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タヌキの親子見聞録 ~島根県三瓶山編①

第1章 ご褒美にサウナに行きたい‼


 今回、タヌキ一家は、子ダヌキたちの夏休みの終わる前に、お隣の島根県にある三瓶山の北の原キャンプ場で小型ケビンを借り、一泊二日で小旅行を行うことにした。前回、タヌキ一家にとって久しぶりの県外への旅、初東北旅を終えたばかりで、なぜまた旅に出るのかというと、子ダヌキたちの東北旅への不満からである。東北旅を計画している段階で、子ダヌキたちは一つも自分たちの楽しみのある旅でないと、行く前から不満がいっぱいで、「はいはい、仕方なくついて行ってあげますよ」という感じだった。確かに、東北旅は、これまでと違って、母ダヌキのやりたいことや観光したい場所がほとんどで、お願いして子ダヌキたちについてきてもらったようなものだった。子ダヌキたちの夏休みの日記を見ても、東北旅に出た間の日記の内容は、「7月26日 予定(山登り) 思ったこと(足が疲れました)、7月27日 予定(山登り)思ったこと(足が痛くなりました)、7月28日 予定(山登り)思ったこと(昨日の疲れで足がめちゃくちゃ痛くなりました)、7月29日 予定(山口に帰る)思ったこと(やっと家に帰り休めました)と、どう見ても東北に神社や山寺を観光しに行ったような内容ではなく、三泊四日で登山して根性付けるため修業したような内容であった。これまでの子ダヌキ中心の旅から180度変わって、母ダヌキ好みの旅を行ったため、夏休みの家族旅行というよりは、ビリーズブートキャンプのような旅行だったらしい。父母ダヌキも、この反応は東北旅に行く前から予想できたため、子ダヌキたちの夏休みのいい思い出づくりにと、早い段階からもう一つ低予算で旅を計画していた。子ダヌキたちは、昨年県内で行ったキャンプ時に、近くの道の駅にあった温泉施設で初めてサウナを体験した。その時に、よっぽど楽しかったのだろう、母ダヌキがテントでお風呂の交代を待っているのに一向に帰ってこず、温泉施設終了間近でようやく帰って来たのだ。父ダヌキに聞くと、サウナの中で弟ダヌキが「パネッパー‼」と何度も熱風を兄ダヌキと父ダヌキに送って、満喫し過ぎて遅くなったらしい。弟ダヌキに「パネッパ」について聞くと、父ダヌキが大好きなテレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」という番組の中で出てきた、伝説の熱波師が「苦しみと悲しみを破壊する言葉」として、サウナで熱波をお客さんに送るときにかける掛け声として紹介されていた言葉ということだった。横で何となく見ていた弟ダヌキにとって印象深かったのか、サウナに入ったら「パネッパ」を何回もやって楽しんだ。それ以来サウナ大好きになった子ダヌキたちは、「温泉に行ってサウナに入りたい?」と聞くと、すぐに「入りたい‼」と返事を返してきた。こうして、夏休み終盤の子ダヌキたちのお楽しみ行事として、ケビンに泊まって近くの源泉かけ流しの温泉施設で、温泉&サウナ三昧の旅を計画したのだ。言わば、子ダヌキたちのご褒美旅である。沢山ある夏休みの宿題をお盆休みになるべく済まして、子ダヌキたちはご褒美旅に備えた。

