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2作目:『文学は黙ってろ!』

 こないだのことを書いてみますね。できるだけお文学的に。そうだ副題をつけましょう。《「永訣の朝」と「無声慟哭」によるNachdichtung》

 朝、万年床横の灰色いカーテンをひっぱると、すりガラスごしにぼやけた光がゆっくりと入ってきた。窓の外はへんに明るくて、へんに静かだった。それで、ああおもてでは雪でも降ってんだなって思った。二重窓を一気に開けて、それから深呼吸をした。冷たく、つんとした空気が鼻の奥の方を突く。頭を透明な鈍器で殴られたような感覚。体中が新しくなるような感覚。

 部屋の中を満たす無数のちりが、差し込む光に照らされてキラキラしている。

「ほんとうにきょうおまえはわかれてしまふ/ あああのとざされた病室の/ くらいびょうぶやかやのなかに/ やさしくあおじろく燃えている」枕もとに放ってあった本をめくって、満足してからまた布団に潜り込んだ。

 午後3時半、バイトに行くため外に出た。雪はいつのまにかみぞれ模様になっている。さっきシャワー上がりにコテで何度も撫でつけて軽いカーブをもたせた前髪が、玄関から一歩踏み出したとたんに、両サイドにぱかっと割れた。ひどい湿気。重たく腹ばう雲に向けて、ファック、と呟いた。それからアパートの廊下の手すりにぶら下がる水滴たちをデコピンでいくつか散らして、赤錆びの浮いたステップを2階ぶん降りていった。シャーベット状の雪の下で、階段は愚鈍みたいな音を響かせた。

 みぞれをたっぷり吸い込んで、コートはどんどん重くなる。傘をさす左手は赤く霜焼けて、すでに感覚が無い。JR桑園駅という緑色の文字列が、掻き暗すみぞれの向こうにぼんやりと浮かんでいる。朝読んだ詩をふと思い出した。「蒼鉛いろの暗い雲から/ みぞれはびちょびちょ沈んでくる」。なんだか今日、私はお文学的だな、と思ったけれど、桑園(そうえん)の字面を見て、蒼鉛(そうえん)を無意識に思い出しただけだと気づいた。あとみぞれが降ってるからだな。

 エプロンの紐を結んでカウンターの方へ出ると、堀山さんがアイスクリーム製造機をあちこちいじっているところだった。客は誰もいない。製造機はガーという異音を立てて、溶けたアイスの甘ったるいにおいを狭い店内いっぱいに充満させている。ききすぎた暖房のせいで、気持ち悪くなるくらいの牛乳のにおい。もう手はかじかんでいない。急に暖かくなったせいで、鼻水がちょっと出てきた。

「ホァッ、ホッカレサッッス!!(あ、お疲れ様です)」アイスまみれの手を止めて、堀山さんが挨拶をする。嫌なところを見られたな、という、いかにも気まずそうな笑顔をしている。

「お疲れ様です。それ、一回止めた方がよくないですか」

「Here……、ソフだよね、そうオモーフよね。でも止めたラハアー、二度と動かナーヒ気がしちゃってヘェ……」手をエプロンにこすりつけながら、堀山さんは中途半端な返事をした。彼のこげ茶色のエプロンは、アイスでぐしょっとしている。

「いや、においがひどいしうるさいですから止めましょう。店長に連絡しました? 今日はお客さんにはコーヒーしか出せないっていいましょう。アイスは無理でしょ」堀山さんを前にすると、いつも口調が厳しめになってしまう。別に困らせたいわけじゃないんだけれど。

 堀山さんにはエプロンを取り換えさせに控室に引っ込ませた。一応、「ひげ剃りとか持ち歩いてます? 無精ひげ生えてますよ」と指摘してあげたけど、案の定持ち歩いてはていないようだった。ただ、急にアッアッゴッメ~~!!(あっあっごめーん)と恥ずかしそうに口元を隠しだして、堀山さんはスタスタァ~と奥に消えていった。私はいかれたアイスクリーム製造機を停止させて後始末をはじめた。

