4つ目の気づき ~お金のブロック~

旦那は食べることが好きで、食にお金をかける。

私はもともとそんなに食べ物にこだわりがなく、もっと言うと安くても何でも(ジャンキーとかじゃなくて)お腹がいっぱいになればとりあえずはいいという考え。もちろん外食も好きだけど、しなくても別に不自由は感じない。

そんな私なので、食にお金をかける旦那に対していつもモヤモヤしていた。

例えば会社に行った日などはほとんど外食、夜もコロナ前は外食が多かった。(私なら適当にお弁当作っていくかコンビニで安く済ませる)。在宅になってからも近場のランチを探して行ったりしていた。

今日も私の仕事終わりに待ち合わせして外食した。最近引っ越しをしたので新しい街で美味しいお店を探すのが旦那の最近のブームだ。

初めて入ったイタリアンのお店で、食べたいと思ったものを欲望のままに次々と注文していく。そんなに高いお店ではなかったが、金額ちゃんと計算してる?と思ってヒヤヒヤしてしまった。

デザートも頼もうか、と言っていたがさすがにお腹がきつくて二人とも頼めなかったが、帰りに立ち寄ったショッピングセンターでお土産を買いたいと言い、たい焼きを買って帰った。

せっかくの楽しい外食も、お金のことばかり気になっておいしさも楽しさも半減してしまう、ということがよくあるなぁと思った。心から食事を楽しめたこと、どれくらいあっただろう?

食事だけではない。私はお金を使うときに、何が欲しいかよりもまずは金額の安さを重視している。

例えばネットショッピングで、欲しい物を検索かけるとき、だいたい上限額を設定し安い方から並べ替えして、これ以上は出せないと思うところは目に入らないようにしている。見ちゃうと欲しくなるから。

例えば仕事帰りのコンビニで、食べたいものがたくさんある。でもあれもこれも買えない、〇〇円以内にしなければ、と常に計算しながら買い物をしている。少しばかりケチっても結局足りなくて、買い置きのお菓子などをつまんでしまう。常に節約精神。

旦那は金額を見て買ったことがほぼないと言う。物にもよるだろうけど。金額気にせずに食べたいものを食べる、買いたいものを買う。私にはない価値観だ。

そこでお金を好きなように使えないのはなぜなのか、少し考えてみる。

お金は使えばなくなる、湯水のように湧いてくるわけではないし、一気に使ったら不安になる。使った分また頑張って稼がなきゃいけない。という思考が強いかもしれない。お金のブロック半端じゃない。

また、私は食べ物のように消えてなくなるものにお金を使いたくない、どうせ使うなら残るものや普段の生活に欠かせないもの(住む場所や環境、使う家具や物)にお金をかけたいと思っている。

お金が湯水のように湧いてこないと思っているのは、貧乏だった家庭環境から、「お金は使ったらすぐなくなっちゃう」と口癖のように家族が言っていたのをずっと聞いて育ったからだ。お金持ちになれるのは、もともとお金持ちの人か、特別な人だけ。それが潜在意識にある限り、それが現実になる。とんだ誤解、勘違い、間違った刷り込みだ。

節約している時点で、お金がない現実を作ってしまう。自分にはそれしかお金が出せない、自分にはそのお金をかける価値がない、と言っているようなもの。自己価値の低さを物語ってますね。

間違った刷り込み、洗脳は自分で解けばいい。

なので、これからお金を使うときに、今何が欲しいか、何を食べたいか、を優先して考える。節約精神が無意識に顔を出して来たら、節約しなきゃいけないのは間違った思い込みだったと思うようにする。

これを習慣化して訓練していくしかなさそうですね。

そしてもう一つ気づいたことが、旦那がこういうふうに金額関係なく、自分の欲に忠実に買ったり食べたりすることにモヤっとするということは、実は私自身がをれをしたいと思っている、でもできないと思っている(←これが思い込み)っていうことなんだなと。

私はいちいち計算しながら買い物したりすることなく、いつでも気持ちよく欲しいものを手に入れたいと思っている。まずはその本音に気づいて受け入れる。




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