第2章 続日本100名城 浜田城

 お盆も終わる8月18日金曜日、山口の巣から島根県三瓶山へ向けて車を出発させた。国道9号線をずっとたどって、第一チェックポイントの浜田を目指す。浜田駅前の「ケンボロー」という美味しい豚肉を食べさせてくれるお店の開店時間11時前に着くように、午前7時に家を出発した。天気はというと、山口は昼あたりが雨の予報で曇り空だったが、三瓶山へ進むにつれて天気が良くなってきた。道は順調に進み、午前10時に浜田駅付近に到着した。浜田駅周辺は、海の近くだが海が見えず、駅から前に開けた道沿いには、飲食店と飲み屋が並んでいた。時間が時間なのでまだ開店準備中なのだろう、閉まっているお店がほとんどであった。タヌキ一家は、ケンボローの場所を車で走りながら確認し、近くにあるコンビニの駐車場に止めて、お店の前で掃除をしている店員さんに「11時からだと思いますが、予約できますか?」と尋ねた。お店の駐車場は、隣の隣ぐらいに有料駐車場があったので、そこに止めなおす必要があった。声をかけた店員さんは、中の人に伝えに行ってくれた。待っていると中から女性が現れて、「今日はランチメニューはお休みで、季節ランチとなっております」と言われた。「季節ランチ3名分と通常のメニューで予約したいのですが」と父ダヌキが言うと、名簿を持ってこられて名前を書くように言われた。「11時からなのでその時間にいらっしゃってください」と店員さんに言われ、時計を見るとまだ10時10分にもなっていなかった。ここまで来る途中で浜田城跡の看板が出ていたので、時間を潰すため行ってみることにした。車に乗り込むと、浜田駅のほうへ引き返し左手に曲がって浜田城跡へ向かった。浜田城資料館でパンフレットや情報を簡単に仕入れると、父ダヌキが「浜田城まで歩いてどのくらいですか?」と資料館の方に聞いた。「ここからだと20分ぐらいかかります」という職員さんの言葉に、父母ダヌキは時計を見て「無理!」と思ったが、「もう少し上の神社まで車でいけるので、そこからならそんなに時間はかかりません」と教えてくれたため、車で行ける濱田護國神社まで行き浜田城跡を見てみることにした。「えっ~‼今日は登山じゃない予定でしょうがっ!」と兄ダヌキはブーブー言ったが、弟ダヌキは「この後サウナ」ということもあって、しかたなく頑張って、太陽が照り付ける中、浜田城跡を目指した。
 続日本100名城にも選ばれている浜田城は、初代浜田藩主古田重治が、その居城として元和6年(1620)から築城に着手し、元和9年(1623)には城及び城下が整ったといわれている。浜田城は標高67mの丘陵上に築かれた平山城で、「亀山」とも呼ばれていたという。浜田城の存在すら知らなかったタヌキ一家は、神社の先に現れた立派な門に声を上げた。その門をくぐると、石段が上まで続いている。「おおっ」と母ダヌキは、予想もしていなかった石段に興奮し、「ええっ」と兄ダヌキは額にしわを寄せた。

浜田城の門

門から3分もしないで、石段が終わり頂上の本丸に到着した。とはいえ、暑いさなかの思いもしなかった石段上りは、いい運動となった。遠くに見える海は、いまだに浦島太郎が住んでいそうな、昔ながらの日本の入り組んだ港(?)という雰囲気で、容易に人を寄せ付けないような岩場と緑のコントラストが美しかった。数枚写真を撮り、急いで車に戻り「ケンボロー」へ向かった。もう少しで時刻は11時になろうとしていた。

浜田城のてっぺん
日本昔話の舞台のような入江

第3章 浜田駅前にケンボローあり

 「ケンボロー」の存在は、昨年母ダヌキの職場にいる食通の方から教えてもらって知った。見せてもらったランチの写真が美味しそうで、しかもとってもお安く、一度は行ってみたかったのだ。こだわりの飼料で飼育している自社農場の豚を、お手ごろな値段で提供してくれる、とっても良心的なお店ということだった。おすすめは、平日のランチタイムに食べられるケンボローランチ1320円(税込み)ということで、平日のお昼に家族で行くには、夏休みが最適であった。しかし、8月18日金曜日は、あいにくいつものランチメニューがお休みで、月に2日間ある特別メニューの季節ランチ(限定40人)が食べられる日であった。「いつも食べられないメニューがある日に来られるのはラッキーなんじゃない」と父ダヌキに言われて、3人分は季節ランチ、1人分はロースカツ定食Lを注文して、分け合って食べてみることにした。何と言っても季節ランチには、いつものランチには無いスイーツが付いてくる。有料駐車場に車を止めてお店に向かうと、店の前には行列ができていた。タヌキ一家は予約の名簿に一番に記入していたので、行列をかき分けてお店に入って行った。お店の中は、ヨーロッパ風のかわいらしい小物が飾ってあったり、木製の内装や家具をたくさん使っていたり、ここが島根県の浜田駅近くとは思えない感じだった。お店の奥のテーブルに座ると、すぐに注文して、食事が来るのを今か今かと待った。
 最初にやってきたのは、ロースカツ定食Lだった。弟ダヌキの前に置かれた定食のカツは、大きくて分厚かった。タヌキ一家の壁を挟んで後ろに座っている親子も、同じ定食を頼んでいたようだった。「やはりここではトンカツを頼むべきだったか」と母ダヌキは大きなカツを目の前に心が揺れた。

