見出し画像

【彼の記録、彼方から。】2018/05/07

スマートフォンのアラームが鳴り響く。
連休の間、ずっとアラームを使わずに起きたい時間に起きる生活を続けていたエヌには、そのアラームが脳髄まで響いているように思えた。
しかし、無理矢理にでも布団から出ると、意外にもすっきりと目覚めることができてエヌは驚いた。
これまで経験上、連休明けの朝は黒ずんだオイルのような憂鬱に苛まれることが予想していたので意外だった。

自由奔放で自分勝手に生きているエヌだが、平日は真面目に働いている。
空想癖があり、突拍子もないことを考える性格に似合わず、職業はシステムエンジニアだ。
物事を深く考え、そして縛られない発想力があるので、もしかしたら適職かもしれない。
山手線に揺られて職場に向かう最中、エヌは働く意味について考えていた。
自分のキャリアパス、エンジニアとしてどう成長するか、そんなことを考えていた。
しかし、将来のことを考えるとどうしても「なんのために?」という問いが浮かんでくる。
なんのために成長するのか?
成長したところで何になるのか?
本当に僕は成長を望んでいるのか?
元来、自由を愛してやまないエヌは、人のために働くことを潔しとしなかった。
「積極的無責任」がエヌのモットーである。
自分のあらゆる行動や意思決定は、突き詰めればエゴにすぎないというのが、エヌの持論である。
誰かのために何かをしたところで、それは誰かのために何かをしたいというエゴが内在している。
ならば、それは誰かのためにではなく自分のための行いではないか。
そうエヌは考えていた。
自分の行動指針を他人に依存させることは自分を否定するだとすら思う。
エヌにとって、利他心ほど胡散臭くて気色が悪い言葉はなかった。
そんなとりとめのないことを考えているうちに、電車は会社の最寄駅に着いた。
駅のホームには自分と同じようにスーツを着たサラリーマンがたくさんいる。
自分がその一部になってしまうようで嫌気がさした。
自分は自分なのに、社会の一部のように思えてしまうのが嫌だった。
もっと自分らしくありたい、個性的でありたい、という至極一般的な感情に振り回されている自分も嫌だった。

仕事はまったくといっていいほど捗らなかった。
連休明けが言い訳にならないほどの有様だった。
ただひたすら、PCを前にボーっとして、無意味に視線と指先を動かしていた。
社会人になってから最も上達したことは「忙しいふりをすること」だと自負していた。
目を開けながらでも、自分の内側に閉じこもる術を知っていることがエヌの自慢だった。
「きっとずっと、こんな調子でつまらないって言いながら定年まで仕事をするんだろうな」
エヌは心の中でそう独り言を言うのだった。
しかし、エヌのその予想は外れることとなった。
少なくとも、将来のエヌは、一本調子のつまらない仕事を続けることはなかった。
良い意味でも悪い意味でも。

#小説 #エッセイ




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?