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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その2

「ど、どうしてあのタクシーが?」
「蒼樹さん、あなた目立ちすぎているんですよ」
「そ、そんな。でも私が命を狙われている、なんてことはありませんよね?」
 ボクは急に不安になって羽賀さんにすがりたくなってしまった。
 だが羽賀さんは少し冷たい目線をボクに浴びせる。そしてソファに座って、真剣なまなざしでボクにこう語り始めた。
「佐伯孝蔵、あなたが彼のことをどこまでつきとめているかわからないですが。これは遊びじゃないんです。もうすでに三人も犠牲者が出ているのですから」
 三人とは、最初に事故に見せかけて殺された石塚さん。石塚さんと行動を共にしていたライバル会社に務めていて、病院で突然死した坂口さん。そして坂口さんとともに行動を共にして、佐伯孝蔵に対抗しようとして今朝死亡が確認された大磯さん。
 ボクは頭の中で今まで調べたファイルをめくるようにしてこれらの情報を引き出していた。
「蒼樹さん、あなたがどうして十五年前の、そして先日の飛行機事故を追っているのかはあえて聞きません。悪いことは言わない。この件から速やかに手を引いいて普通の生活を送ったほうが身のためだ」
 淡々とした口調でボクにそう言う羽賀さん。だが、ボクも生半可な気持ちでこれらの事故を、そして佐伯孝蔵を追っていたのではない。
「そうはいきませんよ。ボクにだって意地があります。なにも趣味や興味本位でこれらの事故を追っているわけじゃない。死んだ父がこれらにどう関わっていたのか、その真実を知りたいんです」
「真実を知りたい、とはどういう意味ですか?」
 今度は羽賀さんのほうが興味を持ってボクにそう言ってきた。
「ボクの父は、十五年前の航空機事故の実行犯なのです。あれは北朝鮮のスパイが引き起こしたものだということになっています。が、実は私の父が北朝鮮国籍を偽造し、そして行動に移したものです」
「どうしてそんなことがわかったのですか? 私たちですらそんな情報は得ていないのに」
 羽賀さんはまだ疑いの目でボクを見ている。ボクは最後の手段であり、母親以外には見せたことのない父の手記をバッグから取り出した。
「これです。これは父の手記です。ボクがまだ小学生の頃、タイムカプセルに一緒に埋められていたものです。それを五年ほど前、ボクの二十歳の誕生日の時に掘り起こしたときに見つけたものです」
 少しボロボロになった手帳を羽賀さんは手にとってパラパラとめくる。
「なるほど、これであなたは父親の真実を知った。そういうことですね」
「えぇ。それ以来、ボクは父がどうしてこんなことをしでかしたのか、とても興味がわきました。いえ、興味という生半可な言葉ではありません。父の考えそのものになろうとしていました」
 ボクは言葉にしながら、あぁ、そうなんだと自覚をした。
 父の考え。佐伯孝蔵にどうして従っていたのか。どうしてこんなことに手を染めたのか。そして最後はどうして自ら命を落とすような任務についたのか。そこを知りたかったというのが最初の動機であった。それはほんのちょっとした興味から始まったものだった。が、今では父の考えに近づいてきたような気がする。その確信を得たくて、今行動しているんだ。
 ボクがさっきのセリフを言ってからしばらく沈黙が続いた。
「ボクは………ボクは佐伯孝蔵に近づくことで、彼の何が父にそうさせたのか。それを知りたいのです。そして、そしてその考えが正しい、間違っているではなく、その真実を多くの人に知ってもらいたい。そう思ったのです」
 ぽつりぽつりと自分の思いが言葉になって出てくる。ここでようやく羽賀さんは最初のにこやかな笑顔でボクに語りかけてくれた。
「蒼樹さん、それがあなたの心の真実ですね」
「はい、そうです」
「語ってくれてありがとう。それが見えないうちは、ボクもうかつに蒼樹さんの心に近づけませんから」
 先ほどまでの険しい雰囲気から一転、羽賀さんはすごくフレンドリーな口調でボクに語りかけてくれた。そのおかげか、急にのどがカラカラになっていたことに気づいた。
 舞衣ちゃんの入れてくれたお茶を口にする。
「んっ、うまっ。これ、すごく高級なお茶じゃないですか?」
 ボクはトレーダーとしてはそこそこ成功しているおかげで、それなりに美味しいものを食べてきている。だから舌は肥えているという自信がある。そのボクをここまでうならせるほどのお茶は飲んだことがない。