ロースカツ定食Ⅼ

そのあと3人分の季節ランチがやって来た。季節ランチは、一口ステーキカツとメンチカツ、カツ南蛮、ナスとミョウガの赤みそ汁、ご飯(麦飯or白飯)、ピーマンのしぐれ煮、おしんこで、食後にコーヒーor紅茶、季節のスイーツが付いていた。兄ダヌキは、一番に目の前の季節ランチから、メンチカツの付け合わせのシシトウをピーマンのしぐれ煮の上に乗せると、その小鉢を母ダヌキのお膳に移動させた。次に、赤みそ汁を嗅いで、「絶対無理!」と言って眉をひそめ母ダヌキを見た。母ダヌキはもったいないことをしたくなかったので、「ピーマンは食べてあげるから、みそ汁は頑張ろう」と言ってみた。兄ダヌキはナスも嫌いだが、ミョウガはもっと苦手だったので、ふたをしてお膳の片隅に寄せた。仕方なく、「食べられるものを美味しく食べよう」と言って、弟のところにあるロースカツをみんなで取り分け、代わりにメンチカツや一口ステーキカツを弟のお皿に置いた。

季節ランチ

カツの食べ方として、お店の人は、「最初は塩で食べて、次にレモンを絞って食べてください」と教えてくれた。ソースもテーブルに置いてあるが、おすすめの食べ方は塩とレモンということなのだ。兄ダヌキは塩を振って食べると次にレモンかと思いきや、「レモンはいい」と言って、ソースをかけて食べ、次に塩をまたかけてさらにソースをかけて食べていた。弟ダヌキは塩で食べたが、やはりソースが好きみたいで、ソースを追加でかけていた。父ダヌキも母ダヌキも塩の後ソースで食べ、結局レモンは誰1人として使わなかった。カツの配分が少なかったせいだろう。1人1枚あればいろいろ冒険できたが、1・2切れでは自分好みの食べ方を優先してしまう。カツの味は、「淡白であっさりしていて、こってりした味が好きな人は少し物足りないかな」と母ダヌキは思ったが、あっさりが好きな父ダヌキは美味しそうに食べていた。母ダヌキは、一口ステーキカツを気に入り、「付け合わせのシソを巻くと最高だな」と思い、他の人のお皿にあるシソをすべて回収して1人で巻いて食べた。食後は、セルフでコーヒーを取りに行き、季節のスイーツが出てくるのを待った。店の入口を見ると、次に入りたい人の列がお店の入口から外へ続いていた。季節のスイーツはクレメダンジュのオレンジソースがけであった。最後の最後まで楽しめるランチメニュー、これで1650円(税込み)は十分満足できる内容だった。名残惜しいが、早く入りたい次の人のために、なるべく急いで食べてお店から出た。時刻は正午を少し過ぎていた。