 堀山話をひとつ。こないだの休憩時間のこと。私が文庫本を読んでいると、あきらかに堀山さんが興味を示しだして、例のソワソワァ~を始めた(堀山さんは不思議なことに、よく半角カナでしゃべったり半角カナの物音を立てる)。仕方がないから「何ですか?」と訊くと、「トシ子チャンそれ……宮沢賢治ィ? ハッソレミヤザハ賢治でshow~~」と嬉しそう。はい、図書館で借りましたと答えると「ウンウン、ワシもそれ読んだァ~。ヒイ(いい)話ィ」とうなずいてひとり満足そう。あっそうですかと返事して続きを読み進めた。

 次の週、なんと堀山さんは『銀河鉄道の夜』を持ってきていて、控室で読んでいた。それも新品の。えっ買ったんですか、と思わず尋ねると「フウン、たまたまだけどね、たまたま。それにワシ、文学部ジャッッッかラ(原文ママ。「じゃったから」の意と思われる)、名前も文学じゃけェノ……」と意味不明だしなぜか恥ずかしそう。もしかして私と話をあわせようと買ってきたのかな。たまたま近現代文学の授業の予習で読んでただけなんだけどな……。賢治なら「無声慟哭」がいちばん好きですよ、と一応話を広げてみると、「ムセードフコク……」といったきり堀山さんは黙ってしまった。

 乳臭いダスターをかたく絞って、ふうと一息ついた。というか堀山さん遅くない? と思ったけれど、やつのことなど私はすぐに忘れてしまった。というのも、吉野さんがドアを開けるのが見えたからだ。

「こんにちは。今日もおすすめ教えてくれますか」ちょっと寒そうな吉野さん。鼻の頭を真っ赤にしながら、いつもの人懐っこそうな調子で話しかけてきた。

 吉野さんはここのところ2週間にいっぺん、このコーヒーとコーヒー豆とアイスを売るへんな店に来てくれては、200グラムづつ豆を買っていってくれる。名前はこの前クレジット決済でサインをお願いした時に知った。コーヒーは好きだけれど、どの豆がいいかわからないというので、いろいろな産地や煎り加減、曳き方の紹介(に、かこつけたおしゃべり)をするのだ。私の2週間に一回の楽しみ。

「アッそうですね。この前はサンミの強いのをおすすめしましたから、どうでしょう、こんどは思いっきり苦みのあるものにしてみては。アッ酸味の方はどうでした? そういえばァ今週来て下さるの2回目ですね」予習した通りの会話の切り出し方をするけれど、吉野さんの前だと結局めちゃくちゃになって後悔する。そしてうっかり、どのタイミングで来店しているのかチェックしていることをもらしてしまった。

「とってもおいしかったです。まだまだ家で楽しめそうなので、豆は今日はいいかな。今日はアイスのおすすめを教えてほしくて。みぞれを見ていたらアイスが食べたくなって。それでこのお店のことを思い出したんで来てみたんです」この寒い日に、こんな店のことを思い出してくれるなんて! ありがとうございます、とよくわからない感謝の言葉を口にしてから、私は「あっ」と声をあげた。壊れてんじゃん。そして間の悪いことに、ちょうど堀山が帰ってきた。

「あー、いやー、今アイスクリームマシーン故障しちゃっててぇ、今日はコーヒーだけってことに、うんうん」なんということだろう! 堀山さんがすべてを説明してしまった。吉野さんの前だとへんに堂々としてる堀山文学。半角カナの出ない堀山文学。あれ、と吉野さんは残念そうな声。

「待って。せっかく来てくださったんだし、ちょっと試してみてもいいですか、堀山さん。さっきも調子が悪いだけでアイス自体は出てましたもんね。吉野さん、スタンダードの濃厚ミルクがおすすめですからァ!」いま吉野さんを帰らせてしまったら、なんだかもう二度と来てくれないような予感がした。その予感を振り切るように、元気よく私は返事をしていた。

