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リトアニアの時間を歩く(前編)

1-2日目 ヴィリニュス

私たちがキルギスの首都を発し、カザフスタンのアルマトイ、モスクワのシェレメチェボ空港を経由してリトアニアのビリニュスに着いた頃、時計の針はもう深夜のてっぺんに近づいていた。

空港から街までは徒歩なら1時間くらいの距離があり、私たちはタクシーを予約しておらず、乗客はほぼ満席に近かったので、二人して急いで飛行機から降りた。
深夜の怠そうな入国審査官は入管に真っ先に並び、舌足らずな挨拶をした私をほとんど見ることもなく、無言でスタンプを叩きパスポートを突き返した。2番目に並んだ夫にもほぼ同じ対応が繰り返された。

ターンテーブルから荷物を引き出し、小さな空港から吐き出されたところで小さなバスが停まっているのが見えた。空港からのバスは深夜も1時間に1本は走っている、とインターネットで見た情報を思い出しバスに向かう。


「《夜明けの門》には行きますか?」
夫の英語の質問に運転手は分からない、という顔をした。地図アプリを見せても、判然としない顔をしている。
「…ロシア語で聞いてみたら?」
『ロシア語は話しますか?』
『もちろんだ』

どうみてもアジア人然とした旅行客の口からロシア語が出たせいか、バスの乗客たちの目がこちらに向くのが分かった。
『ここに行きたいんですが、停まりますか?』
『停まるよ、大丈夫だ』


『あんたたちどこから来た?』
ドアのそばに座っている白ひげのおじさんが尋ねた。
『日本から。でも今はキルギスに住んでいます』
ほう、とおじさんは頷き私たちは席に着いた。

私たちが乗って3分後に出発したバスは私たち以外の旅行客はおらず、仲良さげなおばあちゃんの二人連れとどちらかの孫、白いひげのおじさん、後部座席に数人の若者が乗っていた。
深夜の空港経由なのに旅行客も乗らず不思議な乗り合わせだった。
15分ほどバスに揺られ、地図アプリを眺めていた夫がそろそろ降りるよ、というのと同時に白ひげのおじさんがここで降りな、と言ってくれた。

8月とはいえ、北国の夜はひんやりしていて私は厚手のロングカーディガンの首元をかき寄せた。街灯の少ない街は真っ暗で、よく踏みならされて丸く角の取れた石畳だけが、わずかな白熱灯を映してつるつるとした黄色い光を放っていた。



いかにもソ連らしいアパート、と言って何がしかのイメージが湧くだろうか。
古いコンクリートがくすんでおり、あるいは真新しくペンキだけが塗り直されていて、アパートによっては各戸でベランダを好きに増改築するおかげで外観がパッチワークのようになった、とかく頑丈そうな、集合住宅。
旧ソ連がかつて世界で一番面積の広い国であったとは言え、ソ連時代のアパートの印象はどこも大差はない。
私たちはそんなアパートの1室を予約していた。

ぶ厚くペンキの塗られた鉄製の入り口を開き、中の真っ暗な階段を覗く。携帯のライトを点け、スーツケースを引きずって階段を登り、踊り場のメールボックスから鍵を取り出す。
大きな鍵を音を立てて差し込み、扉を開くと外観からは全く想像がつかないモダンで小洒落た空間が広がっていた。
私はすっかり喜んでさっさと靴を脱ぎ捨て、部屋の隅からバスルームまで見て回った。
床は素足に気持ちいい木で覆われ、主照明と間接照明はどちらも柔らかな黄色い光で、作り付けのベッドスペースには分厚いマットが敷かれて真っ白なシーツで覆われている。壁に作り付けた棚にはレトロなおもちゃやレコードが飾られ、ダイニングテーブルの脇にはきちんと額縁に収まった絵画が掛けられていた。バスルームはグレーベージュのタイルで覆われ、ホーローのような質感のバスタブが置かれていた。
「すごく北欧圏に来た感じがある」
私がスーツケースを入り口に放置したおかげで、玄関で詰まっている夫がいいからまず荷物を中に入れろ、と怒っているのが聞こえた。

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日曜朝一番のトラカイ行きの電車は空いていた。私たちは駅で切符とサンドイッチと水を買い、電車に乗り込んだところで自販機で熱いコーヒーを買った。私たちしか乗っていない車両は車輪が滑らかなレールの上を走る音以外は何も響かず、静かだった。車内だけではなく、外も、森と畑が多く静かだった。
コーヒーを啜ってサンドイッチを齧り、電車の車庫を始めとした車外の風景に興奮して左右の窓を行き来する夫を眺めているうちに、少し遅れた電車は1時間ほどでトラカイに着いた。

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トラカイ城はリトアニア大公国の中心地であるトラカイに14世紀後半に建てられ、軍事拠点、住居、牢獄と姿を変えながらも17世紀にモスクワ大公国に攻撃されるまで存続した。その後は廃墟となっていたが、1900年代初頭から復元の試みが始まり、1950年代に、15世紀ごろの姿を模して復元された。

トラカイ周辺には200もの湖があり、トラカイ城そのものも湖の真ん中に建てられている。
トラカイの駅からゆるゆると湖の端を歩き、ソ連アパートと新しい北欧風の家々の立ち並ぶ住宅街を抜けると、空を映す湖の青と赤茶けたレンガ色のコントラストが見えた。
私たちがトラカイ城に着いたのは未だ9時台で、門は開いていなかったが門の前にはたくさんの人が開門を待っていた。私たちはゆっくりと城の周りを一周し、湖の景色と高く聳える城壁、城を楽しんだ。
復元されたのが70年前というのが信じられないくらい、復元部分は真新しく見えた。

