コーチ物語・クライアントファイル5 オレのやり方 その5
「こんにちわぁ〜」
「おう、羽賀さんかい。待ってたぜ!」
オレはあの日から羽賀さんが訪れるのを心待ちにするようになっていた。
なにしろ、この羽賀さんと話すと気分がすっきりするんだよな。
それにアイデアがどんどん湧いてきて、その場ですぐに試作品をつくったり、店のレイアウトをちょっと変えたりと、毎日変化があって楽しいんだよな。
今日も、昨日のコーチングで思いついた新しいメニューを羽賀さんに食べてもらおうと待ちかまえていたんだ。
「どうでぇ、今日の試作品はよ?」
「そうですねぇ…マグロの赤身をうまくアレンジしているので、見た目のきれいさはさすがだと感じましたよ。これは蜂谷さんの培った料理人の感覚がさえている証拠ですよね。あとは私の好みかもしれませんが、ちょっとバターくさい感じもしますね。和食に洋食の要素をうまく取り入れたところは斬新なのですが、和食の良さが打ち消されている。そんな感じを受けました」
「う〜ん、やっぱそうか…」
いつもながら羽賀さんの的確な感想には驚かされるわ。とても普段は外食とカップ麺で過ごしているとは思えない味覚だな。
オレは自分のつくった料理をひとつまみしながら、羽賀さんの言った言葉を再確認した。
「では、これから何を引けばいいと思いますか?」
こうやって、オレの料理についてのコーチングが始まるってわけだ。店のレイアウトや小道具、レシピについても同じように一つ一つ丁寧に言葉をかけてくれる羽賀さん。やっぱこういった言葉をかけてくれるヤツがいねぇと、人って成長しねぇものなんだろうな。
こうやって羽賀さんのコーチングを受けてちょうど二週間経ったとき、おれの身に予想もしなかった出来事が起きてしまった。
「わたくし、こういう者です」
ビシッとしたスーツにアタッシュケース。髪は七三に分けた、いかにもビジネスマンって顔したヤツが突然俺の前に現れやがった。
「なになに…四星商事エリアデザインプロジェクト…軽部さん…。え、あの有名な四星商事!」
オレはそいつの名刺を一通り眺めて、ちょいと驚いてしまった。四星商事といえば、何でも取り扱う一流商事会社として有名な企業だ。前にオレが勤めていた高級料亭には、接待と称して四星商事のセールスマンと大きな会社のお偉いさんの姿をしょっちゅう目にしていたからな。
その四星商事が一体なんでオレのところに? この軽部という男はオレにこう言ってきた。
「すでにご存じと思いますが、今度駅前に商業施設『セントラル・アクト』が立ち上がります。この中の目玉の一つとして『テイスト・ジョイ・タウン』というものがあります。ここには一流の料理店を並べ、味わうことを楽しんでいただこうと思っているのです。そこで、蜂谷様にもお手伝い願えないかと思いまして」
チャンス! オレは思わずそう心の中で叫んだ。一流の料理店が並ぶ、つまりオレが昔やっていた高級料亭やホテルでの腕前をふるうことができるというわけだ。
この軽部という男が言うには、開店資金や運営資金については四星商事が有利な形で貸してくれるという。しかも、食材の仕入れや物資の調達、店作りに関してまで四星商事が面倒を見てくれるっていうじゃねーか。どこをどう見ても、オレにとっては有利な条件ばかり。
思わずその場で「契約書を早く出せ!」と言ってしまいそうな勢いにかられてしまった。が、軽部の次の一言が、オレのその勢いを止めてしまった。
「ただし、出店に当たって一つ条件があります。メニューに関してはテイスト・ジョイ・タウン全体の水準を維持していく必要があります。そのため、私たち四星商事を始めテイスト・ジョイ・タウンの運営側で基本のものを企画させていただきます。とはいっても、その他の部分については基本的には蜂谷さんの思ったとおりのお店づくりをやっていたければよろしいのですよ」
その他はオレの思った通り…といっても、肝心のメニューに関してオレの思いのままにいかねぇってのが気になる。むしろ、店作りなんてのはその道のプロにまかせて、メニューに関してはオレのやり方でやらせてくれねぇとな。
「蜂谷さんもいろいろとお考えがあるでしょう。つきましては詳細資料と契約書をお預けしておきます。三日後にまたお伺い致しますので、そのときにはぜひ私たちが満足できるお答えを出されることを期待していますよ」
軽部はメガネの奥から眼をきらりと輝かせて、オレに書類一式を手渡した。どうもあの眼の奥には何かが潜んでいるようで怖い、そんな印象を受けてしまった。そう、あの羽賀さんとは対照的な目の輝きだ。
「それでは失礼します」
軽部が店を出ようとしたそのとき、
「どぅもっ! 今日はちょっと遅れちゃいましたね!」
元気に羽賀さんが飛び込んできた。そのときに、軽部と羽賀さんの肩がトンっと軽くふれあった。
「おっと、失礼!」
先に言葉を発したのは羽賀さん、そして次に軽部の方から予想外の言葉を聞くことになった。
「おや、羽賀さん、羽賀先輩じゃないですか?」
「おぉっ、軽部くんじゃないの。久しぶりだねぇ〜」
なんと、この軽部と羽賀さんが知り合いだったとは…しかも先輩と後輩?
「軽部くん、今日はどんな仕事でここにきたんだい?」
「羽賀先輩こそ、どうしてここに?」
「いや、今こちらの蜂谷さんにいろいろとお世話になっていてね」
羽賀さん、お世話になっているのはこちらの方だぜ。そう思ったものの、この二人の会話をしばらく聞いておくことにした。
「はぁ、そうなんですか。しかし、羽賀先輩も変わりましたね。昔はスーツをビシッと決めて、キリッとした印象が強かったのに。今ではポロシャツにジャケット、そしてチノパン。ちょっとラフになっていますね。」
「いやいや、自転車だからね。ホントはもうちょっとラフにいきたいんだけど。それにボクはもう営業マンじゃないからね。ただのコーチだよ」
「先輩、いつまでそんな偽善者のような仕事を続けるんですか。ボクはあのころの、四星商事でもトップセールスを誇っていたあのころの羽賀先輩にあこがれていたからこそ、今があるんです。先輩は僕ら四星商事セールスマンのあこがれだったのに…」
な、なんと。羽賀さんがあの有名な四星商事のトップセールスマンだったとは…。羽賀さんが四星商事のセールスマンだったというのは、オレにとってはちょっと衝撃だった。
四星商事のセールスマンといえば、その気になれば一般家庭にミサイルまで売ってしまうのではないかという強者と聞いている。そのためには、多少強引な手を使ってでも相手に契約のハンコを押させる、といううわさまである。
ってことは、この間の警官を巻き込んでの芝居、あれもオレから仕事をとるための手法だった、ということか?おれの思いとは別に、軽部と羽賀さんは会話を続けていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?