「ear……、だってトシ子チャンがマシーンを止メロってェ」文学は黙ってろ! 堀山文学の制止をふり切って、私は抽出スイッチをオンにした。今日という日を、吉野さんの、私と吉野さんのアイスクリーム記念日にするために。すると、また地鳴りのような音が鳴りだしたので、あわててカップを添えた。

 大失敗だった。しばらくの無音の後、抽出口から急にひり出されたアイスクリームはカップへ落ちてはいかず、中腰で構えていた私の顔面めがけて、鉄砲玉のように飛んで来た。冷たっ! 宙に舞った一条の細長いアイスを見て、堀山が咄嗟に「チチノナガレェエ!!(乳の流れ!!)」と叫んだ。いちばん舌さわりが良い滑らかさに調整されたアイスが、絶妙な粘度で顔面に張り付く。ひどい顔になりながら、それでも私は懸命にアイスがカップに入るよう姿勢を変えた。高校時代、バレー部で死にものぐるいでサーブを受けた日々の記憶が何となく蘇った。カップを2段構えで迎え、どちらもいっぱいになったところで、アイスは底をつき、堀山さんが主電源を切った。「ハチョットホ!! ダメでshow!!」堀山さんに怒鳴られて、我に返った。吉野さんの前でなんていう失態。

「スミマセン……やっぱり壊れてました。アイス、コレじゃア形も悪いし駄目ですね。処分します。すみませんがキョーはアイスは出せません」アイスでへばりついた前髪をかき分けながら、なんだかもう泣きそうになってしまった。

「や、これでいいですよ。ふたつともください。あの、こちらこそ無理をいってすみません。どうかお顔、洗ってきてください。冷たいでしょう」吉野さんまで困らせてしまって、私はいよいよほんとうに泣いてしまった。コクリとうなずいて、私は控室に逃げていった。

 洗面器で顔を洗って、タオルで何度も拭いた。心臓がばくばくと脈打って、身体が前後に揺れるくらいに感じる。今日はほんとうにもう駄目だ。むきになってごしごしとやりすぎたが、かえって鼻の赤いのが目立たなくなって良かったかもしれない。おずおずとカウンターへ戻ると、吉野さんがまだいてくれていた。

「ごめんなさい……」

「もう謝らないでください。みぞれの日なんかに、へんな気を起こした僕が悪いんです。お顔、またきれいになってほっとしました。アイスもとってもおいしかったです」空になったふたつのカップを見て、私はまた恥ずかしくなった。そして、さりげなくきれいといわれて顔がほてった。

「ほんとうですか、私ィ、おっかない顔してないですか」

「いいえ、すてきなお顔ですよ」

「それでも牛乳くさくないですか」

「いいえ、全然。そんなに目をそらさないでください」ニコっと吉野さんが笑ってくれて、思わず私も笑みがこぼれた。堀山さんは後ろの方で、モップやらを取りにごそごそとどっかへ行ってしまった。外ではまだ、みぞれが降っていた。


(蛇足)※寄稿の際のあとがきの下書き

解題:もう恋愛っぽい話を書くのは止めにします。たぶん。

主人公が作中2回も思い出しているのは『春と修羅』の「永訣の朝」。みぞれの降る朝に、もう死んでしまう「とし子(主人公と同名)」が賢治にみぞれを取ってくるように頼む(「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」)詩です。賢治はその頼みを、最後に自分に使命をくれるために、わざわざしてくれたお願いなんだと思い喜んで外に駆け出す。そしてお椀に掬うみぞれが「天上のアイスクリーム」になることを願うという内容です。ちなみに「天上のアイスクリーム」は、稿によっては違う言い方だったりするけど、細かいことは知らん。あと、堀山が飛び出るアイスを見て咄嗟に「乳の流れ!!」といったのは、彼が先週ちゃんと、『銀河鉄道の夜』を読んできたからでしょう。冒頭の天の川のシーンにそんなワードが出てきましたね。この堀山の雄たけびは、個人的に作中でいちばんお気に入り。