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城壁内に入ると中庭はたくさんの人と、古めかしく作られたいくつもの屋台で賑わっていた。何の祭りかは分からなかったが、屋台の人々はみな中世風の衣装をまとい、忙しく開店の準備をしている。
開場に間に合ったらしい冷たいミード《蜂蜜酒》を買って、中世風の分厚い鉄鍋で煮込まれている料理の数々を見て回った。いい匂いのするミルク色のスープをテーブルに着いて食べた。

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それから中庭では中世の騎士達による武器の紹介パフォーマンス(騎士たちがいかにその武器を訓練し、実地でどのように使用したか、最も効果的な使い方はどのようなものか)があり、私たちも全ての武器を触らせてもらった。
それからトラカイ城の中を見て回った。
トラカイ地方は1300年代からユダヤ系のカライム人、イスラムを信仰するタタール人、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人など元々この地方の出身でない人々が多く住み、街を作り保存してきたことが城の中の展示が示していた。

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城の中庭に面した木造の回廊を歩きながらふと階下を覗くと、大きな角のてっぺんにひらひらとしたベールを引っ掛けた中世の貴婦人たちが中庭を抜けていった。

少々の照れと覚束なさを含んだ貴婦人たちが広場でダンスをするのをしばらく眺め、私たちは城を出た。駅までの道で、カライム人の料理であるキビナイ、というパンを買って食べた。形は大きな餃子のようで、中身は豚や羊、鶏、きのこなど様々だ。カリリとした皮とジュワッと沁みる肉の脂が美味しい。私は鶏ときのこ、夫は羊を食べた。

ヴィリニュス駅に戻るとホームの端に巨大な寝間着のおじさんが見えた。
去年行ったフィンランド、スウェーデン、エストニアでも、謎の巨像はどこにでも突如として、何の説明もなく現れるものだと思っていたが、現代アート的な流行りなのだろうか。それとも神話の巨人たちへの郷愁の表れか何かなのか。気になるので、誰か教えて欲しい。

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それから私たちは街をプラプラと歩き、市場をひやかし、現代的な大通りを歩いて、ある博物館にたどり着いた。

リトアニアは1940年にソ連により侵攻され、独立を失っている。その翌年、今度はナチスドイツに侵攻を受け、3年はその支配下となった。

この3年のうちたった半年の間に、リトアニア大公国時代から多く移り住んでいたユダヤ人約20万人が殺害された。44年には再びソ連により侵攻され、「リトアニア·ソビエト社会主義共和国」としてソ連に編入される。1944年から1952年にかけて、約10万人のリトアニア人が「森の兄弟たち」としてソ連当局に抵抗活動を行なったが、彼らとその支援者2万人がリトアニア国内で殺されたり、シベリアへの強制追放となって命を落とした。

第二次世界大戦中、リトアニア国内だけで約78万人の人々が命を落とした。


約50年間の間、ナチスドイツ及び、ソビエト秘密警察であるKGBのリトアニアにおける本拠地となった場所に私たちは立っていた。
傾き始めた太陽にしろく光る堂々たる石造りの建物はとても荘厳に、美しく映った。
建物のそばには石を積んで作られた慰霊碑が建っていた。慰霊碑には真新しい花が添えられ、彼らの負った傷が未だに生々しいものであることをありありと感じさせた。
建物の壮大さの割に、小さな入口が隠されるように目立たないところにあった。

中はナチスドイツによるユダヤ人の虐殺、KGBによるリトアニア人パルチザンの虐殺の記憶、当時のKGBの文化などが展示されていた。私は一通り見て回ったものの、どうしても血の気が引いて立っていられず隅のベンチに腰掛けて夫が展示を見終わるのを待っていた。

それから、私たちは地下へと続く狭く暗い階段を降りていった。夫は展示でさえ見ていられなかった私を案じ、上で待っていていいよ、と言ってくれたけれど私もどうしても見ておきたかったのだ。
地下は、ナチスドイツの収容所として、KGBの拷問部屋及び処刑場として使われていた場所が、当時そのままの姿で残されている。外はまだ夏の暖かさを残しているのに、広い地下はじっとりと冷たく湿り、独特の臭気がした。
私たちはしばし人間の尊厳を奪い、絶望の中で命が奪われていった場所にいた。私はかろうじて全ての部屋の前を通り過ぎたが、やはり長くいることはできなかった。私も夫もほとんど喋らなかった。権力や、正義や、信念や、熱狂のもとで人間はここまでおぞましいことができるのだ、と噛みしめた。

外に出たものの背筋を這い上がるような寒気が収まらず、私たちは博物館の横にある広い公園のカフェスタンドで熱いコーヒーを飲んだ。温かな夕日の中に子どもや犬たちが駆け回り、大人たちは芝生に置かれたキャンプチェアに掛けて賑やかなおしゃべりに興じていた。
さっきまでいた寒く暗い場所とのあまりのコントラストに目眩がした。こんなすぐそばにあるというのに。恐ろしい記憶を抱えた重厚な建物は、外観からはそんなことを悟らせない堂々たる顔をして建っていた。

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・博物館について「KGBジェノサイド博物館〜リトアニアの歴史を知る必見スポット」https://dent-sweden.com/northern-europe/lithuania/genocide-museum