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コーチ物語 クライアント22「悪魔の囁き」その6

「ありがとうございます。吉武さん、お顔が晴れ晴れとしていますね」
「えぇ、私の心の奥に潜んでいた悪魔が何処かへ消えた。そんな感じがしていますからね」
「悪魔、ですか?」
「はい、ついでだから二人とも聴いてくれないか。私の中の悪魔の話を」
 私は斉木と三村くんの方を向いてこの話をしようとした。だが意外な反応が返ってきた。
「社長、話もいいんっすけど次の仕事にとりかからないと納期がありますから。また今度にしてもらっていいっすか?」
 斉木はそう言って作業場へと戻っていった。それに対してあたふたする三村くん。
「斉木さん、あんなふうに言わなくてもいいのに」
「仕方ないよ。ただでさえKPTで時間を食われたからな。じゃぁこの悪魔の話はまた次の機会にでも。羽賀さん、お引き止めしてしまって申し訳ありません」
「いえ、ボクはいいんですが……おそらく、吉武さんの言われる悪魔が斉木さんの中に居座っているようですね」
「えっ、羽賀さんはこの悪魔のことご存知なのですか?」
「おそらくあのことだと思い当たることはありますが。いずれにしても今日はこれから現場作業に戻ってください。私はまた時間を作ってお伺いしますから」
「あ、ありがとうございます」
 羽賀さんの申し出もあったし、斉木の態度が気になるので私たちは一度現場へと戻ることにした。そして今取り掛かっている看板の制作作業を行うことに。だが斉木はあれから私達とあまり口を聞くことなく、淡々と仕事をこなしている。まさか、斉木にも私に潜んでいた悪魔がいたとは。
 いや、この悪魔は人間であれば誰しもがもっているものだ。自分に言い訳をして「だけどなぁ」と言ってやろうとしている行動を邪魔する。人はつい楽な方、楽な方へと考えが及んでしまう。その結果、また何一つ行動を変えることなく一日を終えてしまう。その繰り返しだ。
 それにしても斉木は何が気に入らなかったのだろうか。私の話といっても、10分もあれば終わるのに。別に作業に大きく影響するほどのものじゃない。それどころか、いつもはもっと長い休憩を入れているくらいなのに。
 ここはやはり斉木に直接聴いてみたほうがいいのか。それともしばらく様子を見たほうがいいのか。うぅん、悩むところだ。
 気がつけば今日の作業も終わり、帰りの時間になった。斉木は子どもの塾の迎えがあるからと、そそくさと帰ってしまった。あとに残された私と三村くん。この斉木の行動について少し話すことにした。
「斉木はどうしたんだ? KPTをやったあとからなんだか態度がよそよそしいが」
「オレ、わかります。斉木さんの気持ちが」
「えっ、何かまずかったなか?」
「KPT自体はよかったんっすよ。あれは今後、ぜひうちの反省会で取り入れようとオレも思いました。でも……」
「でも?」
「その後、社長はPTA会長になるって言いましたよね。あれなんっすよ、斉木さんが引っかかってたのは」
「ど、どうしてだ?」
「実はPTA会長の打診の話は、オレも斉木さんも知っていたんです。で、二人で話したことがあって。社長がPTA会長になったら、そっちに時間を食われてしまって会社のことがうまく回せなくなるんじゃないかって不安があって。でも、オレは何とか出来ると思っていたんっすけど……」
「斉木は反対だったのか」
「はい」
「でも、あいつ拍手はしてくれてたじゃないか」
「雰囲気でそうしなきゃいけないと思ったんでしょうね。本心じゃなかったと思います」
 そうか、そうだったのか。でもここをなんとかしないと。斉木は腕のいい職人だ。あいつがいるおかげで、難しい看板製作の仕事もこなすことができている。けれどあいつに足りないのは自分からやろうという積極性。言われたことはきちんとこなすが、余計なものを自らが背負うということがない。
 せっかく自分の中の悪魔を追い出すことができたと思ったら。今度は斉木の中の悪魔を追い出さないといけないのか。人のことなど構っている場合じゃない、という考え方もあるが。しかし斉木はうちの社員だ。彼を変えなければ、このままじゃ自分と同じことになってしまう。でもどうすればいいんだ?
 ここはやはり羽賀さんに相談してみるのがいいのかな。そう思った時、一瞬だけ「だけどなぁ」という囁きが聞こえそうになった。
 それはどうしてかを自分なりに分析してみた。
 昼間、あれだけ無料でお世話になったのに、また押しかけ相談なんかしてしまうと、羽賀さんにも迷惑がかかるんじゃないか。こんな社内のことくらい自分で解決しないといけないのではないか。こんなことが一瞬のうちに頭のなかに浮かんできてしまった。
 だったらどうすればいい? そうか、仕事として羽賀さんに相談して依頼すればいいんだ。なんてことはない。そもそも、無料でやってもらおうなんて甘えた考えを持つこと自体がいけないんだから。よし、早速電話をしてみよう。
 私は羽賀さんからもらった名刺を取り出し、早速電話をかけてみた。
「はい、羽賀です」
「あ、お世話になります。吉武です」
「吉武さん、昼間はおじゃまいたしまして」
「いえ、とんでもありません。おかげでいいことを教えてもらって。で、今回は羽賀さんにお仕事として相談を依頼したいと思いまして」
「相談、といいますと?」
「はい、斉木のことです。先ほど三村くんから聞いたのですが……」
 私は羽賀さんに三村くんから聞いた話、そこから推測できる斉木の思いなどを羽賀さんに話してみた。
「なるほど。やはりそうでしたか。この件、電話口ではなんなので、明日お伺いしようかと思いますがご都合はいかがですか?」
「そうですね。明日は現場仕事は入っていないので、今日と同じ時間なら大丈夫です。でも、うちに来てもらうと斉木の耳にこの話が入るのはどうかと思いますが」
「それもそうですね……とはいっても、今の状況ではヘタに社長が出かけるのも斉木さんの目線が気になりますし……」
 私はちょっと考えこんでしまった。でも、社長としていろいろな用事で出かけることは多々あるから。そのくらいは大丈夫じゃないかな。
「わかりました。私から羽賀さんのところへ行きます。そんなに長時間でなければ大丈夫と思いますが」
「そうですか……では明日お待ちしています」
 うん、やはりこちらから行動しないとな。だがこの判断があとから大きく影響してくるとは、このときには夢にも思わなかった。

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