で、主人公はこの詩と作中の一日を天気のせいで重ねている。そして最後は自分が好きだといっていた「無声慟哭」(これも『春と修羅』から)に出てくるとし子と同じ内容のセリフ(私怖い顔してないですか=「おら おかないふうしてらべ」、と私臭くないですか=「それでもからだくさえがべ?」)を、詩とは全然違う間抜けな場面で言う。とし子はふたつの詩を本歌取り(Nachdichtung)して、この話の中で自分を今にも死んでしまいそうな(くらい恥ずかしい)、そして(吉野さんに)祝福されている人間にとしてえがこうとしている。なんて図々しいやつ。とし子の性格の悪さや浅はかさは随所にでてますね。書いてる本人はとし子の感じ好きですけどね。Nachdichtungは立原道造が時々詩の中で使うやつ。とし子、お文学にずぶずぶ。

こうして作中のとし子は、詩のなかのとし子に重なろうとするけれど、なぜか同時に賢治の役割も演じている。『永訣の朝』でみぞれ(アイスクリーム)をせがまれて躍起になるのは賢治の方なのに、本編でアイスのために必死になるのは主人公のとし子の方。

他にもこのアイスのシーンではとし子と堀山の間で役割の交代が起きる。さっきアイスの機械を止めろ! といっていたとし子が、今度は堀山に機械を止められるし、「今止めたら2度と動かなくなる気がする」と謎の予感をしていた堀山のように、「いま帰らせたら2度と吉野さんが来てくれない気がする」と何故か考えるし、とし子のセリフや動作が堀山と同じ半角カナになってしまう。

この半角カナでの表現は、小説ならではの演出をねらったんだと思う……たぶん。この話がUSBの中で放置されていたのは、こういうお文学的技巧を活用しようとして中途半端になっているのと、単に飽きたからだと思う。作中の「いい忘れていたけどこの店はコーヒーと豆とアイスを売っている店ね」みたいな唐突で投げやりな設定の説明からも、やる気のなさが読み取れる(無理やりすぎて逆に面白かったからそのままにした)。ちなみに気づいたかわからないけれど、作中にちょいちょい出てくる、不自然な半角カナによるセリフや動作の描写は、堀山だけの特徴ではなく、この話の中では好きな人を前にしてアガってる人を示しているという設定。別に全員ロボットだから、とかそういうあれではない。半角カナで会話しているシーンを見れば、堀山はとし子に恋しているし、とし子は吉野に恋していてあがってるのがわかる。恋でのぼせていないときは、堀山もとし子もふつーの話し方になっている。

恋をしているとセリフや動作が半角カナになるというなら、とし子の恋の行く末は……。最後らへんに注目。吉野は動作に出るタイプ。そしてこの話自体は、後日とし子が書いているという体裁なので、とし子はわかってて半角カナとそうでない表記を使い分けている。なのでとし子は作中いっさい言及していないけど、堀山が自分に惚れていると気づいている。半角カナで堀山を描写しているのはとし子本人だからね。なのに作中、「堀山さんは何故か半角カナでしゃべる」とかすっとぼける。性格悪い。他にも仕掛けとか意味があった気がするけど、忘れました。こんな仕掛けなんて気づかなくても、楽しんで読んでいただけたらそれだけで幸いなんですが……。

タイトルは学問の方の文学をけなす意味かと思いきや、ただの堀山文学を罵倒したときの言葉だった、というオチ。ちなみに堀山文学は実在するモデルがいて、元同級生です。現在音信不通で行方不明。いいキャラしてるので漫画やこの手の物によく登場させちゃう。するとわき役のつもりだったのに、書いている内にどんどん堀山くんがしゃしゃりでくる(ネタが多すぎるから)。この話も中盤の堀山話がやたら長いし。なので、書いている時にいつも思う:「文学は黙ってろ!」……書いている人間の叫びでもありました。オワリ。

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