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私の変化note ~エピローグ 最悪だった旦那との関係①~

まずは私たち夫婦の関係を簡単に(長くなるかもしれないけど)書いてみようと思う。とりあえず特に印象に残っている出来事を。時系列は行ったり来たりするかもしれませんがご了承ください。


結婚して10年。子供はいない。基本的に仲がいい方だと思っている私たち夫婦だが、時々ものすごく険悪になるときがある。

今は2021年9月25日。少し前に引っ越しをした。2LDKの賃貸アパート。そもそも引っ越しを考えたきっかけを辿ると1年ほど前、ちょうどコロナによって在宅勤務に切り替わった2020年4月頃の話。

私もちょうどその頃諸事情もあって仕事がなくなり、1LDKの狭い間取りに四六時中一緒にいることになった。お互い様だが一人の時間も空間もなくなった。しかし通勤を苦痛に感じていた旦那にとっては、仕事が家でできるなんて好都合な状況だったに違いない。

家で仕事をする旦那のために私はできることは何でもしようと思ったし、実際最善を尽くした。食事の用意も、お昼休憩に合わせて作り、夜は何時に終わるか分からないけど、終わったらすぐに食べられるように作っておき、(電話していることが多いので)電話が終わりそうになったらそれを察して温めて出す。仕事をしていないのだからそれくらいはと思い、本当は楽をしたい性格の癖に自分でもよく頑張っていたとは思う。

それでも家で仕事をされるということは、私の行動を制限されるということでもあった。

例えば食事の準備のためにキッチンで作業をするときも、旦那の仕事スペースであるダイニングテーブルをカウンターキッチンに付けるような形で設置していたので、電話やリモート会議をしていると、ちょっとの水音でも拾ってしまう。なのでなるべく水をちょっとずつ出すようにしたり、料理をするときもものすごく気を使うことになった。

テレビも近いので、会議をしてる時は見れないし、見ている最中に電話がかかってくると全く聞こえなくなる。本を読んでいても趣味の勉強をしていても、声で全く集中できなかった。

旦那もそれに気づいて気を使ってくれて、少し小さめの声で話したり、時には短時間だけ寝室に行って電話してくれたりすることもあった。

そんな生活が2か月ほど続いたある日、とうとう私の不満が限界を迎えた。

世間では在宅ワークになったことによる妻のイライラや夫婦関係の悪化、最悪の場合離婚なんていうことも起こり、コロナ離婚と騒がれたくらいだ。

6月になり、感染者の数も少し落ち着いてきた頃だったので、私もそろそろ求職活動を始めようと動き出していた。それと同時に、そろそろ週に1,2日でも会社に出社できないかと旦那に打診した。一人になれる時間と場所が欲しかった。

さっそく次の日から2日間、約2か月ぶりに出社してくれた。分かってくれたんだ、言えば伝わるんだな、良かったなと思った。しかし、帰宅するなり旦那は言った。

「2日間も出社して会社の人に驚かれたよ。今この状況で会社に行くってどういう事か分かってるの?俺だって好きで在宅してるわけじゃないんだよ!普通の奥さんなら、こんな時理解してくれて協力してくれるのが当たり前なんじゃないの?なのにお前はどうなってるの?仕事をしないと生きていけないことくらい分かってるよね、そこんとこどう思ってるの?!」

その時の私は、まず分かってくれたと思っていたのに一気に爆発したような旦那の言葉に驚いてしまって、すぐには何も言い返せなかったように思う。それから少しずつ自分の気持ちを整理しながら話した。

「この状態がどれくらい続くの?たぶんそんなの誰にも分からないよね。期限がない頑張りなんて続けられないよ。我慢は我慢でしかない、いつか限界が来る。それと、あなたは何のために働いてるの?二人の幸せのため?仕事さえしていれば妻は無条件で幸せだと思っているなら大間違い、現に私は今ちっとも幸せじゃない」

世間知らずだなと思った。会社に行って他の人に言われたことを真に受けたのだろう。離婚を考えていることも伝えた。離婚は私のリスクでしかないが細かいことはどうだってよかった。

旦那の言う二人というのが私じゃなくなって他のパートナーになったとしても、仕事さえしていればパートナーは幸せに違いない、いや幸せであるべきだ、この考えでは自分も相手も辛くなる。そこは10年間の結婚生活でものすごく強く感じたことだ。

仕事の話になると、旦那は様子が変わる。言葉も声も硬くなり、被害者意識が強く表出してくる。俺ばかりが働いている。俺しか稼ぐ人間がいない。俺が稼いでいるのだから他のことはすべてお前がやるべきだ。

結婚前の約2年の同棲期間中も結婚後も、フルタイムで働いていた時期もあった。その頃からそのようなスタンスだった。

  

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再び時系列が飛ぶが、10年ちょっと前、同棲中の話。

私はフルタイムの派遣事務をやっていて、残業もほぼ毎日のようにあり20時、遅いときは22時までなんて言う日もざらだった。さすがに平時に夕食を作る時間なんて存在しなかったが、休日や作れる日はお弁当も作って持たせていた。今思い出しても気分悪くなるが、そんな大変な思いをして作ったお弁当を、おかずの汁が混ざったからと言って2口くらいしか食べて来なかったり、最終的には電車の荷物棚の上にあげたまま忘れてなくしてしまった。

いま書きながら思い出しても悲しくなってくるが、私は夜は23時には寝るような生活を送っていたが、旦那と一緒に暮らすようになってから寝る時間がものすごく遅くなった。ワンルームの同じ布団の上で23時ころから夜中の2時過ぎまでゲームをしていたのだ。眠い、寝てほしいと言ったが無駄だった。「俺は毎日会社でストレスをためて帰ってきてる。それを自由に発散できないなんて無理」

それから私は慢性的な睡眠不足になり、以前から服用していた心療内科の内服薬の副作用や栄養状態の悪さも手伝って低血糖症を発症し、仕事中に急に意識を失ったように眠ってしまうことが毎日起こるようになった。それでも自分を労わろうなんて言う気持ちはなく、仕事はギリギリ限界までやり家では家事もそこそここなす毎日。2年間そのような状況は続いた。体はボロボロだった。

その後入籍し、引っ越しをして私は仕事も辞めた。最初のケンカはお金のことだった。結婚して引1か月もたっていない、新婚ほやほやで幸せな時期のはずなのに、突然機嫌が悪くなったと思ったら引っ越し費用かかりすぎ、俺ばかり払ってて(実際は私も少額だが出している)納得がいかない、と。私たちは結婚式も上げていないのだから、そのくらいで文句を言ってほしくはなかった。なんて小さい男なんだとこの時初めて思ったのをいまでも覚えている。

もちろん悪い時ばかりではなかった。だからここまで続いたのだと思うし、幸せな時はとことん幸せだった。でもこうやって書いてみると、幸せな思い出よりも辛かった時の思い出の方がインパクトが強いのかもしれない。否、その時の自分の状態によるということか。





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