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タヌキの親子見聞録 ~島根県三瓶山編②


第1章 わくわく三瓶温泉

 天明年間(1781~1789)の開湯で、中国地方最大の湧出量を誇る「三瓶温泉 国民宿舎 さんべ荘」は、含鉄泉で、34.8℃の源泉温度をそのまま味わえる露天風呂もあり、温冷交互浴がおすすめとされている。また、この地は日本一の星空とも言われており、その星空を眺めながらの入浴もおすすめということだ。タヌキ一家が到着したのは、午後5時頃で、平日だったので人は少なめだった。駐車場に着くと、鉄泉独特のにおいが漂っていて、駐車場わきに流れ出ている温泉水を触ることができ、流れ出ている石のところがオレンジ色に変色していた。

国民宿舎 さんべ荘

入口入ってすぐにカウンターがあり、「温泉のご利用ですか?」とさんべ荘の人が声をかけてきた。「4名で日帰り温泉なんですが」と父ダヌキが言うと、「中学生以上で大人650円、小人400円です」と言われた。お金を支払おうとしたとき、母ダヌキはひらめいた。さっき、キャンプ場で宿泊手続きの際に、キャンプ場の人に温泉の話をしたら、「この利用申込書をさんべ荘の人に見せたら割引が受けられます」と教えてもらっていたのだった。「これ持っているんですが」とさんべ荘の人に見せると、1人100円ずつ割り引いてもらえた。温泉はすぐ右手にあり、さっき外で温泉水が触れられるようになっていたのは、その露天風呂横から流れ出ていたようだった。タヌキ一家が行ったときは、温泉入口に向かって左側が男湯、右側が女湯となっていて、日替わりで交互に温泉が楽しめるようになっているように貼紙に説明してあった。「よし、お待ちかねの温泉だ」と言うと、子ダヌキたちは「サウナ!サウナ!」と興奮した様子でさっさと男湯へ入って行ってしまった。「あんな様子だから、少し長く入ると思うよ」と父ダヌキは母ダヌキに言って、男湯へ消えていった。こんな時は一人ぼっちになってしまう母ダヌキだったが、あの状態の子ダヌキたちを面倒見ながら入る温泉は、多分リラックスできないだろう。「父さん大変だね」と母ダヌキは女湯へ入って行った。
 温泉は大きすぎもせずよくある作りで、入ると脱衣所があって戸を開けて入ると洗い場&内湯があった。その部屋の片隅に小さなサウナが付いていた。「こんなサイズならあいつらが入ったら他の人は入れまい」と思いながら、母ダヌキは洗い場で体を洗うと、扉を開けて露天風呂へ向かった。内湯は源泉かけ流しの温泉ではなかったのだ。外に出ると、岩を組んだ広めの露天風呂があり、その先には鉄窯の風呂や、酒樽の風呂、もっと奥には船の形の木の風呂など、1人2人入るのがやっとの大きさの温泉に入れるようになっている。酒樽の風呂は源泉そのままで、温度が低めで、今日みたいな暑い日にはうってつけの温泉になっていた。まずは、一番奥にあった船の形の温泉に入ってみると、鉄のにおいがほのかににおった。熱いが、疲れた体にはいい感じで、筋肉がほぐれるように思えた。ただ、午後5時とはいえ、まだ太陽がまぶしくぎらぎらと照りつけるので、温泉の熱さより、太陽の光の暑さにやられて長い時間入っているのは難しかった。人が少なめなので、日があまり当たらない場所を選んで入ることができたが、酒樽で入ることができる源泉温度そのままのお風呂は人気があり、なかなか人が出てくれないので、「まだかな、まだかな~」と思いながら、熱い温泉につかりつつ空くのを待っていた。酒樽の人が出て行ったのを見計らって、何気なく鉄窯風呂から移る。34℃ぐらいの源泉そのままのお風呂は、ひんやりとして気持ちよく、いつまでも入っていられそうな感じだった。「これは、サウナ後に入るともっと気持ちいいのでは」と思った母ダヌキは、さっきのサウナへ入ってみることにした。サウナには人は誰もいない。入って5分もすると、体の毛穴という毛穴から汗が玉のように噴き出してきた。その汗をシャワーで流して、先ほどの源泉温度そのままの温泉へ。入った瞬間に、ひんやりした温泉が体を包み、鉄のにおいと一緒に体に染みこむような感じがした。「貧血気味がよくなりそう」と思いながら、ふと時計を見ると入ってから1時間が経とうとしている。「やばい!長湯し過ぎた‼」と母ダヌキは焦り、もう一度通常温度の温泉につかって出る準備をした。