季節ランチのスイーツ

第4章 縄文の森にタイムスリップ

 お腹が膨れたタヌキたちは、再度国道9号線に乗り三瓶山北の原キャンプ場を目指す。天気は雲がだんだん無くなって、2022年1月にオープンしたばかりの道の駅「ごいせ仁摩」に着いた時には、カンカン照りで車の中で干上がりそうだった。三瓶山までもう少し時間がかかりそうなので、トイレ休憩と三瓶山までの道順を調べるため情報案内コーナーでパンフレットなどを探した。案内コーナーの人にも確認したが、一番近いのは県道46号から川合農道、県道288号、30号を行くルートということだった。食料を売っている店は三瓶山の近くには無く、車で30分位離れたところにあるスーパーかこの道の駅「ごいせ仁摩」ぐらいしかないということも分かった。タヌキ一家は、今夜はケビンに泊まるが、BBQがメインではない。温泉&サウナがメインだ。だから、簡単に食べられるカップ麺やスナック菓子、飲み物は持参しているが、せっかくだから地元でしか食べられない物も食べたい。ケビンには、ガスコンロ、キッチン用具も完備されているので、島根和牛などあれば焼いて食べられる。立ち寄った道の駅には、午後1時過ぎということもあってか、食材があまりなく、しかも、肉よりも魚が多く売られているようだった。道の駅では買い物はせず、三瓶山に行ってから、近くにある石見ワイナリーで何か珍しいものがあるかもしれないと先を急いだ。
県道288号に入ると、物部神社を少し過ぎたところで前を走るバスに追いついた。バスの行き先は、「三瓶青少年自然の家」となっていたので、「この後について行ったら間違いないね」と言いつつも、さっき道の駅でもらったドライブマップも確認しながら進んだ。途中、バスが右に曲がったが、左を差す看板に「国立三瓶青少年交流の家」「三瓶自然館サヒメル」とあったので、バスと別れて左側の道を選んだ。北の原キャンプ場は三瓶自然館サヒメルの近くなのだ。その後、ナビの力も借りて進んで行くと、どうやらバスの言った方向が正解で、タヌキ一家は少し大回りをしてキャンプ場へ向かっていることに気づいた。大回りの道沿いには「さんべ縄文の森ミュージアム」というのがあって、4000年前に三瓶山の噴火によって埋もれた埋没林が見られるところらしかった。キャンプ場から少し離れているので、行くことは難しいと思っていたが、道を間違えたついでにどんなものか寄って見て見ることにした。

さんべ縄文の森ミュージアム

「さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)」には、神戸など県外から見学に来た人の車が数台止まっていた。建物の外観は、公民館か何かの作業所のようにしか見えなかった。入館して、埋没林のできた過程が説明されている部屋があり、そこには母ダヌキの身長と同じくらいの幹の輪切りが展示されているが、まだそこら辺にある普通の小規模な博物館のようにしか思えない。

埋没林ができた過程が展示や映像で説明されている
大きな埋没林の輪切り

それから別の施設へ部屋を出て進むと、コンクリートでできた平屋の建物があった。なんだろうと思って扉を開けて入ると、「なんか独特な匂いがするね」と母ダヌキが言った。「土か何かかな」と言いながら、下へ続く階段を行くと目の前に大きな杉の木の幹が現れた。「うわっ」とタヌキ一家は全員驚きの声をあげてしまった。大きな杉の幹は、そこから10m以上地下に向かって伸びており、下には他に数本の巨木が立っていたり、横に転がっていたりしていた。まるで縄文時代にタイムスリップして、その森の奥深くに踏み込んでしまったような感覚に襲われた。さっきまでの公民館とは別世界だった。外観は、こんな大規模な展示があるとは思えない地味さだったが、展示棟に入ると、4000年前の自然のパワーが伝わってくるすごいところだった。数々の神話が残る島根県で、現在において、直に神様の活躍していた時代の息吹を感じられるところが、このミュージアムに違いないとタヌキ一家は息をのんで巨木を見た。

扉を開けると大きな木の幹が現れた

そこを出て、もう1つある根株展示棟は、入っていきなり落下注意の貼紙があり、上から下を覗くと、大きな木の切り株があった。階段を降りて行くと木の幹がくっついたような形で、下に空洞があることが分かった。ここでは森の世代交代を物語る根株の展示がされていた。空洞にはもともと木があって、その上に木が生えて、下の木が朽ちてなくなったのでこういう形になっているらしい。