「ははは、これはスーパーで買った安物のお茶ですよ。でも舞衣さんの手にかかれば、そんなお茶でも高級玉露に負けない味になってしまうんです」
「へぇ、舞衣ちゃんにそんな特技があったとはなぁ。知らなかった」
 あらためてもう一度お茶を口に含む。うん、これはおいしい。
「ところで、本来は最初に聞かなければいけないことですが。今回、どのような経緯でボクのところに訪れたのですか?」
「はい、実は昨晩、私は大磯さんにお会いしていました」
「大磯さんに?」
 ここで羽賀さんの目が、一瞬さっきの鋭い眼光に変化したのを見逃さなかった。それだけこの話題には慎重になっているのだろう。
「はい、ボクはどうしても佐伯孝蔵に近づきたかったんです。そこでいろいろと調べたところ、大磯さんが一番近づきやすい人物だと思ったのです。そこで彼にアプローチをかけました」
「どんなふうに?」
「取引を申し出たのです。なんてことはありません。次に佐伯孝蔵から電話がかかってきたら、ボクに直接替わって欲しい、と。そうしたら大磯さんはその申し出の取引として、羽賀さんのところに来て欲しいと言われました」
「なるほど。昨晩、私たちは大磯さんと今後について打ち合わせをする予定でした。ところが時間になっても来ないので心配していたところ、路上で殺害されたという一報が入ってきました」
「えっ、ってことは大磯さんはボクと会った直後に殺害された、ということなのですか?」
 これを聞いてちょっとびっくりした。てっきり今朝方殺されたとばかり思っていたから。
「なるほど、これで表のタクシーのつじつまがあいました。蒼樹さん、あなたは昨晩から行動を監視されていたんです。最後に大磯さんと会った人物として。あなたは誰にも見られていないと思うでしょうが、リンケージ・セキュリティを甘く見てはいけません。すでにあなたの素性くらいは連中には、特に佐伯孝蔵にはわかっているはずです」
 ここでまた冷や汗が出てきた。ボクの行動はすでにお見通しだったというわけか。
「でも、ボクは流しのタクシーを拾ったのですよ」
「それもわけありません。蒼樹さん、あなたは移動でタクシーを使うのを日常にしていますよね」
「えぇ」
「その行動パターンをすでに連中は把握しているということです。だから、あなたが大通りに出たときにうまくつかまりやすいようにタクシーで近づいた。おそらく連中が用意したタクシーは一台だけじゃないと思います」
「でも、どうしてボクがそんな風に監視されないといけないんですか?」
 羽賀さんはそこで再び立ち上がり、ブラインドの影から外のタクシーを見つめた。そして一言、こう言った。
「あなたが十五年前の航空機事故の実行犯の息子だからですよ」
 それは理由になるのか? でも、佐伯孝蔵にとってはそれが理由になり得るのだろう。
「じゃぁ、ボクはこれからどうすればいいのですか? 命を狙われて生活をしなければいけないのですか?」
 言いながらドキドキしてきた。ついさっきまでは、一段高いところから今回の一連の出来事を眺めていたつもりだった。が、今になってボクは他のみんなと同じステージに立っていることに気付かされたからだ。
「まぁ、すぐに命を奪われるなんてことはないでしょう。そもそも、なぜ彼らがあなたを監視しているのか。その理由を突き止めないと。ひょっとしたらこの手記の存在が理由かもしれないし」
 羽賀さんはそう言うと、テーブルの上に置いていた父の手記を再び手にした。
「これ、しばらく預ってもいいですか? どんなことが書いてあるのか、そこから何がわかるのか。それをボク達も知る権利はあるはずです」
 最初はその申し出を断ろうかと思った。が、すでにボク一人ではどうしようもないところまで問題が発展していることに気付かされていた。
「わかりました。でも手記そのものは必ず返してください。よろしくお願いします」
「わかりました。それは約束しましょう」
「じゃぁ、ボクはこれからどうすれば?」
 ここで羽賀さんはニヤリと笑った。そしてこんなとんでもないことをボクに提案してきた。
「外に停まっているタクシー。あれに乗ってください」
「えぇっ、そ、それは………」
 監視されているタクシーにわざわざ乗り込むなんて、どういうことなのだ?
 だが羽賀さんはここでボクにとある作戦を言ってきた。
「なるほど、それなら………」
「では蒼樹さん、よろしくお願いします」
 ボクは早速、羽賀さんの申し出のあった行動を開始することにした。

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