第2章 藤井聡太もやって来たさんべ荘

 温泉から出ると、母ダヌキはみんながどこかで待っているだろうとロビーを探してみた。時刻は午後6時。タヌキたちは見当たらない。「まだ入っているのか」と自分も長湯だったが、それ以上に遅いタヌキたちに母ダヌキはあきれた。しかし、「楽しみにしていたから」と思いなおし、車から取って来た飲み物を飲みながらロビーで待つことにした。だが、待てども出てこない。夕方とはいえ、暑く、待っている間にアイスでも食べたいなと思い、どこかに売っていないかロビーをあちこち見てみることにした。カウンター前には、定番の瓶入り牛乳が入ったガラス張りの小さな冷蔵庫があり、その周りにそばまんじゅうや最中、クラフトハーブソーダやだしなどが売ってあった。中でも「三瓶そばまんじゅう」は、将棋の藤井聡太が王将戦7番勝負第5局で羽生九段と戦った時に出されたおやつとして紹介してあった。ロビーのほかの場所も見てみると、どうやらこのさんべ荘で今年の2月25日・26日に王将戦7番勝負第5局がおこなわれたことがわかった。「ここに藤井聡太が来たんだ」と思いながら、展示してあった藤井聡太王将の書かれた「飛翔」という字を写真に収めた。まっすぐで型の崩れないきれいな字だった。その横には、平成20年にあった王将戦の時の額縁もかかっており、さんべ荘はそういった催しがある由緒ある場所なのだなと母ダヌキは感心するとともに、今まで知らなかった名湯に日帰り入浴をさせてくれるさんべ荘にとても感謝したい気持ちになった。

藤井聡太も食べたそばまんじゅう

 午後7時前になって、ようやく子ダヌキたちと父ダヌキは男湯から出てきた。2時間である。母ダヌキは、6時半を過ぎたころから、「もしかして誰か温泉で湯あたりしたりして、事件が起こっているのでは」と、気が気でなくなりそわそわしていた。救急車でも来るんじゃないかと思っていたら、元気よく子ダヌキたちが駆け寄ってきた。「あんたら何時間入ったら気が済むの」と母ダヌキが言うと、「楽しかった」と言いながら悪びれもせず「コーヒー牛乳飲みたい」と兄ダヌキが言った。「入る前にトイレに行く時間があったりして、色々時間がかかって遅くなった」と父ダヌキが言った。「それにしても」と待ちくたびれた母ダヌキが言うと、「母さんが待っているって言ったんだけど」と父ダヌキは申し訳なさそうにしていた。牛乳の嫌いな弟ダヌキは持参していたスポーツドリンクを飲み、兄ダヌキはロビーにあった冷蔵庫から150円のコーヒー牛乳を取って、カウンターでお金を払って美味しそうに飲み干していた。「ここ藤井聡太がきてたよ、今年の2月」とさっそく父ダヌキに教えると、父ダヌキもトイレに連れて行くときに見たと言った。「こんなところでやっているって知らなかったよね」と、もう一度ロビーにある展示や売店の「三瓶そばまんじゅう」を見てまわった。その時間になると、近隣の人だろうか、お風呂セットを持って温泉に入りに来る人が増えていた。「人気があるね」と父ダヌキが言うと、「あした三瓶山に登った後に、もう一回来て温泉入って帰ろう」と母ダヌキが提案した。こんなにいい温泉は1度ではもったいないというのだ。「汗かくしいいかもね」と父ダヌキも賛成し、明日の予定がほぼ決まった。子ダヌキたちは温泉にもう1回入れるというところだけが耳に入ったようで、「やったー」と喜んでいた。さんべ荘の駐車場から見た空は夕暮れの空になりつつあった。雲に染み付いた夕日のオレンジ色が、だんだんと青い空を覆い始めていた。