落下注意のもう一つの展示棟
大きな木の切株

施設の底から上を見上げて、母ダヌキが「核戦争とか起こったらシェルターにいいね」と言った。別の意味でも注目すべき場所になった「さんべ縄文の森ミュージアム」であった。

第5章 初めてのケビン

 「さんべ縄文の森ミュージアム」から車で走ること15分、三瓶山北の原キャンプ場へようやく到着した。管理棟で鍵やシーツをもらい、説明を受けて今夜泊まるケビンへ車で向かう。他の人たちがBBQの準備をしているのが見えた。野外施設で遊んだり、ドッグランで犬を走らせたり、みんなこのキャンプ場で楽しむ人たちなのだなと、タヌキたちは車の窓からあちらこちらを見て思った。「これからサウナだよね」と弟ダヌキが、我々は違うというように父母ダヌキに確認した。「ケビンに荷物を置いてから、少し寄り道して温泉に行こうね」と言い、自分たちのケビンを探した。キャンプ場の奥のほう側に今夜泊まるケビンがあった。こじんまりとした木製の家だった。中に入ると、入ってすぐの部屋に二階建てベッドと茶の間のようなちゃぶ台のある部屋があり、右手には小さな冷蔵庫、炊飯器、流し台、ガステーブルがあった。ガステーブルの下にはやかんやフライパンが収納してあり、普通に生活できる道具が揃っていた。その部屋の隣にバス・トイレがあり、見て見るとどちらも狭めであった。「まあ、今日は温泉でサウナだから、お風呂はここ使わないもんね」と言って、少々の難点は宿泊料金の安さに免じて目をつぶった。

キャンプ場のケビン
キッチン完備

茶の間から階段で上ると、キッチン、バス・トイレの上にロフトがあった。ロフトには寝具が3組あった。ロフトの床にはネズミか何かに糞があり、ダストアレルギーのタヌキたちは、新しいシーツで覆うとは言っても、寝具を使うことでアレルギー症状が出るのではないかと不安になった。母ダヌキは持参したアルコール除菌シートで、玄関口からキッチン、茶の間、ロフトを拭き掃除し始めた。

玄関横の2階建てベッド
ロフト

「やっぱり、いくら安くてもホテルがよかった」と、部屋中を見回して父ダヌキはため息をついた。BBQをやったり、屋外施設で遊ぶにはうってつけの宿泊施設なのだが、タヌキたちの気分は「温泉&サウナ」であったため、ケビンはやはり希望の場所とは言えなかった。もっとリゾート気分を味わうのであれば、ここはタヌキたちの理想通りとは言えなかった。「仕方ないじゃん、1度泊まってみないとわからないもの」と言って、母ダヌキは宿泊代の安さに再度目をつぶることにして、せっせと床などを拭いてまわった。温泉施設に宿泊できればよかったのだが、金額が高かったり、近場にビジネスホテルが無かったりして、落ち着いたのがケビン宿泊案であった。4人で泊まって12,800円、それに貸シーツ代1,320円がついて14,120円である。近場の宿泊施設なら、1人がその値段に近い金額になる。東北旅を終えたタヌキ一家にとって、その出費は不可能であった。「どうせ寝るだけだからいいの!」と、タヌキたちの中でも一番きれい好きな母ダヌキは、自分に言い聞かせるように言って、温泉に入れる準備をして石見ワイナリーを目指した。時刻は午後4時になろうとしていた。

第6章 神々のいたずら?

