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サンクトペテルブルクの夜を知らない1

サンクトペテルブルクには、少なくとも二つの顔がある。

早朝のプルコヴォ空港から、路線バスで降りたった場所は、数時間前までいたラトビアの首都リガよりも30年ほど時代を遡ったような気持ちにさせた。
少し残った朝の霧と陽光にきらめく埃の中で、道端に座って花や雑貨を売るおばあちゃんたち、次々とやって来ては大量の乗客を吐き出していく年季の入ったバス、くすんだコンクリート色の建物たち。


例によって私はリガからの早朝4時からの移動ですでに疲れ、あまり元気と機嫌が良くなかったが、夫は初めて降り立つロシア本土で嬉々として目をきらめかせ、古いバスの写真を撮りまくっていた。

それから地下鉄に乗った。大きな荷物を持って乗る時は各々2人分の運賃を払わなければいけないが、右往左往する私たちに改札のおばちゃんたちは優しく朗らかに教えてくれ、ロシアと言えば無表情な対応を想定していた私は全く失礼なことに驚いてしまった。

私たちは予約したアパートメントの近くの、プローシャジ・ヴォスタニヤ(直訳すれば蜂起広場だ)という駅で降りた。一番底に安全監視員の小屋のある、長い長い長いエスカレーターを上る。プラットフォームも、駅舎も、たくさんの人民と鎌とハンマーのモチーフで彩られ、ソ連時代のままだった。改札だけは新しかった。

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駅から出ると共産主義の星を戴くオベリスクを中心にした広いロータリーがあった。ロータリーを囲む重厚な建物は、ロシア帝国時代(風かもしれないが)の豪奢さで、目の前に積み重なる時間の厚さとその濃密さに、疲れた頭が全く追いつかない。

夫が目の前の建物の最上階に掲げられたロシア語を指差した。
「あれ、なんて書いてあるか読める?」
「…ゴーラド、ゲロイ、レニングラード」
「意味は?」
「街、英雄、レニングラード…英雄たちの街、レニングラード、ってこと?」
「微妙に違う。ここは英雄都市レニングラード、街自体が英雄の称号を持ってる」
「街自体が英雄…待って、サンクトペテルブルクってレニングラードなの?」
「そこからか…お前はそんなことも知らずにここまで来たのか」
「…レニングラード包囲戦」
「知っとるやないか」
「うーん、何かのミリタリー本の背表紙で見た程度…」

宿への道すがら、夫がこの街がレニングラードだった頃のことについて簡単に教えてくれた。
独ソ戦の最中、ナチスドイツはペテルブルクを北方、西方、南方から包囲し、完全に外部からの補給を断ち中からも市民が脱出できないようにした。大規模な食糧庫と給水施設も破壊し、確保できる食糧はおよそ30日分程度とされたが、ペテルブルク市民は飢餓と冬の極寒の中も900日余りの包囲を耐え抜いた。

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私は目の前の、ロシア帝国時代に建てられたと思しき重厚できらびやかな建物群を眺めながら、とてもそんな過酷な歴史を経ているとはにわかには想像出来ない、と思った。
アパートメントもやはり古い外観の重厚そうな建物の1室だった。行く前に夫が電話を掛けると、宿のオーナーの親切な若い女性が建物の入り口で待っていてくれた。
似たような建物が延々連なる中の、何の変哲もない焦げ茶色のペンキで塗られた無個性な鉄板扉で、出かけた後ここに戻ってこられるか私は少し不安になった。(実際全く同じなりをした扉が隣にもう一枚あり、私たちは幾度も間違えてそこに入ろうとした。)

部屋の内側は真新しく改装されており、NYに憧れを持った現代ロシアの女の子が一人暮らしをしていそうな可愛い部屋だった。壁面いっぱいにモノクロのペンキで街と人々が描かれているのが私はとても気に入った。
部屋に荷物を置き、オーナーのお母さんに洗濯機の使い方を教わって洗濯をさせてもらい、それから私たちは宿の近くで見かけた、いかにもソ連らしいカフェバーに昼ごはんを食べに行くことにした。


「カフェ·マヤーク」というこの通りの名前にもなっているマヤコフスキーから名をとったそのカフェは、きっとソ連時代から内装を何も変えていないのだろうな、という感じがした。

店の奥にはレーニンとマルクス、ジェルジンスキーの肖像画、プーチンの写真が掛けられ、テレビでは無音で延々とプーチンの演説の様子が流れている。
レトロな明かりとレーニンの胸像、戦艦オーロラに直通で掛けられるという触れ込みの古い電話機、タバコの煙に燻されたためか濃い飴色のカウンターと木の壁、古びた長椅子、びっしり掛けられたサッカークラブのタオル。ここはソ連時代のリュモチナヤ-ウォッカ窟だったらしい。夜行くと皆クラブや別のバーに出かける前に軽い食事を取ったり、ちょっと1杯引っ掛けていくという感じで人の回転も早く、昔の名残が見える気がする。ちなみに夜はいつ行ってもほぼ満席である。*

カウンターで写真も何もない簡素なメニュー表を見て、注文しその場で支払う。私はソーセージに炒めキャベツを添えたもの、夫は牛タンにポテトとチーズと添えたものとボルシチを頼んだ。
昼過ぎだったので他に人はおらず、カウンターの向こうのおじさんとおばさんが日本人?どこから来たの?どうしてロシア語をしゃべるの?と色々話しかけてくれた。

私たちはここが気に入り、1週間の滞在の間何度もここに通ったのだけれど、毎回同じものを頼んでも微妙に違うものが出てくる(ソーセージの種類とか…多分その時あるものが出てくる)ので面白かった。つぼに入れられた熱々のサリャンカが美味しかった。
ごはんを食べた後は私は宿に戻って洗濯をしつつダラダラすることにし、夫は一人で出かけていった。(お土産にバーガーキングのセットを買ってきてくれた)。

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・カフェマヤークについて「ソビエトの雰囲気が漂うサンクトペテルブルクの食事処5選」 
https://jp.rbth.com/cuisine/79480-soviet-st-petersburg