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その資料に意志はあるか

最近のX(旧ツイッター)で、カオスな霞が関ポンチ絵を分かりやすくしてみたよっていうデザイン業者さんのポストが炎上していた。

その変更後の資料はすっきり見やすくなっていたけど、そもそも霞が関ポンチ絵っていうのは目的が違うんだよ~!この1枚に表現されたカオスに意味があるの!ってことでボコボコにされていたようだ。

そうなのだ。
人に見せる資料には目的があり、その資料を提示することによって、読み手にどんなアクションを起こさせたいのか?どうやって使ってほしいのか?何を分からせたいのか?っていうのを考えておかないといけない。

先日、部下から上がってきた資料を見て、この炎上事件を思い出したのだ。
霞が関ポンチ絵とは何ら関係なく、単なる課題調整資料なのだが、
「で・・・?」
となるものだった。
課題を調整して合意に漕ぎ着けたい相手がいて、その調整事項、調整状況を整理したものなのだが、事実を淡々と記載したのみ。
相手のアクションを導く要素、例えば確認依頼事項や期限が明記されておらず、読み手を困惑させるものでしかなかった。
合意を取り付けたいなら、その意志を資料に落とし込まなければならない。

合意プロセスを論じるつもりではないので詳しくは書かないが、私の頭に思い浮かんだフレーズがタイトルのとおり。

その資料に意志はあるか?

資料を読んだ相手をどうさせたいか、資料に意志を吹き込もう。
自己満足な資料は、読む気になりません。
自戒も込めて・・

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