コーヒー牛乳最高‼
暗くなり始めるまで温泉に入っていました

第3章 食材を求めて30分

 「夕飯どうしようか?」さんべ荘の駐車場で、気持ちいい温泉の余韻につかっていたタヌキ一家であったが、不意に目をそらしていた問題を思い出した。これまで今夜の食事に島根らしいものを購入していない。「カップラーメンとスナック菓子はあるけど・・・」と母ダヌキが言った。「それだけでいい?」と聞くと、「いやだ!コンビニとかで何か買おうよ」と兄ダヌキが反対した。「コンビニじゃ島根らしいものないかもしれないから、この近くで食事するところないか探してみる?」と父ダヌキ。「せっかくだから、この近くに『亀の湯』って地元の人が入る温泉施設があるようだからそこまで行ってみよう」と母ダヌキ。「途中で何か食事するところがあるかもしれないよ」と言うので、とりあえず近くにある温泉施設の見学を兼ねて食事できるところがないか探してみることにした。
 「亀の湯」までは10分もかからない。地元の人たちに管理運営されている温泉施設ということだ。途中食事をするところがないか見ていると、ジンギスカンと書いてある店があり、人がにぎやかに何かを食べているようだった。「あそこなら食べられるよ」と母ダヌキが言ったが、「ジンギスカンは食べられない」と父ダヌキに却下された。子ダヌキたちも羊は食べたくないと答えた。確かに、ジンギスカンが島根らしいとは思えない。そのまま他に食べるところを見つけられず目的地に到着した。「亀の湯」は昔ながらの銭湯といったいでたちであった。男湯を父ダヌキがのぞくと、お客さんが1人入っていた。「浴槽は大きなのが一つある」と言うと、「サウナは?サウナが無いと嫌!」と子ダヌキたちが答えた。車に戻って夕食について作戦会議をした。「ここから一番近いコンビニは30分先にある」と父ダヌキはスマホを見ながらみんなに伝えた。道の駅で聞いたスーパーも同じくらい離れている。「地元の物を買うならスーパーがいいと思う」と母ダヌキが主張し、同じ30分ならスーパーに行くことに決定した。時間が午後7時半になろうとしている。急いでいかないと閉店時間に間に合わない。
 亀の湯からスーパーまで約30分、午後8時前には着くはずだ。道をさんべ荘まで戻って、そこからスーパーまでの道を大音量の音楽をかけて急いだ。あたりは暗くなり、知らない道を走るのは心細い。大きな声で歌う子ダヌキたちの声が心細さをカバーした。ナビに従って道を急ぐと、家が多くなり暗闇に光っている看板が見えた。多分あれが道の駅で教えてもらったスーパーだ。時計を見るともう少しで午後8時になろうとしている。閉店時刻も午後8時だ。中に入るとお客が2人ぐらいいて、タヌキ一家の後から1人男の人が入って来た。「しまね和牛とかないかね」と言いながらスーパーをぐるっと見たが、ほとんど食材が残っていなかった。何とか見つけたカレー用のしまね和牛とあしたの朝のパン、島根県産牛乳などを購入し、午後8時ぎりぎりでスーパーを出た。帰りも大音量で暗闇の山道を、三瓶山北の原キャンプ場へ車を走らせた。「こんな夜に、大声で歌いながら車を走らせるなんて子どもの頃にあった?」と母ダヌキが父ダヌキに聞いた。「ないよ」と父ダヌキが運転しながら答えた。「思い出に残るといいね」と母ダヌキは言うと、子ダヌキたちの大合唱を堪能した。

第4章 森と風と星と

 ケビンに戻るとタヌキ一家は食事の支度にとりかかった。といっても、カップラーメン用のお湯を沸かし、肉を焼くだけだが。しまね和牛はカレー用といっても、塩コショウして焼いたらとても美味しかった。島根県産牛乳は、一口飲んで兄ダヌキが「うまい」と叫んだ。朝早くから動き、お風呂にも長くつかっているので、タヌキたちはみんな疲れていた。しかし、寝る前にやってみたいことが一つあった。星空が日本一きれいと言われている三瓶山で星座を見ることだった。しっかりと星座観察版も4人分持参した。ケビンから出ると、大きな声を出さないようにして、外灯があるところから少し離れて空を見上げてみた。風の強い夜だった。木に囲まれたケビンでは、上を見上げても空が広くひろがってないが、星は家の前で見るよりはっきりと見えた。ダブリューが斜めになったような形のカシオペア座が分かった。てっぺんには夏の大三角のデネブ、ベガ、アルタイルが木が揺れる中かろうじて見えたが、子ダヌキたちはカシオペア座を見るのがやっとだった。「もっと広いところで見られたらすごいだろうね」と言いながら、しばらく他の星座が見えないか歩いた。強い風に吹かれゴォーという音に囲まれると、どこにいるのかわからなくなるような感じがした。外灯から離れて、暗い中にいるとなおさらわからなくなった。あまり離れると自分のケビンに戻れなくなるかもしれないと思い、早々にケビンに戻った。
 ケビンに戻っても、外の強い風の音が響いた。三瓶山の中だからか、さっき外に出たときも風が下から吹き上げるような気がした。メディアが何もないこのケビンでは、後は寝るしかやることが無い。最初にケビンに入った時は、2階建てベッドの上がいいとか、ロフトで寝るとか言っていたのに、風と木の揺れる音にビビってしまい、茶の間のちゃぶ台を端に寄せて4人並んで二組の布団にキツキツで寝ることにした。まるで動物が山の恐ろしさに何とか耐えようとしているかのようだ。タヌキ一家らしい眠り方であった。しかし、せっかくシーツセット4人分借りたのにもったいないことをしたものだ。次回があれば、借りる前によく考えないとならない。