 三瓶山北の原キャンプ場を車で出発して、石見ワイナリーを目指した。石見ワイナリーは、国立公園三瓶山の周りをぐるっと囲んでいる道の途中にあり、その先には温泉に入る予定の三瓶温泉国民宿舎さんべ荘がある。スタートしてすぐに、道路側に何か説明するような看板が立っていたので、車を止めて見てみると、「国立公園三瓶山 国引きの丘」の説明板であった。この場所は、三瓶山をひと回りする道路から海を見ることができる数少ないポイントの一つで、遠くに島根半島が見えた。

「国引きの丘」の説明板
遠くに海と島根半島が見える

「出雲国風土記」によると、「八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)」が、国をつくるのに、出雲国は小さすぎるので、海の向こうの森羅という国から切り外して、引き寄せて島根半島を作ってしまったという。その時に引き寄せた国を固めるために立てた杭が三瓶山(佐比売山)になり、引いた綱は園の長浜になったそうだ。ついでに、北の方の国からも土地を引き寄せ、その時の杭は鳥取の大山になったそうだ。まったく神様のやることはスケールがちがう。しかも、土地を引き寄せ終わった時に「おう」と言って杖をついた場所に、「意宇(おう)」という地名までついているから、あながち、ただの伝説と言いきれないのが面白い。遠くに見える海とかすんだ半島を眺めながら、あまりに近くて逆に知らなかった島根を、もっと発掘して山口の人たちに教えてあげたくなった母ダヌキであった。
 「国引きの丘」から5分程度行くと石見ワイナリーがあった。時刻は、平日の午後4時を少し過ぎていて、駐車場の車もまばらだった。とにかく午後5時に石見ワイナリーは閉まってしまうので、何か夜にケビンで食べるのに良いものがないか中に入って見てみることにした。外観はスイスの高級ロッジといった感じで、入口で女性が黒板に何か書いていた。服装を見るとソムリエのようないでたちで、ちょうど入口から出てきた老婦人とにこやかに挨拶を交わした。「美味しかったからもう1杯頂いたわ」と言っていたので、中にワインの試飲があるのだなと察知して母ダヌキは急いで中へ入った。

石見ワイナリー

「早く温泉に行こうよ~」という子ダヌキたちに、「今夜食べるもので、島根の名物が売ってあるかもれないからもう少し待って」となだめて、店内をぐるりと見渡すと、左手にワインの製造工程がガラス越しに見える場所と、販売用のワインボトルが置いてあり、真ん中には島根の特産品が売ってあった。しかし、肉や魚などではなく、おつまみやお菓子などであった。右手はカウンターになっていて、そこに先ほど入口で見た女性ソムリエが立っていた。「ワインの試飲ができますが、よろしかったらここから選んでください」と店の奥のワイングラスに囲まれた中に設置してある8本のワインボトルを教えてくれた。この8種類のワインで気になったものがあれば、100円で10ml試飲できる。「運転はお父さんに任せているから飲んじゃおう」と、母ダヌキはとりあえず200円分の試飲料を支払い、三瓶山で作られた赤ワインを2種類飲ませてもらった。今まで飲んだ日本のワインは、外国の物と違って匂いが独特で強く、飲むと口の中で匂いが主張し過ぎて、最期まで飲み切るのが大変なことが多かったが、ここのワインは、匂いがやはり強かったが、口に含むと匂いよりもしっかりとしたワインの味が味わえた。軽めと重めの2種類とも、それぞれの個性的なワインの味が楽しめ、かといって、食事と一緒に飲んでも食事の邪魔をしないような味だった。東北旅で多くの出費があったので、あまり高い買い物は出来ないが、小さいボトルなら買えるかもと思い値段を見ると、750mlしかなく、値段も5千円を越していた。節約を第一に、宿泊施設もケビンにした旅なので、自分だけ贅沢な買い物は出来ないと判断した母ダヌキは、200円だけでもワインを飲めたので良しとしようと思い、残ったワインを大切に味わって店を後にした。女性のソムリエは、年も学生さんのように若く見え本当のソムリエかわからなかったが、ワインの説明を細かく親切にしてくださった。さっき、入口でにこやかに帰って行った老婦人の笑顔の理由が分かったような気がした。「早く行くよ、温泉!」と、待ちくたびれた子ダヌキたちが本格的に騒ぎ出したので、「ワインソフト」とか他にも味わってみたいものがあったが、三瓶温泉に向けて出発した。時刻は、午後5時になろうとしていた。

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