き様を見せるALSの男性(60代)は、どんなになっても命は尊い、生き抜くのだと訴える教科書のようでもある。
そうした両極端の映像を並べることで番組を作るという意図が、いかにも印象誘導、あるいはバランスをとった軟着陸的まとめのような気がしてしまったのがモヤモヤの正体かな。
今回の番組も、放送するまでにさまざまな苦労があったことは分かる。それでも、視点の作り方が浅いと感じてしまったのは、終末期医療の問題を飛ばして自殺幇助問題を取り上げたような気がしたからだ。

そして、それよりなにより、こういう番組は放送できても、4年前から全国民が巻き込まれていて、今でも超過死亡が続いているコロナ詐欺、遺伝子製剤による人口間引き(意図的であれ、意図しない結果としてであれ)という事態をまともに伝える番組は未だにないことが大問題だ。
そっちはモヤモヤどころではない。これぞ完全にメディアの自殺である。

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