第5章 目指すは女三瓶山

 朝はカーテンからの光で目が覚めた。遮光カーテンでないため目が覚めやすい。今日は女三瓶山にリフトで登って、途中から歩き登頂する。高さは957m。昨夜スーパーで買ったパンを食べ、荷造りをしてケビンをチェックアウトし、リフト乗り場へ向かう。起きるのが苦手な弟ダヌキが目覚めるまでに時間がかかり、午前9時過ぎにチェックアウトした。

ケビンから見えた三瓶山

 三瓶観光リフトは、昨日温泉前に立ち寄った石見ワイナリーのすぐそばにある。8時30分から営業しているので、すでに何人かリフトに乗っている人が見える。リフト乗り場の側には登山道もあったが、そこから登ると、昼までに降りて温泉に入ることができないだろうということで、今回は途中(ほぼ山頂だが)までリフトで登ることにした。本当は、兄ダヌキと母ダヌキは、足腰の訓練のため下から歩いて登る予定であった。そして、兄ダヌキは、女三瓶山に登ったらマックのポテトを2つ買ってもらう約束を取り付けていた。急遽リフトで登ることになり、「リフトでもポテトもらえるのか?」と何度も父ダヌキに詰め寄って確認をしていた。マックのポテトが貰えないなら下から歩くというのだ。何というポテト狂いの兄ダヌキだ。「大丈夫だから、リフトで行くよ」と父ダヌキに言われて、兄ダヌキもリフトで登ることにした。

リフト乗り場

 リフトには2人1組で乗る。ゆっくり動いている2人乗りのブランコに、せーので一緒にお尻から乗るといった具合だ。父ダヌキと兄ダヌキ、母ダヌキと弟ダヌキが組んで乗る。中学生以上大人往復750円、小人往復550円である。最初に父ダヌキと兄ダヌキが乗り、次に高いところが嫌いな母ダヌキとそんな母ダヌキが心配な弟ダヌキが乗った。

リフトはゆっくりと進み、854mの大平山山頂近くまで約10分かけて登ることができる。最初はなだらかな山裾を行くが、上に登るにつれて傾斜が急になり、リフトを降りる前は下までの距離がまあまああって危険なためネットがしてあった。母ダヌキはへっぴり腰で、「おおっ」と言いながら小走りするようにリフトから降りた。そこから少し奥に行くと、道が三股に分かれていた。左手が大平山山頂(854m)右手が女三瓶山山頂(957m)、真ん中の道は室の内池20分と書いてあった。子ダヌキたちはすぐに女三瓶山へ登って登山を終わらせようとしたが、父母ダヌキは「まずは低い大平山へ行ってから登ろう」と言って左手へ登りだした。

大平山登山道

2~3分登るとすぐ大平山山頂に到着した。そこは、男三瓶山や子三瓶山、孫三瓶山がよく見える展望台となっていた。この時点で子ダヌキたちは、風景を見るよりも疲れた顔をしてお茶ばかり飲みだした。天気が良くて、山に登ると太陽が近くて暑いのか、麦茶の減りがすさまじい。

太平山山頂から見る三瓶山

「よし次は女三瓶山!」というと、マックのポテトがかかっているためか、嫌な顔はするが行かないとは言わない。「さっさと登ってしまおう」と兄ダヌキは登りだした。

女三瓶山登山道

女三瓶山への登山道は、最初は石畳になっているが、途中から無くなり、でこぼこの急な坂道となっていた。兄ダヌキは父ダヌキについて登っているが、弟ダヌキが遅れを取り出した。小さい子どもには足場が悪すぎるのかもしれない。お年寄りなんかは杖を突いて登り降りしている。片道20分程度の登山だが、まあまあ険しい道であった。

女三瓶山山頂

女三瓶山から男三瓶山へは、本格的な登山の恰好をしていないと危ないらしく、観光がてら行ける道でないと看板に書いてあった。女三瓶山から見る男三瓶山は、すぐそこに見えるなだらかな山なのだが、そうやって書いてあると険しい山に見えてくる。

女三瓶山から見た男三瓶山
孫三瓶山・子三瓶山・男三瓶山
男三瓶山への登山道
男三瓶山登山の注意看板

それに比べ登りやすい女三瓶山には、家族連れが多く登っており、弟ダヌキと同じくらいの子が、「ヤッホー」と何度も男三瓶山や子三瓶山に向かって叫んでいた。それを見て弟ダヌキもやってみると、「ヤッホー」とこだまではなく、最初に叫んでいた子が返してくれた。なかなかこだまが返ってこない。何度も山に向かって叫んでみたが、かすかに聞こえるくらいで、たまに本物の人の声が下から返って来た。女三瓶山登頂を果たし、リフト乗り場近くまで降りてきたら、まだ午前11時を少し過ぎたぐらいだった。

女三瓶山から見た広島方面の山々

第6章 1人のバカのせいで!

 女三瓶山から降りてくると、「室の内展望所 すぐそこ 室の内池 20分」という真ん中の道を示す看板があった。「まだ早いから、すぐそこって書いてあるし行ってみよう」と母ダヌキが池に向かって歩き出した。室の内池とは、三瓶山が最後に噴火した時(約3700年前)の火口で、最深部が1.5m、面積が11,490㎡ある。大体サッカーフィールド2個分の広さだ。「ええっ~、やだよ」と子ダヌキたちは嫌がったが、女三瓶山に登るぐらいでは運動した気にならない母ダヌキは、「降るんだから大丈夫、それにすぐそこって書いてあるし」と言って、どんどん下へ降りて行った。

降りて行く道なので楽かと思ったら、甘かった。だんだんと一段が高くなり、「これは帰る時に苦労するぞ」と分かった時には、もう相当下まで降りていた。まだ池は見えない。ここで帰るのはもったいない気がした。「道間違えたんじゃないの?」と、かなり歩いてきたのに、池の端っこも見えないので兄ダヌキが言った。不安になった時に看板があった。「まだ先にあるみたいよ」と、道を間違えていないことを確認した母ダヌキはまた歩き出した。

歩いていると、下から登ってくる女性とすれ違った。ちゃんとした登山の恰好で、杖を2本も持ってハアハア言いながら登ってくる。「帰りが地獄だ」と確信したが、もうすぐそこに池がありそうなので、ここまで来たらやるしかない。だんだんと下っていくと平地に出てきた。あまり人が歩いてないような道を歩いて行くと、お世辞にもきれいとは言えない池にでた。緑と茶色が混ざったような色のその池は、周りを三瓶山に囲まれて薄暗く不気味な感じがした。

室の内池

よく見ると、池の中を何かが泳いでいるような跡が見える。室の内池なので「ムッチー」か?何か投げつけて、本当に大きな恐竜が出てくると怖いので、身を潜めて観察していたら、魚のような影が見えた。「鯉か鮒かね」と言って、母ダヌキは池の周りをまわる道を見つけたので、もう少し歩いてみた。看板に「室の内池には動物も少なく、アメンボ・マツモムシ等の水生昆虫やアマガエルなどがわずかに生息しているだけです。かつて放流されたコイもみられますが、貧栄養湖で、エサが少ないため、頭だけ大きく胴体の小さい特異な姿をしています」と書かれていた。「ムッチー」でなく鯉だと判明して、さっきまでの恐怖心が薄れた母ダヌキは、みんなからはぐれてもう少し奥へ歩いてみた。

池をぐるっと回っているので、最初に池にたどり着いたあたりに子ダヌキたちが母ダヌキを探しているのが見えた。「おっかー!」と叫ぶ弟ダヌキの声が室の内池に響く。「日本むかし話か」と1人突っ込みながら歩くと、「鳥地獄」という恐ろしい看板を見つけた。「なんかヤバいかも」と思い、急いでみんなのところに駆け戻った。「鳥地獄」とは、後で調べたら、以前は火山の噴気孔で鳥が死んだりすることがあったからそう呼ばれているらしい。母ダヌキがいなくなった間に、兄ダヌキが「1人のバカのせいでえらい目にあった!」と文句を言っていた。

遠くに見える母ダヌキ
この先が「鳥地獄」
鳥地獄

池から上に登るには、相当な気力と太ももの筋肉の働きが必要だった。一番小さい弟ダヌキは、何度も歩くのを断念しそうになるくらい、登るのがきつい道だった。上では「マック」、「ポテト」という掛け声が聞こえる。弟ダヌキを後ろから支える母ダヌキは、気合を入れるために、弟ダヌキの頭に鉢巻を結び、杖になりそうな枝を2本持たせた。リフト乗り場に着いた時には、汗が体中から噴き出ていた。ご褒美旅なのに、どうしても歩くことから逃れられない子ダヌキたちは、「早く降りるよ」と母ダヌキが他に行こうとしないようにリフト乗り場へ誘った。

登り地獄

第7章 ありがとうさんべ荘

 リフトで降りて、三瓶温泉に入るため「三瓶温泉 国民宿舎 さんべ荘」へ再び向かう。リフトに乗る前に雨に降られ、少し暑さが紛れたがムシムシ感が増し、早く何とかしたいという気持ちがタヌキ一家を温泉へと駆り立てる。「人が少ないといいね」と言いながら、温泉セットを持ってさんべ荘へ入る。12時半頃なので、奥のお食事処のほうで食事をしている人が多いようなのだが、温泉客は少なそうだ。本日のお風呂は、昨日と変わり、左側が女湯、右側が男湯になっている。子ダヌキたちは慣れたもので、トイレに行ってから男湯へと入って行った。昨日と違うお風呂はどんなものかと思いながら、母ダヌキも女湯に入る。昨日よりも少し広めの脱衣所で、お風呂も、三瓶温泉の近くにある世界遺産石見銀山にちなんだお風呂場もあり、ただ入るだけではない楽しさがあった。「昨日のよりこっちのほうがいいじゃん」と思いながら、人が少ないので石見銀山を模したトンネルを通って入る温泉に入ったり、源泉温度のままの樽の温泉に入ったり、思うままに温泉を楽しめた。サウナも昨日よりも広く、入ると1人先客がいたが、狭くは感じず、昨日より長めに10分サウナに入った。その後、再度、源泉温度そのままの温泉に入り、午後1時になると人が増えてきたので、他に入ってみたい温泉を見つけ、移動して浸かった。まだ太陽が高く、露天風呂は、屋根があるところではないと長くは入っていられなかった。時刻が午後1時半になると、三瓶山に登っていた集団が入って来たので、混んでくるといけないと思い温泉から出た。案の定、子ダヌキと父ダヌキは男風呂から出てきていなかった。昨日のことがあるので、長く待つ覚悟でお土産売り場などを見ていると、思いの外早く出てきた。「昨日みたいに長いとまた叱られるから」と父ダヌキが言った。「コーヒー牛乳!」と、兄ダヌキは叫び、昨日と同じように美味しそうに飲んだ。「もう心残りは無い?」と聞くと、子ダヌキたちは「うん‼」と元気よく答えた。さんべ荘の日帰り温泉のおかげで、この2日間、たっぷり三瓶温泉を堪能できた。地域の人にも愛され、旅行で訪れた人も虜にする、とても素晴らしい源泉かけ流しの温泉だった。タヌキ一家の体からはしばらくの間、鉄のにおいの汗が流れてくるのではないかと思われるくらい、しっかりと浸からせてもらった。(実際、温泉から帰って2週間は、「なんとなく鉄のにおいが体からする」と、母ダヌキは自分だけでなく子ダヌキの頭とか嗅いで言っていた)
 帰り道、9号線を走りながら、昼食を食べ損なったので、何かないか探しながら帰ったが、温泉に満足した子ダヌキたちは、持参したスナック菓子を食べ麦茶を飲んで眠ってしまったので、結局きちんと昼食を食べなかった。次回三瓶山に行くときは、名物の三瓶そばが、さんべ荘かどこか近くで食べられるようなスケジュールをたてようと母ダヌキは思った。そんなことを考えているうちに、父ダヌキの運転してくれている車はタヌキの巣に着いたのだった。


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